錦帯橋創建以後の工事回数は?         

 
初代の錦帯橋は1673年に創建されたが、それ以降現在までの架け替え工事回数は

岩国側から横山側へ 第1橋 第2橋 第3橋 第4橋 第5橋
架け替え回数(再建含む) 10回 14回 14回 16回 9回

全面架け替えは、1674年、1953年、2001−2004年の3回です。


どうして今、架け替えるの?

 
三代目の錦帯橋は、1950年(昭和25年)のキジヤ台風による流失、1953年(昭和25年)に再建以来、およそ50年経過しております。この間の風雨や渡橋者に伴う橋板の磨耗等により、橋体の腐朽・老朽化が進み、2001-2004年にかけて全面架け替えが行われました。


平成の架け替えの方針は?

 錦帯橋は橋の保全のため1963年(昭和38年)以来、5年ごとに橋の健康診断(強度試験、腐朽調査)を実施している。1993年(平成5年)の調査時に木材の腐朽の進行が報告され、「岩国市錦帯橋修復検討委員会」において架け替えの方針について協議を重ねた結果、木造部分のみの架け替えを行い、橋脚(石造部分)はそのまま使用することに決定した。

平成の錦帯橋架け替え費用とその財源は?

 総工費26億円です。@用材費(約13億円) A架橋工事費(約7億円)Bその他経費(約6億円)

 錦帯橋は文化財ですから、この度の架け替えでは、国や県からの補助金(約3億円)を受けています。また 岩国市では、橋の維持管理のために1966年(昭和41年)から、錦帯橋基金として入橋料の積み立てを行っており、残りの約23億円をこの錦帯橋基金と皆さんからの寄付金でまかなっています。

錦帯橋は誰が架け替えるの?

 錦帯橋は岩国市の管理する文化財であり、1999年(平成11年)に錦帯橋建設事務所を開設し、架け替え事業を担当しました。工事の施工は岩国市内の建設業者で組織される「岩国建築協同組合」が行いました。錦帯橋は、創建当時から、地元の人々の手によって造り、守られてきた歴史があり、今回も技術の伝承や維持管理などを考え、地元の大工さんなどが行いました。用材の調達も同様な判断から、市内及び近郊の木材業者で組織された「錦川流域木材協同組合」が行いました。
 
錦帯橋に使われている段板と敷板のヒノキの1枚の値段は?

使用されている板の枚数は?

 非常に高価なヒノキの板を使用しています。
 一番最下段の段板は1枚115万円(長さ5m、奥行455mm、厚さ106mm)
 
段板1枚 50〜60万円(厚さにより異なる)、敷板1枚 35万円

 
使用している板の枚数 全部で550枚
1橋 108枚(敷板)、2橋 109枚(段板60枚、敷板49枚)、
3橋 114枚(段板60枚、敷板54枚) 4橋109枚(段板60枚、敷板49枚)
5橋 110枚(全て敷板)

錦帯橋は釘を使っていないの?

 「錦帯橋は、敵が攻めてきた時の戦術として、ある楔(くさび)を外せば崩れるようになっています」という話を聞いたことはありませんか?実は神秘的な逸話です!
 木組みの技法で、石積アーチのキーストン(要石)的な役割を錦帯橋の大棟木がしていることから、このように語られたのだと思います。実際は、大きな桁を頑丈な巻き金で束ねて、いくつもの鎹(かすがい)を打ち込んでアーチを構成しています。
 「この美しいアーチ橋は釘を一本も使用せずに造られています」と聞いたことはありませんか?実は、アーチの桁を構成する段階では、釘を使用していないことから、このように言われてきたからだと思います。しかし、最近では、段板や橋板に多くの皆折(かいおれ)釘を使用していますので、このような説明はしておりません。

錦帯橋に使用する釘は誰は作ったの?
「愛媛の鍛冶職人 白鷹幸伯」 この名前を聞い覚えのある人は多いと思います。今回の架橋工事でも和くぎ(日本独特の古来からのくぎ)やかすがいが多数必要でしたが、これら殆どの製作を手打ちで行ったのが、白鷹さんです。
 白鷹さんは、薬師寺金堂・西塔・大講堂などの再建、修復のための和くぎを打ってこられました。白鷹さんの製作する和くぎには、たたら鉄(砂鉄と木炭を原料に、ふいごを利用して作る和鉄)に近い炭素量を限定すた高純度鉄が使用されています。材料にこだわり、手打ちにこだわる白鷹氏の意気が、平成の錦帯橋にも生かされています。 

中国にも錦帯橋と同じ名前の橋があるの?  
上海から車で約3時間半、浙江省(せっこうしょう)の杭州市に景勝地として有名な西湖(せいこ)という湖があり、そこに、詩人蘇東坡(そとうば)が築いた蘇堤(そてい)という堤と、白楽天が築いた白提という堤がある。その白堤に、何と「錦帯橋」がある。。そもそも、錦帯橋は、1673年に、明の僧「独立(どくりゅう)」がもたらした「西湖遊覧誌」に記載されていた島伝いの橋をヒントに創建されたと言われている。一方、西湖の錦帯橋は、その少し前に建造されている。名前の由来は定かではないが、一説には、皇帝から下賜された帯を橋上で落としたことによって名付けられたとも。両橋が同時期に存在していることや他にない珍しい名前であることなどから、同一の名称が使われていることには、単なる偶然では片付けられない何かがあると考えたい。この西湖の「錦帯橋」と岩国の「錦帯橋」の友好提携が2004年12月に行われた。

今後錦帯橋の架け替えはどうなるの?

 
 岩国市でも今後の錦帯橋架け替えの議論提案が出されています
架け替えを20年のサイクルとすべきであるとの大変興味深い考え方が提起された。20年後に、第2橋、第3橋及び第4橋の架け替えを行う。その際、第3橋をすべて新しい材で架け替え、解体された材のうち活用できるものは第4橋に、第4橋の解体材は第2橋に再利用する。20年後も同様な作業を繰り返す。毎回、第3橋は新しい橋に生まれ変わるが、用材は順番に再利用される。第1と第5橋は60年毎に架け替える。

 架け替えの期間を20年に短縮することにより、技術の伝承を可能とし、同時に、貴重な用材を無駄にすることなく、有効に活用することになる。さらに、今回で実証済みであるが、架け替え工事自体を伊勢神宮の式年遷宮のように、定期的な一大イベントとして定着させることにより、大きな集客効果を見込むことができる。

錦帯橋あれこれ

錦帯橋の歴史

流失から再建

平成の架け替え
錦帯橋の歴史 流失から再建 平成の架け替え 錦帯橋Q&A

 錦帯橋は、1673年(延宝元年)岩国三代藩主、吉川広嘉の創建によって、錦川に架けられた唯一の橋で、城郭のある横山と、城下町錦見を結ぶ城門前の大手橋で長さは、約210m、幅約5m、高さ約11mとなっている。

 横山と錦見との間に初めて橋が架けられたのは、錦帯橋が最初ではなく、初代藩主吉川広家が、岩国築城の時から大手橋として架橋することが予定されていたと思われる。しかし、折角架けられた橋も洪水のために永くはもたず、流失することが多かってようである。

 広嘉が架橋を思い立ったには、1659年(万治2年)の頃と考えられる。この年二代藩主広正の架橋した橋が2年ともたず、洪水によって流失したからである。これより完成まで、14年という期間がかかっているところをみると、その間の苦心は並大抵のものではなかったと思われる。

 広嘉の創案のこの橋の考案の内容を示す具体的な資料は残念ながら見当たらないが、橋の構造と広嘉の履歴を照らし合わせてみると、創造のきっかけとなったものが二つある。
 その一つは、甲斐(山梨県)の猿橋である。猿橋は、室町時代の創建と伝えられ錦帯橋の構造とよく似たところが多い。
 もう一つは、中国の杭州にある西湖のことを書いた「西湖志」の口絵である。 すなわち、独立禅師は、1664年(寛文4年)広嘉の病気治療のため、長崎から岩国に来ているのである。ある日のこと、広嘉と対談していたところ、独立の郷里杭州のことから西湖志のことにおよび、広嘉が是非その本を見たいということで、早速長崎から取り寄せ、広嘉の前に開いて説明したところ、広嘉は「西湖志」の口絵を見て、机をたたいて喜んだと言われる。

 では、なぜ喜んだかというと、それは島に橋を架けるということである。この橋の特徴は、岩国城の石垣の石組みの技術が生かされて、積み上げた石垣の内部に割栗石を大小混合して詰め込み、この石垣の中を水が流れるようにしたのである。

 次に橋の構造であるが、はね木を積み上げ、これを「巻き金」と「カスガイ」で止めており、この骨組みとなる主要部分に釘は使われていない。

以来、276年間不落を誇った錦帯橋も1950年(昭和25年)9月12日この地を襲ったキジア台風のための異常な降雨により、錦川が増水し、ついに錦帯橋2代目は流失したのである。

 岩国市民にとって、象徴と誇りである錦帯橋を失うということは大きな悲しみでした。けれど、市民が立ち直るのも早く、その日岩国市議会では、政府がその再建に当てることを熱望して「錦帯橋復旧再建に関する決議」を行いました。また 再建へ向けた運動が全市を挙げて展開されました。

 再建への最大の問題は資金でした。錦帯橋は大正期に国道から市道となり、再建に係る費用は市財政のみで賄うのは不可能でした。国庫負担問題について国と粘り強い運動に結果、「元の姿」に復旧出来ました。

 1951年(昭和26年)2月再建に向け起工式が行われ、延べ6万9千人の労力、1億2千万円の巨費が投じられ1953年(昭和28年)5月に完成した。

 再建された第3代錦帯橋の特色は、流失した橋台は、築城技術を応用した石造りでした。しかし、再建後の橋台は、強度を確保するため、橋台基礎に円形井筒工法を採用し、中心部にコンクリートを打ち込み万全を期した。また 橋桁の荷重を受け止める桁受けには、隔石と言われる石でしたが、再建後には沓鉄と呼ばれる鋳鉄を使用した。

錦帯橋Q&A
第3代の錦帯橋の全景 敷梁の上に桁を積み重ねる 桁組み(柱橋)
カスガイと巻きがねの取り付け 鞍木、助木、振止の取付(アーチ橋) 柱橋に取り付けられた敷銅版
敷板と板の取り付け 高欄の取り付け  2004年完成した2橋目
完成し喜ぶ平成の匠たち 完成した錦帯橋の全景 2004.3.20 渡り初め式

錦帯橋創建
吉川広嘉

錦帯橋モデル甲斐の猿橋

橋台参考の西湖志の口絵

 1953年(昭和28年)以降、半世紀にわたって人々を渡し続けてきた錦帯橋ですが、木造橋の宿命である腐朽による傷みが見られるようになったため、2001年(平成13年)から2004年(平成16年)に50年ぶりとなる「平成の架け替え」が行われました。この度の架け替えは、現錦帯橋の木造部分(橋脚部分を除く)を現橋の形、構造通りに原形修復し、総事業費26億円(内材料費13億円)を要する大事業となり、2004年(平成16年)3月20日錦帯橋架橋工事完成式及び渡り初め式を行いました。

2002年

2003年

2004年

平成の錦帯橋架け替えのプロセス

錦帯橋は、風雨にさらされる厳しい環境下にあるため、使用される木材もその殆どが腐朽に強いとされる赤身材(芯材)となります。その中でも、ヒノキ材や松、ケヤキ、ヒバ材の一部については、赤身材でありながら芯去材でなければならないという条件や、使用する部材寸法が大きいため、大径木でなければならず、一般流通に乗らない銘木といわれる部類に属し、必然的に高価な材となります。

種類 m3 使用箇所 調達先
マツ 156.4 橋桁、梁 新潟、山形、福島、広島、山口
ヒノキ 151.8 敷板、段板、高欄、蔀板 長野
ケヤキ 66.0 橋桁、敷梁 岐阜、島根、山口、広島鹿児島
ヒバ 29.8 橋杭、貫、たすき 青森(下北)
クリ 5.9 桁、梁の雨覆い 新潟、山口
カシ 0.8 太柄、込栓、割楔 山口
合計 410.7(仕上げ寸法での数量)    -
橋 長  193.3m  (旧橋長   195.7m)
幅 員   5m    (有効幅員 4.2m)
径 間  第1橋径間   34..80m  (旧 37.10m)
 第2橋径間   35.10m  (旧 34.96m)
 第3橋径間   3510.m  (旧 35.10m)
 第4橋径間   35.10m  (旧 35.61m)
 第5橋径間   34..80m  (旧 34.79m)

2,3,5アーチ橋での使用木材

1,5橋での使用木材

工事イメージ図

(吉川史料館所蔵:岩国市)

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