本郷代官所跡〜雲照寺峠〜美和町下畑コース

西照寺

●本郷代官所(岩国往来起点)

建立寺●

●本郷支所

●本郷八幡宮

●釜屋一里塚跡

●面ケ淵

不飲の浴●

雲照寺峠

●雲照寺

●速田神社

●街道松

郷一里塚跡●

●下畑河内  神社

●水薬師

東大寺●

美郷トンネル

波野

阿賀

下畑

岩国往来
←入口

 岩国往来の本郷の起点は本郷代官所跡( 現本郷小学校)である。(河山駅からの本郷バスの場合、本郷総合支所前で下車)

 本郷代官所跡を出発し、本郷総合支所前を右に進み、西照寺前を左に曲がり、直進する。県道を横切り、本郷八幡宮の石鳥居の前を進む。約200m先、和田公民館の駐車場前の標識に沿って左に廻り、あぜ道を行くと 「釜屋一里塚跡」に至る。

 民家の側の旧斜面を登ると県道に出る。県道を約200m進むと、左側の標識に沿って山道に入る。岩国往来の始まりだ。15分間山道を登ると県道に下りる。標識に沿って山道を下って行き、渓谷を渡り、進むと「面ケ淵」が右に見える。更に進むこと15分で「不飲の浴(ノマズノエキ)」を渡る。ここからは杉林の中を歩き、県道に出る。

 雲照寺峠
の頂上から約300m下ると、県道の右側の標識に従って岩国往来を歩く。苔むした老木が横たわり、シダの茂った中を歩くと、ボランティアが架けて丸太橋がある。2月ごろから和紙の原料である三椏の花が咲いている。やがて人家が見え始める。舗装された道を下ると右側に阿賀駕籠立場跡があり、2009年3月ボランティアにより復元された。駕籠立場で休憩し、阿賀地区ののぞかな眺めは最高である。雲照寺でトイレを借りるとよい。

 岩国往来唯一ある街道松の側を登り県道を歩くと、郷のバス停留所前に、地元により200年「郷一里塚跡」がある。しばらく県道を歩き、下畑河内神社を過ぎると、左側畑の上の標識に沿って民家の前を歩くと下畑の破魔射場峠登り口に至る。

岩国往来の起点本郷から雲照寺を越えて、美和町下畑を歩く  (約8km  2時間40分)

本郷代官所跡

奥山代宰判代官所跡地、1600年(慶長5年)毛利氏が防長二州に封ぜられた時、周防最東端の国境に位置する山代の総治と軍事的要地として山代代官所(勘場)を置きました。現在の本郷小学校敷地
本郷歴史民俗資料館

資料館は藩政最後の山代代官所の正面玄関である御門長屋をもしたものです。歴史のあゆみの中で、郷土の人々の生活や生産を支えて来た民具や農機具、山代和紙の生産用具、工程に関する資料などが展示されています
         建立寺

毛利家菩提樹として、1664年(寛文4年)建立。「国主代々尊儀」と記された毛利家の家紋の入った位牌と慶長一揆で犠牲となった11人の庄屋の合牌があります。
     西照寺(浄土真宗)

元和年代(1615〜1623))に建立寛永年間(1624〜1643)仏閣を建立し西照寺と称す。毛利輝元夫婦の位牌がある。
境内の門は奥山代宰判代官所の門で、1921年(大正10年)に山門として移した。
      本郷八幡宮

山代33ケ村の総鎮守であった神社。11世紀、京都の男山八幡宮を勧進したと伝えられる。毎年秋の例祭で「一味同心」「一味神水」の神事が現在でも行われる。現在の本殿は1907年(明治10年)再建したもの
      釜屋一里塚跡

萩松本の一里塚を起点に1645年、釜屋に一里塚が建てられた。釜屋一里塚は注進案では萩松本より22里(88km)小瀬川まで6。御国廻行程記では多田村一里山より5里13丁(約21km)と記載。1951年(昭和26年)のルース台風で流されて一里塚は残っていない
        面ケ淵

本郷の釜谷一里塚上から街道歩き、県道と交差する所より谷を下り、川の上を歩くと右下に面ケ淵が見える。ロープ伝いに注意して坂を下ると淵まで下りることが出来る。名前から、この地域は税金が免除されたようだ。
       不飲の浴

旧本郷村と旧美和町の境界付近に川が流れている。名前から、一帯の鉱山があり、飲み水に適していなかったようだ
        雲照寺峠

郷と美和町阿賀の間にある標高366mの峠。峠の名前は、湯の迫の雲照寺の名前から付けられたようだ。
          雲照寺

1686年(貞享3年)真言宗から曹洞宗となり雲照寺と呼んでいます。文殊堂内には文殊像などの仏像が残されている。裏山は不動山88ケ所、斜面に石仏群が安置されている
        街道松

街道には沢山の松が植えられたが、今は速田神社鳥居前の箕腰橋の付近にただ1本残っている。箕腰橋付近に、江戸時代、商人札、春定札が立っていたと推定される。
         速田神社

本殿は、社寺地が藤木にあった1794年(寛政6年)に建立され1870年(明治3年)に移転。絵様、繰形等が控え目でよく時代の特色が表れている。境内に1721年(享保6年)と1820年(文政3年)の刻印の石灯籠がある。美和町指定文化財

      郷一里塚跡

釜屋から2番目の一里塚。山代本郷一里山より一里(約4km)、多田村一里山より4里13丁(約17km)。郷地区に現在も「塚の本」という地名が残るが、現在は一里塚は残っていない。
         水薬師

堂の建築年代不明、堂内に古仏薬師(像高21cm、座像)その他の如来像がある。参道横には石地蔵(立像、像高87cm)も立っている
      下畑河内神社

下畑村鎮守。参道入口の石鳥居は、1815(文化12年)に奉納されたもの。境内石灯籠は1751年(寛延4年)1759年(宝暦9年)1815年(文化12年)の年紀がある      
           東大寺

大輪寺(曹洞宗、明応年間(1494-1497)に開く)を東蓮寺(曹洞宗、慶長年中焼失し、寛文年中に再建)へ合併して、1874年(明治5年)東大寺と改称した。
         宝篋印塔

東大寺庫裡裏にある高さ100cmの宝篋印塔。南北朝時代、京都方面で作られたものと伝えられている。花崗岩製で相輪の九輪部分は欠失して基礎の上端が反り花となっており、塔身四面に金剛界四仏の梵字が刻んであるが、判読が難しい。大内家家臣の北原治部少の墓と伝えられる
   下畑村餓死死者の供養塔

1732年(享保17年)ウンカの大発生による飢饉で、下畑村の人口に約3分の1に当たる304人の餓死者が出た。

後年村人達がここに供養塔を建て餓死した人を弔いました。小さな五輪石はきちんとした弔いも出来ず家の近くに葬り、墓石として置いてたものを持ち寄る  

           


所要時間 : 本郷代官所跡〜釜屋一里塚跡(20分)〜面ケ淵(30分)〜雲照寺峠(20分)〜
         雲照寺(25分)〜下畑 破魔射場峠入口(60分)
 

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阿賀駕籠立場跡

    阿賀駕籠立場跡

阿賀の雲照寺峠登り口に、お国廻り絵図に駕籠立場があった記録があり、2009年、地元の材木を用い、ボランティアにより復元した