岩国城周辺の散策

@ 岩国城天守閣 A 二の丸跡 B 旧天守跡 C 空 堀
D 北の丸跡 E 歴史との出会い道 F あずまや G 大釣井
H ロープウェー乗場 I からくり時計台  J イベント広場 K 護館神
L  北の丸周辺散策

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紅葉谷公園へ

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 @ 岩国城天守閣


 岩国城は、1603年(慶長8年)に着工され、1608年(慶長13年)に完成したが、1615年(元和元年)徳川幕府の一国一城令により破却させられた。緑の山頂に聳える白亜の天守は、桃山風南蛮風造りの山城で、3層4階の上に物見を置くという変わった様式です。

 吉川広家が創建した当時の岩国城は、現在の岩国城より北に約50m離れた所本丸の北隅、旧山陽道が眼下に見える場所に築城されていたが、1962年(昭和37年)再建に当たっては、錦帯橋付近からの景観を考え現在の場所に移された。再建にあたり、古図面をもとに、模擬天守が外観復元されました。尚、旧天守跡は整備され、見ることが出来ます。

 城内の最上階の物見からは、錦帯橋、米軍基地や瀬戸内海の島々を展望することが出来ます。

  
 A 二の丸跡

  「 大釣井」の横にある階段を上がるか、「出丸」のある木の階段を上り、門をくぐれば、その広場が「二の丸跡」です。この広場より真正面に復興された岩国城が高くそびえ建っている。二の丸は長さ110m、幅50m余りある広い台地である。大手側と南側に当時の石垣が残っているが、上部が一部崩壊しているのは惜しまれます。


 B 旧天守跡
 
 岩国城は江戸時代には珍しく、山城に築かれた近世城郭です。この城郭は、毛利氏の一族吉川広家が1603年の着工、1608年に完成しましたが、1615年一国1城令により破却されました。城郭の中心となる天守台は古式穴太積み(こしきあのうずみ)と呼ばれる石積みを基本としながらも、戦国時代に地方独特の技術が加わった形で造られた構造物です。

 天守台の石垣は、大きめの石との隙間に詰めた小さな石からなり、隅石(すみいし)には算木(さんぎ)積みの技術が見られます。その隅石には、反りはなく、ほぼ直線状の稜線に仕上げれれており、見かけの美しさよりも構造力学上の安全性に重点を置いた造りになっています。これにより、戦国武将吉川氏の石垣の力強さをかいま見ることができます。

  
 C 空 堀

 岩国城は、江戸時代初期(1608年)に築かれた石造りの近世城郭です。この時代に築城された城郭の多くは平城で、岩国城のように山頂に城郭を築き、防衛を主体とした空堀を築造したものは、全国的に見ても極めて珍しい。

 この空堀は、幅約19.6m、深さ約10mと、日本最大の箱掘構造で、明らかに敵の鉄砲による攻撃を意識して造られたものです。石垣は空堀の部分には築城されてはいません。


 
 D 北の丸跡

 北の丸は、本丸の北東、空掘に挟まれた位置にあり、東矢倉、北矢倉が建てられていました。この台地は、東西に50m、南北に50mあり、樹木も少なく見通しがよい。北の丸の直ぐ北側には、創建当時の石垣が残っており、昔を偲ぶことが出来るので時間があれば探訪をお勧めしたい。
 北の丸跡は、現在公園となって、スベリ台があるので子供達の格好の遊び場となっています。

  
 E 歴史との出会い道

 ロープイェー山頂駅を降り、右側の整備された道を約3分歩くと、岩国城の要害の石垣があります。二の丸へ行く階段を登らないで、さらに右側の岩国城下の要害の石垣沿いに行くと、北の丸や空堀などの歴史との出会いが待っています。空堀から左側の旧天守跡の石垣に沿って行くと、修興された岩国城です。

 
  F 四阿 (あずまや)

 二の丸広場の南側にあずまやがあり、休憩が出来るようになっている。あずまやの前には、城山に四季に見られる草木と小鳥の写真パネルがあり、また 自然観察が出来ます。
 
  G 大釣井

    ロープウェーの山頂駅を降りて、右側のアスファルトの道を5分程度歩き、岩国城に行く木の階段の登る左側に大釣井があります。慶弔13年(1608)築城と同時に作られたものです。この付近は「水の手」と呼ばれ、山の尾根筋にあり、お城の水場として重要な所であった。「大釣井」の下の方に「古釣井」があるが、道が分かり難い。

  
 
H ロープウェー山頂駅

 吉香公園前の山麓駅から、標高約200mの城山の尾根の山頂駅まで約3分で結ぶ。吉香公園、錦川と錦帯橋、旧城下町から、遠く岩国基地、瀬戸内海の島々までの眺望が楽しめます。

 移動中は定員30名のゴンドラ内で、音声ガイドで簡単に岩国の歴史を紹介しております。

  
 I からくり時計台

 山頂駅前の広場「城山おもしろぱあく」の中央には、からくり時計の塔がそびえています。時を告げるときだけ、ガラスが透き通って中の人形仕掛けが見える不思議な時計。子供のための遊具や屋根付の休憩所、イベント用野外ステージなどもあり、ロープウエー搭乗時間まで退屈せずに過ごすことができます。

  
 J イベント広場


  このイベント広場には、「無形民俗文化財 岩国南条踊」の踊りの絵を埋め込んだプレートと説明文があります。南条踊は、1600年に吉川氏が岩国に移封するとともに、城下に伝えられてもっぱら藩士の子弟によって踊られた質朴ながら勇壮活発な踊りです。

 イベント広場を左側の舗装された道を下ると、20分程度で紅葉谷公園に着きます。右側の整備された山道を10分程度歩くと、護館神、更に15分程度山道を歩くと展望台に行くことが出来ます。

 
 K 護館神

 岩国初代藩主吉川広家が1603年から1608年にかけて築いた岩国城の石垣は、その南西の山並みに設けられた石切場から運ばれたもので,石質は石灰岩です。この城は1615年1国1城令で壊され、更に1637年の島原の乱後に破滅させられました。1783年2月17日に石切場跡に天狗堂が建立され、護館神が祀られました。

 この頃、飢饉、地震、火災などが続き、永年の悪弊も出て、藩政が乱れたため、藩政の中心であるお館(居館)を護り、城山を鎮めるためにも、勧請されたものと思われます。天狗堂には、妙福寺の勝軍地蔵が安置されていたことがあります。これは、広家が12歳の時に祖父の毛利元就よりもらったもので、戦場には身の側においたものであり、吉川家の武運長久の守護神とされました。

 
 L 岩国城 北の丸散歩道

 岩国城が今年で築城400年を迎え、岩国観光ガイドボランティア協会はより多くに人に城を知ってもらおう」と観光ガイドを実施しています。築城400年を記念して、会員で整備した「北の丸周辺散歩道」は、全長275m。当時の石垣がそのまま残っており、歴史を間近に楽しむことができる。手作りの階段を下りて行くと自然に包まれた道が続き、400年前の光景が楽しめます。是非、見に来てください。

 ロープウェーで山頂駅に降りると、ヒノキやブナの木が生い茂る城山です。右側に行けば、舗装された道でも山道でも、5〜7分で岩国城に着きます。最上階からは、眼下に錦川にかかる錦帯橋、その向うに米軍岩国基地や瀬戸内海に浮かぶ島々を望むことが出来ます。
 ロープウェーを降りて、からくり時計の前の左側の道を行くと、岩国城の石を切り出した護館神に行けます。
歴史的な史跡と森林欲を楽しんで下さい。

K 護館神へ       約10分

岩国城は、存在期間が短かった山上の要害並びに山下の御土居(どい)がありました。これらは、中世の山城・居館と変わりませんが、山上に天守、櫓、城門を建て、近世城郭の山城として築かれていました。

 山上の要害は1615年に早くも破却され、石垣の大半が崩壊されていますが、本丸を中心に二の丸、北の丸、水の手の四区画で固められていました。本丸はそのほぼ中央に位置して最も高く、その北側に天守が築かれていました。各曲輪の周囲に高さ3間ほどの石垣を構築し、本丸と北の丸の間に空掘がありました。本丸の奥部、北寄りに天守(現在の復興天守の位置は本丸入口寄り)、要所に東矢倉、北矢倉、後矢倉、竹谷矢倉が建てられていました。

岩国城の縄張り

B天守

本丸

岩国城よりの展望

岩国城周辺のみどころ

I

H

北の丸散策道

L

万徳院の谷

水の手

大手門

@天守閣
  (復興

東矢倉

C空堀

G大釣井

竹谷矢倉

後矢倉

北矢倉

D北の丸

A二の丸

出丸