岩国教会礼拝メッセージ

2023年12月3日(日)
礼拝メッセージ
2023年11月26日(日)
礼拝メッセージ
2023年11月19日(日)
礼拝メッセージ
2023年11月12日(日)
礼拝メッセージ

イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』。」

ヨハネによる福音書858

 

イエス様は、御自分を信じたユダヤ人を前にして教えておられます(31節)。しかし、彼らはイエス様の言葉につまずいて「石を取り上げ、イエスに投げつけようとした(59節)」と記されています。イエス様の本当のお姿が彼らには隠されていて見ることができなかったことがわかります。

人間の肉の目でイエス様を見るならば、イエス様の本当のお姿は見ることができません。神様は、人に信仰を与えて、聖霊の力によってイエス様がどのようなお方であるのかを、知ることを求めておられます。神様は私たちの目を開いて下さり、イエス様を心から信じるように招いてくださることを教えられます。

2023年11月5日(日)
礼拝メッセージ

しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。

ヨハネ福音書3章21節

 

イエス様は、ファリサイ派でユダヤ人の議員であるニコデモに教えておられます。彼は旧約聖書に記されている戒めを忠実に守る生活の中で、神様に対する渇きを覚えていたのではないかと思います。永遠の命への憧れ、天国に対する希望を持ってイエス様のもとを訪ねました。新たに生まれるためにはどうすればよいのか彼は知りませんでした。命の対する渇きをイエス様は、ご自身のもとに招き入れることによって癒してくださいます。イエス様は人々をまことの光の光である、ご自分のもとに集めてくださるお方であることを教えられます。

2023年10月29日(日)
礼拝メッセージ

モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。」

出エジプト記1413

 

民の指導者であるモーセは、恐れ逃げ惑う民に、神の言葉を語りました。エジプトから連れ出してくださる神様が共におられることを教えます。どこにも逃げ道がないと思う場所でも、人間的に考えて絶対にどうすることもできないと思える中で今を生きて働いておらえる神様に出会うことができる。それを知ることができるのがクリスチャンです。神様のなさり方は私たち人間に理解できないことが多いのです。けれど、それは、神様がおられない証拠ではありません。時が訪れることによって、神様の御業は必ず成し遂げられます。主イエス・キリストによる救いが私たちには与えられています。私たちは、与えられた救いを喜びながら、主が再び来てくださることを待ち望む信仰に招かれていることを教えられます。

2023年10月22日(日)
礼拝メッセージ

三原教会 李貴淑牧師奉仕

ハイデルベルグ信仰問答

  問110   第八戒で、神は何を禁じておられますか。

 答 神は権威者が罰するような 盗みや略奪を禁じておられるのみならず。暴力によって、または不正な重り、物差し、升、商品、貨幣、利息のような合法的な見せかけによって、私たちが自分の隣人の財産を自らのものにしようとするあらゆる邪悪な行為また企てをも、盗みと呼ばれるのです。さらに、あらゆる貪欲や神の賜物の不必要な浪費も禁じておられます。

 

新教新書 吉田 隆 訳

 

2023年10月15日(日)
礼拝メッセージ

その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた。

 

出エジプト記1242

 

神様は、イスラエルの民が、エジプトの奴隷の生活から自由にするために、眠ることなく、その民をも守ってくださったことが証しされています。その神様は、今も変わることなく、愛する者として、私たちに目を注ぎ、見守り続けてくださいます。このことを私たちも、いつも覚えるために、主の日ごとに礼拝をささげます。その信仰の群れが教会であることを覚えたいと思います。

2023年10月8日(日)
礼拝メッセージ

こう答えなさい。「これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである」と。

 

出エジプト記12章27節

 

モーセはイスラエルの長老を集めて彼らに教えています。小羊の血が流されたその犠牲と引き換えにイスラエルの民は、災いから助け出されました。神様の裁きがイスラエルの家を過ぎ越したのです。この出来事を記念して、神様は民に、永遠に守るべき定めとする事。このことを儀式として守るべきことが告げられます。そこに、神様の大きな変わることのない愛、イスラエルに対する愛が表されているからです。

神様は、今を生きる者たちのために、小羊に変えて、神の独り子、主イエス様をお与え下さり、その命を犠牲にしてくださいました。このことを覚えて礼拝をささげます。

2023年10月1日(日)
礼拝メッセージ

あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。
                   出エジプト記12章13節

 

神様はイスラエルの民をエジプトの国から救い出すために10の災いを行われました。その最後に行われた災いが、エジプトで生まれた最初の子供の命を取られるという者でした(11章)。この主の言葉は1229節で成就したことが記されています

この災いが起こる前に神様はモーセとアロンに命じて子羊を屠るように教えました。子羊の血が神様の災いを避けるしるしとなる事が告げられました。家の入口の柱と鴨居に子羊の血が塗られた家を主の使いが見たとき、それがイスラエルの民の家だと識別するためでした。イエス・キリストを信じる者たちのためのしるしとして神様は犠牲の小羊とされたことを福音書は私たちに教えています。

2023年9月24日(日)
礼拝メッセージ

その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去れせ、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」

出エジプト記51

 

モーセは、神様の言葉に励まされて、エジプトへ戻ることになりました。エジプトに到着するその前に、神様は兄のアロンと再会を与えてモーセに喜びを与えてくださいました。イスラエルの長老たちは、アロンの言葉を聞いて喜び、神様にひれ伏して礼拝をささげました(431)。

エジプトの王は、モーセとアロンの言葉に立腹して、これまで以上の労働をイスラエルの民に命じています。しかし、神様は、ご自分の強い御手によって救いが与えられることを信じるように教えています。

2023年9月17日(日)
礼拝メッセージ

さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。

                      出エジプト記4章12節

 

聖書が教える神様は、モーセを選び、イスラエルの民とエジプトの王のもとに派遣します。モーセはこの神の言葉を繰り返し逃れようとしますが神は忍耐強く、モーセを励ましてくださいました。神様はご自分の選びを変えることはなさいませんでした。この神様が、今、私たちを選び、召して下さり、神様を礼拝する者としてくださることを共に喜びたいと思います。

2023年9月10日(日)
礼拝メッセージ

神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」

出エジプト記312

 

エジプトのファラオから逃れて、ミディアンの地で羊を飼うモーセに神様は語りかけ、これから後の使命を教えておられます。モーセは神に対して「わたしは何者でしょう。どうしてファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さなければならないのですか(11節)。」と神様に尋ねています。若い日にモーセはイスラエルの人々のもとを去ることになった苦々しい思をしたことを思い出した事だと想像することができます。しかし、神様の計画は変えられることはありませんでした。神様は忍耐強くモーセに語り続けて下さり、モーセを用いて、民の先頭に立つ者にしてくださいました。

2023年9月3日(日)
礼拝メッセージ

女王は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げたのですから」

出エジプト記210節b

 

出エジプト記の第2章は、指導者モーセの出生とその命が守られて、エジプトの王女の子供となり、宮廷で育つことになったその事情を証言しています。

新約聖書はこのモーセについて度々言及して、神様の救いの約束が主イエス様によって、完成したこと、成就したことを教えています。

モーセは荒野において民にパンを与えたことに触れて、イエス様はご自分が命のパンであることを教えてくださいました(ヨハネ福音書635)。

私たちも、この主の日に、主イエス・キリストの命の糧をいただくことが許されていることをともに喜び、感謝をささげたいと思います。

2023年8月27日(日)
礼拝メッセージ

いかに幸いなことでしょう

主に感謝をささげることは

          詩編922

 

詩編92は「賛歌。歌。安息日に。」と表題が付けられています。ですからこの詩編は安息日の礼拝の時に、歌われた詩編であるということができると思います。詩人は、最初に、主なる神様に感謝することが、いかに人間にとって良いこと、正しいことであるかを賛美の言葉で告白します。そして、それは心から楽しむことができる幸いを告白する事でもありました。

詩人が喜びの中で、主なる神様を賛美し、感謝をささげることができた、その理由は、神様の御業を知らされていたからです。神様は、ご自分の民に神の御手による救いを教えてくださること。神様が私たちにかかわり続けてくださることを教えて、賛美をささげる者としてくださることを教えられます。

2023年8月20日(日)
礼拝メッセージ

御手がわたしを造り、固く立たせてくださいました。

あなたの戒めを理解させ、学ばせてください。

          詩編11973

 

詩編119編は、ヘブル語のアルファベット22文字により構成される技巧的な歌です。73節からは「ヨド」から始まる詩編ですが、ここでもほかの節と同じように、神様の言葉、神様の戒め、律法が詩人を慰め、恵みを与えるものとして賛美されます。神様はご自身を啓示されるとき、戒め、律法、命令、掟によって信仰者を導くお方です。私たちも神様のみ言葉によって、導かれることを喜びとして、歩みたいと思います。

2023年8月13日(日)
礼拝メッセージ

主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。」                       ルカによる福音書1242

 

イエス様は、弟子たちに譬え話を教えて、主人の帰りを用意して待つことを教えてくださいました。イエス様の来臨は、必ず起こることですが、それが何時なのかは、誰も知らないからです。イエス様は、弟子たちを祝福して、忠実な良い僕として生きる道を示してくださいました。それは、イエス様の与えてくださる恵であり、また、賜物でもありました、良い僕は主人の思いを知り、主人の願いに答えて生きる者です。イエス様は、弟子たちに良い僕として生きる喜びを教えてくださいます。

2023年8月6日(日)
礼拝メッセージ

わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。

「あなたのうちに平和があるように。」       詩編1228

 

詩人は「主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった。」(1節)と告白しています。人々がイスラエルの神殿に集まり、神様を礼拝することができる喜びを感謝して賛美する詩人の姿を想像することができます。詩人は、神様がこの神殿での礼拝を祝福して下さり、人々の中に平安が与えられ平和が実現することを祈ります。イエス様は神の言葉をしたい求める者たちに幸いがあることを教えてくださいます。

2023年7月30日(日)
礼拝メッセージ

あなたの慈しみに依り頼みます。

わたしの心は御救いに喜び踊り

主に向かって歌います。

「主はわたしに報いてくださった」と。          詩編136

 

詩人は苦しみの中で、主に助けを求めて祈ります。しかし、苦しみの中で、心の中に喜びが与えられ、賛美の歌が与えられる喜びを詩人は知りました。この詩人のように、主の救いを私たちも共に喜ぶ信仰に召されていることを教えられます。

2023年7月23日(日)
礼拝メッセージ

神に従う人のためには光を

心のまっすぐな人のためには喜びを

種蒔いてくださる。               詩編9711

 

この詩編は「主こそ王」と主なるイスラエルの神が王と呼ばれるお方であることを宣言して始まります。それは、イスラエルだけの王でなく、「全地に君臨されるいと高き神。神々のすべてを超え、あがめられる神。」(9)と賛美されています。この全世界を統治される主なる神様が本当の人そしてこの世界に来てくださったことを福音書は、私たちに教えています。主イエス様が王としてメシヤとして来てくださったことを私たちも賛美したいと思います。

2023年7月16日(日)
礼拝メッセージ

主よ、わたしを見捨てないでください。

わたしの神よ、遠く離れないでください。

詩編3822

 

詩人は、自分の罪を自覚して、主の怒り、主の懲らしめが自分に臨んでいることを知ります。その苦しみの中でも主を呼び求めることをやめることはありません。自分を救い助けてくれるものは他にないことを詩人は知っていました。「主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。わたしの主よ、わたしの神よ(16節)」と自分と神様との関係が失われてはいないことを信じて神様に呼びかけています。私たちも苦難の中で、このように祈ることができることを教えられます。

2023年7月9日(日)
礼拝メッセージ

「主よ、あなたに並ぶものはありません。

 貧しい人を強い者から、貧しく乏しい人を搾取する者から

 助け出してくださいます。」

詩編35:10

 

詩人は、人生の危機の最中で、まことの神様により頼むことを教えています。神様の大きさと広さ高さを賛美して、この神様が、私を救い助けるために働いて下さり、御業をなしてくださることを祈ります。私たちも、この詩編の記者のように、神様により頼み、祈るべきことを教えられます。

2023年7月2日(日)
礼拝メッセージ

地の果てまで、すべての人が主を認め、御許に立ち返り、国々の民が御前にひれ伏しますように。               

詩編22:28

 

この詩編の祈りは、神様の救いが地上のすべての人々に注がれ、全世界で神様が賛美され崇められますようと祈られています。そしてそれは、初代教会の使徒たちの宣教によって始まり、それが、今の時代につながっていることを思い出します。そして、いろいろなメディア、情報伝達の手段によって、今日のすべての人々に福音が宣べ伝えられるようになりました。そして、現代の私たちは、より広い世界、この日本の隅々にまで福音の宣教を祈ることが課題として与えられていることを教えられます。

2023年6月25日(日)
礼拝メッセージ

躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり、踊ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入っていった。

使徒言行録38

 

美しい門と呼ばれていた場所で足が不自由であるために、物乞いをしていた一人の男は、イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩くことができる者に変えられた出来事をルカは、書き記しています。この出来事をきっかけに弟子たちは神殿で教え、最高法院の裁判の席で、証言することになりました。神様は、この弟子たちに力を与え、イエス・キリストを伝道するものにしてくださいました。神様の恵みは、今も私たちに注がれ、御霊の力によって、イエス・キリストを証しする知恵と力を与えてくださることを教えられます。

2023年6月18日(日)
礼拝メッセージ

神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

使徒言行録2:47

 

教会の群れは、このペンテコステの出来事以来、一つに集まり、心を一つにして神の宮に集まることを喜び、祝福として捉えていたことがわかります。神様が弟子たちを通して働いてくださることが教えられています。教会に集まる人々は神様をほめたたえることを知り、喜びに満ちた食卓の共同体を形造り、礼拝を続けました。私たちの礼拝も、この弟子たちと同じ伝統に立つ礼拝の群れであることを教えられます。

2023年6月11日(日)
礼拝メッセージ

この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。

使徒言行録2:39

 

ペトロの話を聞いていた人々の反応について、ルカは記しました。「わたしたちは、どうしたらよいのですか」と人々はペトロに質問しました。神の言葉を聞く人々の中に聖霊なる神様は働いて、人を新しく造り変え神様の言葉に従順に聞き従うものとしてくださることを教えられます。それは、永遠の命を与えてくださる神様に喜んで従う僕の姿でもあります。神様は、賜物として聖霊を与えてくださることをペトロは告げます。神様と関係なく生活していた人間に神様は語り掛け、呼び集め、ご自分の民として祝福してくださることを教えられます。

2023年6月4日(日)
礼拝メッセージ

だから、イスラエルの全家は、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。使徒言行録2章36節

 

ペトロは弟子たちを代表して、人々の前でイエスがキリストである事を証言しています。新しいぶどう酒に酔っているとあざける人々の前でイエス・キリストを語る事は、聖霊の力によるものでした。イエス様の約束が五旬節の祭りの時に実現しました。いまもイエス様を信じる者たちに父なる神様は助け主として、神の霊を注いでくださる事を教えられます。主を信じて生きる人々を神様は強くしてくださり、ますます神様を信頼して生きる者に変えて下さる事を教えられます。

2023年5月28日(日)
礼拝メッセージ

突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。使徒言行録22

 

イエス様の復活を教えられた弟子たちは、イエス様の言葉に従ってエルサレムの都にとどまり続けていました。そして、五旬祭の日を迎えました。

この時、弟子たちは一つの家に集まり、心を合わせて熱心に祈っていた(14節)と思われます。「一同が一つになって集まっている(1)」そこに、神様の御霊は降りました。それは、「激しい風が吹くような音であり」、「炎のような舌」の形として弟子たちには感じられるものでした。主の言葉を信じて祈る者たちは、心も体も揺り動かされる体験をしました。そして、彼らは、神様の御業を語る者になりました。神様の与えて下さる救いを喜ぶ者に神様は変えて下さることを教えられます。

2023年5月21日(日)
礼拝メッセージ
2023年5月14日(日)
礼拝メッセージ

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。

使徒言行録18

 

復活されたイエス様は40日にわたり弟子たちに永遠の命の確かさを教えて下さいました。弟子たちは、この時、イスラエルの再建を願っていました。しかし、イエス様はその弟子たちの願いを退けて、弟子たちが今なすべき務めを教えて下さいます。イエス様は弟子たちにイエス。キリストの証人として生きる事を求めておられます。そして、それは聖霊に力を受ける事によって行われる事である事が教えられます。私たちもイエス様が再び来て下さる事を待ち望みながら生きる事を教えられます。

2023年5月7日(日)
礼拝メッセージ

イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。

マタイ福音書2818

 

復活されたイエス様は、エルサレムで弟子たちに姿を示された後で、ガリラヤにおいても、復活の確かさを教えて下さいました。ガリラヤ地方は弟子たちが最初にイエス様と出会った場所であり、イエス様に招かれて、弟子となった所でした。弟子たちはその原点に立ち返る必要があったのです。復活されたイエス様は、もう一度山の上で弟子たちに出会って下さいました。弟子たちはイエス様との出会いを心から喜んだ事でしょう。そこでイエス様は弟子たちにこれから行うべき、使命を与えて行かれました。イエス様は弟子たちを宣教に派遣します。それはマタイ福音書10章に記されていた派遣の言葉を思い起させるものです。

イエス様によって教会は「鍵の権能」を与えられています(マタイ16181818)。イエス様は力を与えて遠くに行かれたのではないことが告げられています。イエス様は、いつも変わることなく、私たちのそば近くにともにいて下さるお方です。そのお方に感謝と賛美をささげます。

 

2023年4月30日(日)
礼拝メッセージ

一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。

ルカによる福音書24章30節

 

よみがえられた主イエス様は、エマオの弟子たちと共に食事の席について下さいました。その席で、イエス様は家の主人が客に対してするように、パンを裂いて分け与えました。その姿は、5千人の給食、2千人に給食の時のようであり、また、最後の夜の聖晩餐の時のようでもありました。弟子たちは、その姿や様子を見たとき、はじめてそこにおられるのが、ただの旅人ではなく、自分たちがいつも一緒にいたイエス様であることが分かりました。イエス様は心の鈍い者、頑なな心の者の心を変えて下さり、イエス様を知る者にしてくださり、親しいイエス様の交わりの中に入れて下さる事を教えられます。

2023年4月23日(日)
礼拝メッセージ

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」
                    ヨハネ福音書20章29 

弟子たちはイエス様の十字架の死を知り、絶望に心が閉ざされていました。そのために、イエス様の復活の出来事を婦人たちが伝えても信じる事ができませんでした。その弟子たちの前にイエス様ご自身が復活の姿を示してくださいました。主イエスさまの復活を信じる事が出来ない人間の中にイエス様は入って行かれます。そして、主を信じる心を持たせてくださいます。イエス様の出会いによって、弟子たちは復活の希望と永遠の命を教えられました。イエス様は、私たちも信仰をもって生きる事が出来る事を教えて下さいます。

2023年4月16日(日)
礼拝メッセージ

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」
                    ヨハネ福音書20章29 

弟子たちはイエス様の十字架の死を知り、絶望に心が閉ざされていました。そのために、イエス様の復活の出来事を婦人たちが伝えても信じる事ができませんでした。その弟子たちの前にイエス様ご自身が復活の姿を示してくださいました。主イエスさまの復活を信じる事が出来ない人間の中にイエス様は入って行かれます。そして、主を信じる心を持たせてくださいます。イエス様の出会いによって、弟子たちは復活の希望と永遠の命を教えられました。イエス様は、私たちも信仰をもって生きる事が出来る事を教えて下さいます。

2023年4月9日(日)
礼拝メッセージ

すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
                    マタイ福音書28章9節 

復活されたイエス様は、その姿を弟子の婦人たちに表して下さいました。彼女たちはいつも聞いていたイエス様の声をもう一度聞くことができた喜びに満ちていたと思います。しかし、その一方で十字架の上で殺され、墓に葬られたことも、自分たちは目の当たりにしていました。この時のマリアたちの心の中は恐れと不安と喜びが混在していたのではないでしょうか。イエス様は、そんな彼女たちの心を知って「恐れる事はない」と語りかけて下さいます。今もイエス様は私たちの心から恐れを取り去り、イエス様の言葉を聞いて、従う者にしてくださる事を教えられます。

2023年4月2日(日)
礼拝メッセージ

百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろな出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
                 マタイによる福音書27章54節 

主イエスの十字架を目撃した人々の中にイエス様を神の御子と告白する人が起こされた事を福音書記者のマタイは記しています。この人々はユダヤの律法を学ぶ人ではなく、異邦人である百人隊長と見張りをしていた兵士たちでした。天の父なる神様は、御子の最後の時においても、信仰を与え、信じる心を与えて下さるお方である事を教えられます。私たちも、御言葉を通して、この十字架の主イエス様こそが本当の神の御子、キリストであることを告白し、賛美したいと思います。

2023年3月26日(日)
礼拝メッセージ

父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願どおりではなく、御心のままに。
                  マタイ福音書26章39節後半 

主イエス様は弟子たちと共にゲッセマネという園に来られました(36節)。「ゲッセマネ」というのは「油絞り」という意味で、オリーブ山のふもとにあった園の名前でした。ここはイエス様がいつも祈りの場として弟子たちと度々いかれたところでした(ルカ2239、ヨハネ182)。御父と親しい交わりの中にあったイエス様にとって、この十字架は最も大きな試練でした。イエス様はこの苦しみに対して祈りによって立ち向かわれたことを福音書は証ししています。「この杯」という言葉は、神様の怒りと裁きを象徴しています。イエス様はこの裁きを罪人の身代わりとしてお受け下さいました。イエス様は祈りによって勝利され、自らの決意によって十字架への道を進んでくださいました。ここに、私たちの感謝と喜びがある事を教えられます。

2023年3月19日(日)
礼拝メッセージ

神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。
            コリントの信徒への手紙2 1章20節 

パウロはコリントの教会の人々に個人的な弁明をする必要を感じてこの手紙を書いたようです。パウロの伝えたキリストの教えである福音から離れてしまう人々があったことが理由でした。人間の考える事、計画する事は変えられることがありますが、神様の考えと計画は決して変えられることはありません。そのことをパウロはここに書き記しています。イエス様が与えて下さった神様の約束は今の時、すでに成就している事を教え、それを信じるようにとパウロは語ります。キリストの十字架がそれを証言している事を私たちは教えられます。

2023年3月12日(日)
礼拝メッセージ

わたしたちは、教会の暦に従って、受難節の時を過ごしています。寒さが厳しかった季節も過ぎ去り、光と共に、鳥たちの鳴き声も聞かれる季節を迎えています。ヨハネ黙示録はこの世の終わりについて、神の国の到来について教会の人々に教えています。今の世界は戦争と多くの災害によって人々の命が失われている世界のように私たちには見えます。けれども、聖書はこのような現実の中でも、神様のご支配の確かさと神様が人々の命を大切に思い、いつくしんでくださる御方であることを教えています。私たちも、神様が見ておられる、その視点によって世界を見る事が出来るようにお祈りいたしましょう。

2023年3月5日(日)
礼拝メッセージ

わたしたちは、教会の暦に従って、受難節の時を過ごしています。寒さが厳しかった季節も過ぎ去り、光と共に、鳥たちの鳴き声も聞かれる季節を迎えています。ヨハネ黙示録はこの世の終わりについて、神の国の到来について教会の人々に教えています。今の世界は戦争と多くの災害によって人々の命が失われている世界のように私たちには見えます

けれども、聖書はこのような現実の中でも、神様のご支配の確かさと神様が人々の命を大切に思い、いつくしんでくださる御方であることを教えています。私たちも、神様が見ておられる、その視点によって世界を見る事が出来るようにお祈りいたしましょう。

2023年2月26日(日)
礼拝メッセージ

「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
                  ローマの信徒への手紙1012 

パウロはローマの教会の人々に律法による救いではない。神様の愛と恵みによる救いを教えています。「キリストは律法の終わりとなられた(4節)」と記しています。キリストが律法の終わりとなって下さり、福音を啓示してくださることによって新しい時代が始まっている事をパウロは教会の人々に教えています。神様は救いのためにすべての隔ての壁を取り除いてくださいました。ユダヤ人とギリシャ人の区別は無くなり、すべての人に同じ主がおられる時代が始まりました。私たちも、この同じ主によって神様の恵みの中に招かれている事を教えられます。

2023年2月19日(日)
礼拝メッセージ

ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」
                      使徒言行録36 

神殿の門の前に人々の施しを求めて置かれていた人がありました。それはこの人にとってとてもつらい日々でした。使徒ペトロとヨハネは彼を見つめて立ち上がる力を持たせました。この奇跡は、イエス・キリストの名によって行われた奇跡でした。イエス様の名が告げられることは、そこにイエス様ご自身が生きて働いてくださることが意味されています。弟子たちは自分たちがイエス・キリストの名によって生かされている事を証言する者として語りました。私たちはこの出来事が今も教会の業として救いを求める人々の間で行われている事を教えられます。

2023年2月12日(日)
礼拝メッセージ

ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」
                使徒言行録36 

神殿の門の前に人々の施しを求めて置かれていた人がありました。それはこの人にとってとてもつらい日々でした。使徒ペトロとヨハネは彼を見つめて立ち上がる力を持たせました。この奇跡は、イエス・キリストの名によって行われた奇跡でした。イエス様の名が告げられることは、そこにイエス様ご自身が生きて働いてくださることが意味されています。弟子たちは自分たちがイエス・キリストの名によって生かされている事を証言する者として語りました。私たちはこの出来事が今も教会の業として救いを求める人々の間で行われている事を教えられます。

2023年2月5日(日)
礼拝メッセージ

兄弟たち、あなたがたのためを思い、わたし自身とアポロとに当てはめて
、このように述べてきました。それは、あなたがたがわたしたちの例から
、「書かれているもの以上に出ない」ことを学ぶためであり、だれも、一
人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないようにす
るためです。

                 コリントの信徒への手紙一46 

 この手紙を書いたパウロは第3回伝道旅行(使徒言行録18117)の事を思いながらこの手紙を書きました。コリントの町で御言葉の種まきを行った後で、伝道者アポロが来て、コリントの教会を成長させたことが36節に記されています。コリントの教会は成長と共に信徒の間で誰から信仰を学んだのかで分裂と争いが起こるようになりました。熱心に信仰生活を送っている人々の中でこのような問題が起こることがある事を知らされます。しかし、パウロは自分の姿を示して、「わたしに倣う者になりなさい(16)」と教えています。キリストに罪を赦された者たちとしておごり高ぶる生活からキリストを信頼して生きる生き方に変えられることが求めてられている事を教えられます。

2023年1月29日(日)
礼拝メッセージ

神よ、神殿にあってわたしたちはあなたの慈しみを思い描く。
                      詩編48:10

 

詩人は神の都、シオンの山で神様を礼拝する事ができる喜びを賛美します。神様はエルサレムの神殿において、ご自身を表す事を約束してくださいました。申命記12章には聖なる献げ物を携えて、主の選ばれた場所に行くことが定められています。ソロモンは神殿を建築した後、神様に祈り「昼も夜もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここは「わたしの名をとどめる」と仰せになったところです。と祈りました。旧約の時代、神殿は神様の臨在を表す祝福の場所であった事を教えられます。神様は心から神様を信じて信頼する者たちの祈りに耳を傾け、祝福を与えて下さる事を教えられます。

2023年1月22日(日)
礼拝メッセージ

ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる正しい人々の集い、会衆のなかで。
                       詩編111編1節

この詩編の作者は誰であるか、どんな時代背景があるのか、はっきりとしたことはわかりません。しかし、信仰によって神様がイスラエルの民を奴隷の地から救い出し、神様の約束された乳と蜜の流れる約束の地に導き入れてくださったその歴史的な事実を感謝し、賛美をささげていることがわかります。「主の命令はすべて真実(7節)」と歌われています。主の約束を私たちも信じて従うように招かれていることを教えられます。

2023年1月15日(日)
礼拝メッセージ

わたしはこの地の信頼のおける人々に目を留めわたしと共に座に着かせ完全な道を歩く人を、わたしに仕えさせます。
                                 詩編 1016 

詩編101は、完全な道についての賛美です。それは王となったダビデの信仰の告白でもあります。王であるダビデは「慈しみと裁きをわたしは歌い、主よ、あなたに向かって、ほめ歌うたいます(1)。」と告白しています。「慈しみと裁き」とは、主なる神様がどのようなお方であるのかを表す言葉です。ダビデは若い時は羊飼いとして働いていました。大切な自分の羊の世話をする中で、自分が信じている神様の慈しみがどれ程大きなものであるかを示された事でしょう。詩人であるダビデは主の神殿がおかれたシオンの山に神様の祝福があり、共に神の家に生きる事が許されている事を感謝して賛美しているのです。

2023年1月8日(日)
礼拝メッセージ

どうか、主の栄光がとこしえに続くように。
主がご自分の業を喜び祝われるように。
                               詩編 10431
 

旧約聖書の詩人は、神様による天地創造の御業について感謝と賛美を表現しています。創世記の1章に記されている天地創造の物語がこの詩編の言葉によって更に豊かにされています。神様を信じる信仰がない世界は、混沌とした世界です。希望を持つことはできません。真の神様を知るときに、神様の摂理の御業を知ることが出来るようになり、さらに、今の時も神様はその力ある御腕によって、私たちを祝福し、必要を満たし、導いて下さる事を教えられます。

2023年1月1日(日)
礼拝メッセージ

彼らはいよいよ力を増して進み、ついに、シオンで神にまみえるでしょう。
                      詩編 84:8

新年、あけましておめでとうございます。
新しい年を迎えました。今年も一年、主の恵みを豊かにいただき、主と共に歩むことができるように祈りたいと思います。この詩編は神の宮の建つシオンを歌う詩です。「都に上る歌」の表題は付けられていませんが、内容的にはエルサレム巡礼の歌といえると思います。主の家に住むことができる幸いが賛美されています(5節)。私たちも、祝福のあふれる主の家に毎週招かれていることを賛美して、この年も過ごせるように祈りたいと思います。

2022年12月25日(日)
礼拝メッセージ
「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さい者。お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。」
                    ミカ書5章1節

 マタイ福音書は預言者ミカの言葉を引用して、メシヤ誕生の預言の成就を私たちに教えています。クリスマスの季節、私たちは主の誕生だけに注目することなく、ここから始まる主イエス様のご生涯に目を向け、十字架と復活を思いながら、クリスマスの出来事を感謝したいと思います。
2022年12月18日(日)
礼拝メッセージ
その日が来れば、エッサイの根は、すべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。
                    イザヤ書11章10節

 預言者イザヤは、南ユダに対して神の言葉を告げる預言者ですが、そこで告げられた言葉は、南ユダ王国を対象としたものではなく、全世界に対する神様の計画が告げられています。イスラエルの主なる神様は、天地、万物を支配される真の王であることが教えられています。エッサイの根から生まれる新しい王は、正義と真実によって世界を導く王様であると告げられます。この王を私たちは待ち望むことを教えられます。
2022年12月11日(日)
礼拝メッセージ
主はお前に対する裁きを退け、お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。
                   ゼファニヤ書3章15節

 預言者ゼファニヤは南ユダの指導者、自己満足している民に「主の怒りの日」裁きの日が近づいている事を預言しました。「わたしは地の表から、すべてのものを一掃する、と主は言われる(1:2)。」それは、ノアの大洪水を想い起こさせる言葉でした。ノアの時代のように、人々が、まことの神様を求めず、偶像礼拝と信仰の混乱が起こっていた事を表しています。ゼファニヤは神様の終末的な裁きの預言を語りました。そして、3章の後半では、神様の救いの約束が告げられています。預言者は、神様が正しい信仰を求めているお方であることを告げる一方で悔い改め、神様の所に立ち返る者を赦し祝福を与え、喜びに満たして下さるお方である事を教えています。
2022年12月4日(日)
礼拝メッセージ
わたしは、あなたたちと、とこしえの契約を結ぶ。ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。
                     イザヤ書55章3節

 神様はご自分の約束のゆえに、イスラエルの民に対し、預言者を通して繰り返し救いの確かさを教えて行かれました。「救い主・メシア」に関係した預言は、その時代ごとにいろいろな形で語られました。預言者イザヤの告げたメシア預言はイエス・キリストの誕生によって成就されました。このことによって「神の言」の真実が明らかにされました。神様の約束は、今も変わることなく、私たちにも与えられている事を教えられます。
2022年11月27日(日)
礼拝メッセージ
「見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる」
                   エレミヤ書33:14

 預言者エレミヤは、神様の裁きの中にある民に対して恵みの回復を語ります。民は王国の滅亡とバビロン捕囚の苦難の中に置かれていました。自分たちが信じている神様はバビロン帝国の神様に負けてしまう弱い神様と思っていました。しかし、南ユダ王国が滅ぼされたのは、人々の罪の結果であり、不信仰の為でした。エレミヤはこの民に向かって、神様の計画を告げています。ダビデに約束された、その約束を果たす時が来ると語ります。救い主の誕生は「公平と正義をもたらす」のです。十字架を担い、死んで復活されたイエス・キリストの誕生を私たちは心から感謝したいと思います。
2022年11月20日(日)
礼拝メッセージ
イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。
                      サムエル記下5:3

 ダビデは、青年の時代にサムエルによって王となるための油の注ぎを受けました(サムエル記上16:13)。けれども、すぐに王様になる事はできませんでした。ダビデは最初の王様サウルの家臣として王に仕えましたが、人々の間で評判になると、サウル王に命を狙われ、逃亡生活を余儀なくされました。イスラエルの全土の王として認められたのは38歳の時(5節)でした。神様はダビデにイスラエルの王となるための準備の時を与えて訓練して行かれました。大切な王としての務めを果たすために、ダビデは忍耐と神様を信頼する事を学びました。
2022年11月13日(日)
礼拝メッセージ
神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」
                     出エジプト記3:5

 イスラエルの民の苦しみを神様は、知らないのではない。神様は既に民を救う方法を準備しておられました。民を救い出す指導者としてモーセを選ばれただけでなく荒れ野で神様は、モーセを訓練し、将来の備えをしておられました。モーセは王宮から逃れて、40年間ミディアンの土地で羊飼いをしていました。40年の羊飼いとしての生活は神様がモーセを神の民を導く羊飼いとして訓練された事が分かります。神様はご自分の愛する民を救いに導くために民が助けを求めるその前から、すでに準備を進めて下さり、時の満ちるのを待ってくださっている事を教えられます。
2022年11月6日(日)
礼拝メッセージ
主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。
                     創世記13:14

 神様は、アブラムを祝福して「あなたの子孫は大地の砂粒のようにする」(13:16)と約束してくださいました。神様はまた、アブラムにあらわれて「あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。(17:5)」と告げられまました。しかし、アブラハムは長い旅の生活で神様の言葉を信じる事が出来ず神様を笑い,ひそかにつぶやきました。「百歳の男に子供が生まれるだろうか、九十歳のサラに子供が産めるだろうか。(17:17)」神様は、不信仰に傾く人間に神の言葉を聞かせ、神の言葉を信じる信仰を持たせてくださいました。アブラハムが立派だから神様は信仰の父としたわけではありません。神様は、ご自分の約束の言葉に忠実であるからこそ、その約束を変える事をなさらない事を教えられます。
2022年10月30日(日)
礼拝メッセージ
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。」
                     マタイ福音書25:1

 イエス様は主の再臨について譬えによって教えて下さいました。「あなたがたは用意をしていなさい。人の子は思いがけない時に来るからである(24:44)。」と教えた言葉をさらに説明するようにしてイエス様はこのたとえ話をされました。「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから(13)。」イエス様は弟子たちが主を再び来られるときの準備をして待つことを求めておられます。主が来られた時に準備が整っているのを見て頂ける者の幸いを教えて下さいます。天に国はイエス様によって既に準備が整っています。そこに信じる者を招きいれて下さるのはイエス様です。私たちは安心して天の御国を待ち望む事が出来る恵みを感謝いたします。
2022年10月23日(日)
礼拝メッセージ
「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。
                   マタイ福音書24:45

 イエス様は主の再臨について教えて下さいました。それは、滅びの時、裁きの時でもあります。イエス様を信じる者たちは終わりの時に忠実な僕として主人の言葉に従って生きる恵みを与えてくださいます。主人の帰る時を知らない私たちを イエス様は恵みによって決して変わる事のない命の言葉を持たせ、忠実な僕として生きる喜びに導いて下さる事を教えられます。
2022年10月16日(日)
礼拝メッセージ
偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。
                   マタイ福音書24:24

 イエス様は地上の歩みの最後に、弟子たちに対して世の終わりの時について教えています。その時は多くの苦しみが伴うもので、忍耐が必要である事が告げられています。信仰をもってこの世界を生きるために祈りが必要です。「神がその期間を縮めてくださらなければ、だれひとり救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めて下さる(22節)」と告げられています。主イエス・キリストを信じる者たちのために、神様は希望を与えて祈りの心を持たせてくださる事を教えられます。
2022年10月9日(日)
礼拝メッセージ
本日は岡本紳次郎神学生による説教がありました。


説教箇所;ルカによる福音書7:11〜17
2022年10月2日(日)
礼拝メッセージ
イエスがオリーブ山に座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
 
                     マタイ福音書24:3
 
 弟子たちはイエス様に、この世の終わりの到来について質問しました。しかし、イエス様は、世の終わりの時期ではなく、弟子たちは、準備をしてその時に備えることが求められている事を明らかにしてくださいます。主が再び来て下さるその時に、備え、準備して生活することが弟子たちの生き方である事を教えられます。
2022年9月25日(日)
礼拝メッセージ
エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。    
                    マタイ福音書23:37
 
 「石で打ち殺す」というのはユダヤ教の刑罰で、偶像礼拝者、口寄せ、霊媒者、偽預言者に対する死刑を意味しています。イエス様はユダヤ人にとっては石打ちの刑に値する者として見られていました。しかし、反対にイエス様は旧約聖書のイザヤ書31:5節に見る事が出来る神様の見守りを譬えによって語られました。愛する子どもの命が失われることは、親にとっては耐え難い苦しみです。「わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。」と告げられています。イエス様は人々を憐れみ、慈しみの心からご自分の近くに愛する者たちを集めて下さる事を教えられます。
2022年9月18日(日)
礼拝メッセージ
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をもはいらせない。

                   マタイ福音書 23:13

 イエス様は「過越の祭り」が準備れているエルサレムの神殿で最後の説教を人々に聞かせて下さいました。それは、審判を告げるものでした。イエス様の言葉に聞き従うことができない不信仰な人間の姿をイエス様は見ておられます。それは不幸でしかありませんでした。イエス様の言葉によって私たちも自分たちの姿を教えられ、悔い改めて、神様の恵みのもと主の十字架の前に信仰によって立つことをイエス様は私たちに求めておられる事を教えられます。
2022年9月11日(日)
礼拝メッセージ
だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、かれらの行いは、見倣ってはならない。
                   マタイ福音書23:3

 イエス様は、ファリサイ派や律法学者が教える律法を否定することはありません。「彼らの言う事はみな行いなさい」と群衆と弟子たちに教えています。しかし、彼らの行い、生活をマネすることは否定されました。自分たちを大きく見せることがないように、「あなたがたのうちで一番偉い人は、仕える者になりなさい(11節)」と命じられています。イエス様が弟子たちに教える生き方は、自分を小さくし、神様を大きくする生き方です。自分の本当の姿を知る者は、自分を大きくすることができません。自分の罪の大きさを知らされるからです。私たちも、イエス様の前に、自分の小ささを認めて、神様を賛美する事を喜ぶ者でありたいと願わされます。
2022年9月4日(日)
礼拝メッセージ
ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。
                マタイ福音書22:41

 イエス様がエルサレム神殿におられた時、ファリサイ派の人々、サドカイ派の人々がイエス様を試みて、質問を繰り返しましたが、彼らが質問を終えると今度は、主イエス様が、ファリサイ派の人々に質問しています。「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」とお尋ねになりました。彼らは「ダビデの子です」と答えました。それは、預言者たちがダビデの子としてメシアが来られることを告げていたからでした。人々は預言者の言葉を根拠として、メシアを待望しました。しかし、イエス様の姿には、ダビデの子としての風貌や威厳を見る事ができませんでした。イエス様の周りにいるのは、かつての漁師であり、徴税人であり、病気を患っていた人々でした。私たちも主の近くに招かれたものである事を教えられます。
2022年8月28日(日)
礼拝メッセージ
イエスは言われた。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」
                マタイ福音書22:37

 律法学者は、イエス様を試みて最も重要な掟は何かと質問します。その問いにイエス様は答えて下さいました。神を愛すること、隣人を愛する事を教えてくださいます。けれども、人間は神様を愛する事よりも、神様を憎むことに心が傾いていることを教えられます。人間は自分中心にしか生きることができませんでした。その人間を救うためにイエス様は十字架へと進まれました。イエス様は、神様の計画に従順に従うことによって、神様の御心に従うこと神様を愛する事を示してくださいました。
2022年8月21日(日)
礼拝メッセージ
イエスはお答えになった。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。」
                マタイ福音書22:29

 現代社会に生きる、私たちは復活についてどのように信じているでしょうか。聖書に登場するサドカイ派の人々は、使徒言行録23章8節で復活を否定する人々であったことが記されています。このことからサドカイ派の人々は今日の人間のように現実主義であり、合理的に信仰をとらえていた人々でした。その人達に主イエス様は教えておらせます。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている」と告げられています。イエス様の言葉を正しく聞かない者たちは、正しく聖書を知ることができません。真の神様を知ることができない事を教えられます。十字架の死を前にしたイエス様は、論争を挑む者たちに忍耐強く教えてくださいます。聖書が告げる神様は、イエス・キリストをこの世界に派遣してくださった神であり、主の十字架と復活、昇天を教えてくださるお方である事を私たちは覚えて、感謝をささげたいと思います。
2022年8月14日(日)
礼拝メッセージ
「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
                マタイ福音書22:21b

 イエス様はエルサレム神殿で、ファリサイ派の人々、ヘロデ派の人々に教えています。彼らは、イエス様の言葉尻をとらえて、罠にかけようと企てる者たちでした。主イエス様の言葉は、彼らの想像するものではありませんでした。彼らは驚きのために立ち去る事しかできませんでした。イエス様は、人間が本来のあるべき姿について教えています。聖書が教える神様は、天地万物を創られたお方です。そして今も、支配し、導かれるお方です。皇帝も王も世の支配者は、この神様の権威のもとに置かれている事を忘れてはなりません。私たちも、この世の支配者に囚われる事から自由にされている事を感謝したいと思います。
2022年8月7日(日)
礼拝メッセージ
招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。
                マタイ福音書22:14

 イエス様は神殿で、礼拝する人々に譬えを用いて教えておられます。ここで語られた話は、旧約聖書を知る人々にとっては、よくわかる事でした。王様は婚宴のために婚礼の礼服を用意して、それを着て、祝いの席に着くようにと招いてくださいます。しかし、人間の側にこれを拒み、神様の招きを無視して生きようとする愚かさを持っています。神様はどんなに大きな犠牲を払って、救いを用意し、準備してくださったかを理解する力が人間の側にないためです。主イエス様は、このような者たちのために、忍耐強く教え続けて下さることを知ることができます。
2022年7月31日(日)
礼拝メッセージ
だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。
                マタイ福音書21:43

 主イエス様は、罪を認めて悔い改めることができない、祭司長や民の長老たちに語ってくださいました。人間は自分が神様の御前に立つことが出来ない罪人であることを認める事が難しい事を教えられます。人間はブドウ園で働く労働者のように自分たちに益となる事をやめる事が出来ません。イエス様は御言葉をしたい求め教会に集まる者の救いのためにユダヤ人指導者たちとの間に溝を深め十字架に向かって進まれたことを教えられます。
2022年7月24日(日)
礼拝メッセージ
兄は「いやです。」と答えたが、後で考え直して出かけた。
                 マタイ福音書21:29

 主イエス様は、祭司長や民の長老たちが自分の立場を守る事を大切にして生活している事に気付くことができるように、たとえ話を語ってくださいました。彼らが考え直す事をイエス様は求めておられます。洗礼者ヨハネの言葉を信じ従う事が出来なかったためです。それは、イエス様の言葉を信じる事が出来ない事につながっています。イエス様はいつも救いを与えるために語り続けて下さる事を教えられます。
2022年7月17日(日)
礼拝メッセージ
「ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。」
                  マタイ福音書21:25a
 
 主イエス様は、神殿の境内で教えておられた時に、祭司長や民の長老たちが質問するのを聞いて、反対に彼らの考えを尋ねておられます。しかし、彼らはイエス様が問われた事に答えようとしませんでした。答えが分からなかったのではありません。自分たちの立場を守りたいと思ったので、あえてイエス様に答えなかったのです。神様の問いに答えを出すことができない、不誠実は人間の姿があります。神様は救いのための問題から逃れようとする人間に応答することを求めていることを教えられます。
2022年7月10日(日)
礼拝メッセージ
「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」
                  マタイ福音書21:22

 ここに記されている出来事は、受難週の第2日目の出来事です。主イエス様は、ベタニアに行かれた後、次の日に再びエルサレム神殿に向かわれました。そこで、弟子たちにイチジクの木を通してイエス様は教えておられます。イエス様はここで弟子たちに対して父なる神様を信頼して祈ることを求めておられます。イチジクの木は旧約のイスラエルの民を象徴しています。形式主義の信仰は裁きの対象でした。私たちは主イエス様の言葉を信じ、忍耐強く祈る者としてくださる神様の恵みを感謝いたしましょう。
2022年7月3日(日)
礼拝メッセージ
わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。
                   マタイ福音書21:13

 主イエス様は、エルサレム神殿の境内へと入って行かれ、そこで商売をしていた人々を皆追い出し、預言者イザヤの言葉を引用して教えておられます。「あなたたちは、それを強盗の巣にしている」この厳しいイエス様の言葉は、当時の神殿礼拝の現実が反映されています。人間は自分の都合に合わせて行動しています。神様を礼拝する場所でもそれは変わりません。イエス様はそのような心の者を作り替え、主イエス様をしたい求める者にしてくださいます。そして、イエス様はその祈りに応えて下さいました。私たちも主イエス様を信じ、信頼の心で近づく者としてくださる恵みを感謝いたしましょう。
2022年6月26日(日)
礼拝メッセージ
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
                  マタイによる福音書21:5

 イエス様と弟子たちは、エリコの町を出て祭りが行われるエルサレムの都に上って行かれました。この時の都上りは、いつもの巡礼とは違っていたことを福音書は私たちに教えています。「それは預言者を通して言われていたことが実現するため」でした。人々は預言者の言葉を思い出し、救い主のエルサレム入りを歓迎しました。私たちの救い主は、強くたくましい、大きな軍馬に乗って都を行くお方ではありませんでした。「荷を負うロバ」に乗ってこられるお方です。私たちの荷を負うためにイエス様は来てくださったことを教えられます。
2022年6月19日(日)
礼拝メッセージ
イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。
                マタイによる福音書20:34

 イエス様はいよいよエルサレムの都に近づかれたことを福音書記者は私たちに教えています。エリコの町は、エルサレムの都に近いくヘロデ大王は冬を過ごすための宮殿をこの町に作ったと言われています。盲人の目を開く奇跡は、この町で行われました。肉体の目が開かれることは大切ですが、暗闇のようなこの世の中で、本当に大切な希望をいただき、消えることのない、光の中を生きることは最も大切なことです。この希望の中にイエス様は私たちを招いてくださることを教えられます。
2022年6月12日(日)
礼拝メッセージ
人の子が、仕えられるためではなく使えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。
                マタイによる福音書20:28

 イエス様は、支配者が民を支配し、偉い人が権力を振るう世界を見ながらあなたがたの間では、そうであってはならないと弟子たちに教えておられます。弟子たちが目標とする世界は、主イエス・キリストの恵みの支配に生きる世界です。そこでは、この世の支配する理論ではない世界が教えられます。神様の与えてくださる愛を中心にした世界に神様は、私たちを招いてくださいます。この愛に支えられて私たちは生きるように導かれていることを感謝したいと思います。
2022年6月5日(日)
礼拝メッセージ
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
                   使徒言行録2:2

 五旬祭というのは、ユダヤ教のお祭りです。このお祭りは今日でも祝われています。もともとは、春の収穫祭でした。麦の刈入れを神様に感謝して祝う祭りでした。それから、エルサレムの神殿崩壊を経験したユダヤ人には、モーセがシナイ山で神様から十戒を授与された事を記念する祭りの意味が加わりました。キリスト教では、さらに、神様の約束された聖霊が教会に集まる人々の上に与えられた記念日の意味が加えられました。神様の約束は、今、教会に集まる、私たちにも実現しています。私たちは聖霊に働きによって「イエスは主である」(Tコリント12:3)と賛美し、告白する霊の恵みにあずかっている事を覚えたいと思います。
2022年5月29日(日)
礼拝メッセージ
自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
                 マタイによる福音書20:14

 主イエス様はたとえを用いて天国の恵みを弟子たちに教えてくださいました。「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った」と教えて行かれました。主イエス様は弟子たちに天の父なる神様が、どんなに人間の必要をご存じであるか、また、恵み深く、気前よくふるまって下さるお方なのかを表して下さいました。神様は広場であてもなく立っていた者たちに、必要な仕事を与えて、その報酬を持たせて下さいます。その報酬は人間が考えるもの以上でした。神様の恵みを知ることを私たちの喜びとして感謝をささげたいと思います。
2022年5月22日(日)
礼拝メッセージ
重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。
                 マタイによる福音書19:24

 イエス様は悲しみながら立ち去る青年を見て、弟子たちに教えています。弟子たちはイエス様の語る言葉に驚いています。「それでは、だれが救われるのだろうか」(25)。弟子たちは経済的に豊かな生活をしている人々を見て神様の祝福があると思いました。この人達から、天国に入れられると思っていました。しかし、イエス様は、この考えを否定されます。人間の力によって、神の国に入る資格を持つ人はありません。それは神様の恵みであり神様の業によることを弟子たちは知らなければなりませんでした。天国に入る道はただ一つ、主イエス・キリストを信じ従い続ける道です。教会に集まるものに、神様は恵みと祝福を与え、天国への希望を持つ者へと変えてくださることを教えられます。
2022年5月15日(日)
礼拝メッセージ
しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
                マタイによる福音書19:14

 この福音書を記したマタイは、子供たちを祝福しておられるイエス様の姿を他の福音書よりも短めに紹介しています。それはこの後に続く、金持ちの青年の話と深く結びついているからです。16節〜30節までの出来事を理解するときに、このイエス様が子供たちを祝福しておられる事も正しく知ることができます。弟子たちは、天の国でイエス様に近い地位を求めていました。そのことから離れることができませんでした。人々を叱る弟子たちにイエス様は教えてくださいます。私たちもこの主の言葉を注意深く聞くように招かれていることを教えられます。
2022年5月8日(日)
礼拝メッセージ
イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは、妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。」
                 マタイによる福音書19:8

 イエス様はご自分を試そうとするファリサイ派の人々に教えておられます。彼らの律法の解釈が神様の御心から離れて間違ったものになっていることを。創造の初めに神様は、人間を祝福し「人が独りでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう(創世記2:18)」と考えられました。神様の御心は、常に人間の祝福に向けられている事を教えられます。離婚の問題は神様が命じている事ではなく、神様が許してくださった事です。神様は人間が不幸でいる事を望まれません。より良く、幸せに生きるために許されている事を感謝したいと思います。
2022年5月1日(日)
礼拝メッセージ
あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。
                マタイによる福音書18:35

 主イエス様は、弟子たちに「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。(15)」と教えられました。罪の問題は、私たち人間の本質にかかわる問題です。そして、この罪は、神様との関係の破壊であり、神様に対して、ふさわしく生きることができないことでもあるのです。それは、神様を心から信じることができないことであり、神様から離れ、神の言葉に従わないことを意味しています。聖書は「罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉は私たちの内にありません。(Tヨハネ1:10)」と教えています。このような者を主イエス様は贖い尊い血によって清くしてくださることを感謝いたしましょう。
2022年4月24日(日)
礼拝メッセージ
また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
                 マタイによる福音書18:19

 イエス様は弟子たちに語り掛け、祝福してくださいます。弟子たちの間で一番偉いものになりたいと願う弟子たちが心を一つにすることをイエス様は教えてくださいます。弟子たちが順序を争う時には、心を一つにすることはできません。けれど、神様の前にへりくだり、謙遜にみ言葉に従うときに、罪を赦されていることを喜ぶときに、弟子たちの心は一つになります。私たちの心もイエス様は一つにしてくださり、神様を賛美し、感謝する心に変えてくださる恵が注がれていることを教えられます。
2022年4月17日(日)
礼拝メッセージ
はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
                 マタイによる福音書18:13

 エルサレムの十字架に向かう主イエス様は、天国で一番偉いのは誰であろうかと議論する弟子たちに、一人の小さな者をつまずかせることが無いように、軽んじることが無いようにと教えて下さいました。ユダヤ人社会では子供という存在は、律法を守る事において一人前ではない為に、神の民、救いに与る人間として劣るものと見られていました。イエス様はこの小さな者も神様に愛されている民の一人であることを教え、父なる神様は、その命が失われる事が無いように、滅ぶことが無いように願っておられることを教えました。それは、私たち一人一人の命を神様が愛して、命に与る者になる事を願っておられる事でもある事を教えられます。
2022年4月10日(日)
礼拝メッセージ
「世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。」
                マタイによる福音書18:7

 この世界は、信仰に生きる者たちをつまずかせるもので満ちています。信仰によって、主イエス・キリストを信じて生きる道を奪うのです。罪への誘惑は、自分たちの心の中にもあります。私たちはそれを避けて通ることはできません。けれども、主イエス様ご自身が、十字架への道を歩まれ、徹底して父なる神様の御心に従ってくださいました。神さまの正しさはイエス様によって完成されています。私たちは「わたしは既に世に勝っている(ヨハネ16:33)」と宣言してくださるイエス様に信頼し従ってゆきたいと思います。
2022年4月3日(日)
礼拝メッセージ
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して神の国に入ることはできない」
                マタイによる福音書18:3

 この福音書を書いたマタイは、ユダヤ人として、幼いころから旧約聖書のモーセの律法を厳しく教えられ、守ることが求められていました。イエス様はこの弟子たちに神の天国に生きる喜びを教えてくださいます。自分たちの努力や訓練によるのではない、神様の確かな愛と恵みが今、弟子たちに注がれていることを教えて下さいます。その恵みを私たちにも主が注いでくださる事を教えられます。
2022年3月27日(日)
礼拝メッセージ
「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
                マタイによる福音書17:25

 主イエス・キリストは弟子のシモン・ペトロに対して問われました。この問いは「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」という問いに対して「納めます」と答えたペトロに教えるために語られたものです。ペトロはイエス様が神の御子、キリスト、メシヤですと答えましたが。ユダヤ人の世話役に対しては、それを告げることはありませんでした。神の御子として父なる神様の家に対する税金は納める必要がないということもできたわけです。けれども、イエス様は、彼らをつまずかせることがないように税を納めることを許されました。イエス様は神様に従うものを神の子供として神様の下で自由に生きるものに変えてくださることを教えられます。
2022年3月20日(日)
礼拝メッセージ
イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」
                マタイによる福音書17:20

 イエス様は、弟子たちに「あなたがたにできないことは何もない」と教えてくださいました。それは、イエス様が信仰を与えて下さるからです。病気で苦しむ子供とその親の望みを聞かされた時、弟子たちは何もできませんでした。それは、自分たちが見ている現実があまりにも困難な課題であったためです。弟子たちはイエス様の事を忘れ、自分たちで何とか問題を解決しなければならないと思いました。イエス様は、高い山に登ったままだったのです。自分たちの前にいない、目に見る事の出来ないイエス様に祈る事を彼らは忘れました。このことは私たちの姿を思い起させます。私たちも信仰の薄い者であることを教えられます。イエス様を呼び求め、確かな助けがあることを信じる者に変えて下さいと祈りたいと思います。
2022年3月13日(日)
礼拝メッセージ
イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
                マタイによる福音書17:7

 イエス様は、弟子たちの中から3人のものを選び、高い山に連れて行かれました。その山の上でイエス様は、天にある栄光の姿を示され、神の御子であることを明らかにされました。弟子たちは天からの声に打たれるように地にひれ伏しました。神様の御声を聞いて恐れに包まれている弟子たちにイエス様は近づき彼らに手を触れて励ましてくださいました。「起きなさい。恐れることはない」イエス様は、恐れる弟子たちを立ち上がらせて下さるお方です。主にある希望を与えて、新たに父なる神様の前に立ち上がる力を与えて下さいます。
2022年3月6日(日)
礼拝メッセージ
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価をしはらえようか。」
                マタイによる福音書16:26

 イエス様は、弟子たちに教えておられます。この時の弟子たちは、イエス様がイスラエルの新しい王様として、ローマ帝国の支配から解放してくださると考えていました。そこで、イエス様はご自分が、この世の支配者として神様が遣わされたのではない事を教えて下さいました。神様の計画を悟らず、人間の事、今の事しか見ることが出来ない弟子たちの目を天の神様の事を考える信仰を持たせてくださいます。生物としての命ではなく、神様が与えて下さる。復活の命、永遠の命のために、イエス様は来てくださり、私たちの命をサタンの支配からすでに、買い戻して下さった事を教えられます。このイエス様の御業を私たちは賛美します。
2022年2月27日(日)
礼拝メッセージ
このときから、イエスは御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
                マタイによる福音書16:21

 イエス様は、弟子たちを代表して信仰告白したペトロの答えを聞いた後に「御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた(20)」。イエス様が、このようにお命じになったのは、弟子たちがイエス様のメシアとしての本当の姿を理解していなかったからです。イエス様の受難の予告を弟子たちは理解できませんでした。イエス様は自分たちの都合のよい、メシア・キリストであって欲しいと弟子たちは思っていました。ですからユダヤ人指導者から排斥されることなど想像もできませんでした。しかし、イエス様は弟子たちにご自分の使命を「打ち明け始められた」と記されています。このことは弟子たちを教育する上で大変重要なことでした。これから後に、彼らは聖霊なる神様の助けによって、十字架で死なれ、復活したイエス様の御業を宣教する者に変えられます。神様の御業が弟子たちを造り変えて行かれました。
2022年2月20日(日)
礼拝メッセージ
すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」
                マタイによる福音書16:17

 イエス様は、弟子たちをファリサイ派とサドカイ派の人々から遠ざけ、フィリポ・カイサリア地方に行き、弟子たちにご自身を現してくださいました。イエス様が誰であるか、どのようなお方であるのかを人間が自分の力で知る事はできません。イエス様はペトロに「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と告げられます。神様は、御霊によってわたしたちがイエス様をキリスト・メシアであると信じ告白する者にしてくださいます。それは、神様が与えて下さる恵みです。イエス様をキリストと告白する者たちに神様が天国の門を開いてくださる事を私たちは感謝します。
2022年2月13日(日)
礼拝メッセージ
「そのときようやく、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えのことだと悟った。」
                 マタイによる福音書16:12

 イエス様は、神の言葉によって弟子たちにパンの奇蹟を思い起させ、信仰の目を開いてくださいました。人間は自分たちの見ている現実がすべてのように思います。けれども、イエス様は、弟子たちに語りかけ、弟子たちの目を天に上げさせて、神様の御業を信じる者にしてくださいます。自分たちの日常生活の中で、主イエス様が成就してくださった十字架の救いを忘れてしまう私たちの目をイエス様は、御言葉によって開いて悟りを与えて、信仰を持たせてくださる事を教えられます。
2022年2月6日(日)
礼拝メッセージ
「ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。
                  マタイによる福音書16:1

 パリサイ派とサドカイ派の人々は宗教的には全く異なる立場のグループでした。けれども、イエス様を試す事においては一致していました。この「試す」という字は元の言葉は(ペイラゾマイ)という言葉が使われています。これはイエス様を荒野でサタンが誘惑した出来事を思いださせる言葉です。彼らはイエス様を試みたのです。しるしを見たいと願いました。神の御子であるならそのしるしに石をパンに変える事が出来るか、また、高い神殿の塔の上から飛び降りたらどうだ、天使たちが支えてくれたら信じてやろうと試みるのです。しかし、イエス様は彼らの求めには答える事がありませんでした。神の御子としてのしるしは、すでに人々の前で明らかにしてくださいました。信仰によってイエス様を信じる者たちに神様はそのしるしを表してくださいます。私たちも御霊の働きによってイエス様が神の御子として働いてくださっている事を教えられます。私たちの命はイエス様によって与えられたものであることを覚えたいと思います。
2022年1月30日(日)
礼拝メッセージ
イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」
                マタイによる福音書15:32

 イエス様は、地中海に面した異邦人の地であるティルスとシドンの地方に行かれた後に、ガリラヤ湖のほとりに帰ってこられました。この時、大勢の群衆がイエス様の所に病人を連れて来て「イエスの足もとに横たえた(30節)」とあります。カナン人の娘の癒しを知って人々がイエス様の所に病人を連れてきたのではないかと思われます。群衆は病気の人々がいやされたのを「見て驚き、イスラエルの神を賛美した。(31節)」イエス様はまことの神様を知らず、苦しみの中にいる者をかわいそうに思われます。また、食べ物もなく、飢えている者たちを憐れまれます。このことは、肉体的な事だけにとどまりません。イエス様は人々の心の中も見て知ってくださいます。その必要を主が満たしてくださいます。「人々は皆、食べて満腹した。(37節)」イエス様は今の私たちの必要を知っておられます。コロナ感染症の中で苦労する者たちの解決を主イエス様は既に、準備しておられる事を信じて感謝に生きたいと思います。
2022年1月23日(日)
礼拝メッセージ
そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。
                マタイによる福音書15:28

 イエス様は、地中海に面した異邦人の地であるティルスとシドンの地方に行かれました。そこでカナンに住む女性がイエス様に救いを求めて現れました。彼女はイエス様に「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。」と呼び掛けています。弟子たちはこの女性の事をうるさく思い「この女を追い払って下さい」と願いました。イエス様は、この女性に対して、冷ややかな態度でお答えになりました。けれども、彼女はあきらめる事はありませんでした。イエス様は彼女にたいして主、ご自身を信頼する事を求めておられました。イエス様は忍耐して祈り求める事を求めておられます。あきらめる事のない心を求めておられます。神様は、私たちに対して時に冷たく感じられることが起こるかもしれない。けれども、私たちは、この婦人のように忍耐して祈り求め続ける大切さを教えられます。神様は忍耐強く祈り続ける信仰をお与えくださる事を教えられます。
2022年1月16日(日)
礼拝メッセージ
それから、イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。」
                マタイによる福音書15:10

 イエス様はファリサイ派の人々と律法学者たちの質問に答えて下さった後に、群衆と弟子たちにたいして人間を汚すものについて教えて下しました。「口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである(11)。」人間の心の中にあるものが言葉になって出てくる。それこそが人を汚すのであるとイエス様は教えて下さいました。手を洗う事、足を洗う事は宗教的な清めの儀式でしたが、このような外的なしるしは、人間を清くすることはできません。罪と汚れのない神様だけが、人間を清くすることがおできになります。そしてそれは、私たちと同じ人間である必要がありました。旧約聖書の時代は、罪の清めのために動物が犠牲になりましたが、その動物では、人間の罪を完全に清める事はできませんでした。この罪の清めの贖いのためにイエス様が来てくださった事を私たちは信じています。
2022年1月9日(日)
礼拝メッセージ
あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えて下さる。
                       詩編55a

 この詩編は、個人の嘆きの歌ですが、この嘆きは「わたしの友、知り合った仲、楽しく、親しく交わり」が失われた事から始まった嘆きです。人間関係はいつの時代も、信仰者に悲しみを与える事があります。詩人はこの時、自分を苦しめる者たちを敵と呼び、神に逆らう者と呼んでいます。信仰の友として神殿の中を共に行き来したことが懐かしく思い出されます。悲しみの中で詩人は、神様に呼ばわり、祈りました。そして、「主は私を救って下さる。神は私の声を聞いてくださる」という確信を得ました。そして「あなたの重荷を主にゆだねよ。」という御声を聞きました。私たちも主イエス様が「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(マタイ11:28〜29)。」と招く声を聞いています。主イエス様の招きの声に支えられてこの2022年の歩みを進んで行きたいと思います。
2022年1月2日(日)
礼拝メッセージ
異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。
                ルカによる福音書2:32

 清めの儀式のために神殿に来たヨセフとマリアは幼子イエスを抱いていました。イエス様の姿を見たシメオンは聖霊に導かれて祝福し預言しました。幼子であるイエス様がどのような生涯を歩むことになるのか、シメオンは聖霊によって教えられたことを語ります。主イエス様は信じる人々の希望の光であり、父なる神様を明らかにする啓示の光です。その光を私たちは目撃し、証しする事が出来る様にして下さる神様の恵みを感謝いたします。
2021年12月26日(日)
礼拝メッセージ
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納め、思い巡らしていた。
                ルカによる福音書2:19

 ヨセフとマリヤが、飼い葉桶に生まれたばかりの乳飲み子を寝かせていると、そこに羊飼いたちがやってきました。羊飼いは牧場で羊の番をしていた時に、天使が現れて救い主の誕生を告げられた事を報告し、天使の告げた通りであることを確かめて、神様をあがめ、賛美しながら帰って行きました。マリヤはこの出来事を心に大切なものを納めるようにして握りしめ、これまでに起こった不思議な出来事に思いを巡らして考えていました。わたしたちに与えられている信仰とは、自分に起こるいろいろな出来事を神様との関係において考え思い巡らす事が必要であることを教えられます。
2021年12月19日(日)
礼拝メッセージ
「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。」
                ルカによる福音書2:6〜7

 旧約聖書の中に預言されていた救い主が生まれた時、それを知る者は誰もいませんでした。ヨセフとマリアは、ベツレヘムの片隅で飼い葉桶の中に布にくるんだイエス様を寝かせました。神の御子、救い主であるイエス・キリストは人間の目からは、みすぼらしく、貧しい姿でこの世においで下さいました。神様の恵みのしるしは、人々が関心を持つことが無い、日常の貧しさの中に表されています。人々が関心を寄せる、華やかさ、きらびやかさはどこのもありません。この飼い葉桶に寝かされた赤子の小さなクリスマスのしるしを私たちは、信仰の目を開かれ、信じるように招かれている事を教えられます。
2021年12月12日(日)
礼拝メッセージ
「神にできないことは何一つない」
                ルカによる福音書1:37

 聖書によって教えられる神様は、全能者です。神様は全能の力を罪人の救いために用いて下さいました。私たち、主を信じる者たちの救いのために、この御力が今の時も用いられて下さる事を私たちはこの季節、特別な事として感謝を捧げたいと思います。
2021年12月5日(日)
礼拝メッセージ
その服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。
                マタイによる福音書14:36

 イエス様と弟子たちは、ゲネサレトという町に入って行かれました。イエス様が来られた事を知った人々は病人をイエス様の所に連れてきました。病気に苦しむ人々の願いにイエス様は答えて下さり、癒しの御業が行われました。イエス様に救いを求める人々にイエス様は答えて下さいます。人々の期待を裏切る事はありません。イエス様は、これから後、12弟子を訓練して、宣教の働きに派遣する準備を進めて行かれます。その前に人々の求めに答えて下さいました。主イエス様に救いを求める人々をイエス様はそのままにはなさらない事を教えられます。私たちも、イエス様の御業を期待し救いを祈り求める者でありたいと思います。
2021年11月28日(日)
礼拝メッセージ
イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
                マタイによる福音書14:27

 イエス様は湖の上を歩いて弟子たちの所に来てくださいました。弟子たちは幽霊を見ていると恐怖におびえていました。それは、強い風に悩まされて自分の思うように船を操作できない中で、暗闇の湖の底に引き入れられるのではないかと思われたからです。恐怖の中からイエス様は「恐れる事はない」と語りかけ、弟子たちを恐れから救い出し、平安を与え、イエス様を礼拝する者として下さいます。わたしたちもこのイエス様の言葉によって慰めと平安に生きる者としてくださる事を感謝したいと思います。
2021年11月21日(日)
礼拝メッセージ
わたしは感謝の声をあげ、いけにえをささげて、誓ったことをはたそう。救いは主にこそある。
                   ヨナ書2:10

 アミタイの子ヨナは、主なる神様の「大いなる都ニネべに行って」預言するようにという声を聴いた時、ニネべとは関係がない「タルシシュに向かった。」と聖書に記されています。ヨナは「主から逃れようと」しました。3節の中に2度もこの言葉が繰り返されています。それは、ヨナの決意の固さが示されています。天地の主である神様の前から逃れる事はできませんが、ヨナは地の果てに逃れたいと願い、船に乗りました。けれども、神様はそれを許されませんでした。ヨナは神様の御手によって捕らえられていました。「あなたは、わたしを深い海に投げ込まれた(4節)」と告白しています。深い海の闇の中で、死がヨナを取り巻く中、神様は「巨大な魚に命じて、ヨナを?み込ませられた」神様は、神の言葉に従うことが出来ないものを、罰すると共に、救いの道を与えて下さいました。ヨナはこの後、もう一度、預言者として語る事を命じられました。神様は心の頑なな人間を憐れみ、罪の赦しを与え、神様のために奉仕する者に変えて下さる事を教えられます。
2021年11月14日(日)
礼拝メッセージ
イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」
                マタイによる福音書14:16

 洗礼者ヨハネがヘロデに殺されたことをヨハネの弟子から聞いた時、イエス様は「ひとり人里離れた所に退かれた」とマタイは記しています。イエス様は不信仰な時代と神の言葉に逆らう者たちのために救いの道を開くために静かな時間と場所を探しておられたのではないかと思われます。けれども群衆はそれを許しませんでした。イエス様の後を追う群衆を見て、イエス様は深く憐れみ、その中の病人を癒されました。イエス様は群衆を草の上に座らせ、弟子たちが持っていたパンと魚を取って天を仰ぎ賛美と祈りを唱え弟子たちに渡されました。イエス様は、弟子たちを教育し、父なる神様を信じ信頼する事、神様が荒野でモーセとイスラエルの民を養われたように、主を信頼する者たちを養って下さる事を教えて下さいました。
2021年11月7日(日)
礼拝メッセージ
「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」
               マタイによる福音書14:2

 ガリラヤ地方の領主ヘロデ・アンティパスは、イエス様の評判を耳にした時、洗礼者ヨハネが生き返ったのだと思いました。「奇跡を行う力がイエス様に働いていた」からです。イエス様がガリラヤ地方で伝道活動を続ける中でイエス様の御業が多くの人の間で評判になっていました。洗礼者ヨハネの死は、社会的な政治指導者の力によって死刑になるイエス様の死に方を告げる先駆者の死でもありました。ヘロデの個人的な座興のために預言者の命は奪われました。主イエス様は宗教指導者たちの嫉みと悪意によって死刑になりました。しかし、神様は罪人を憐れみイエス様の十字架の死によって罪人を赦す道を選ばれます。この神様の憐れみを感謝いたします。
2021年10月31日(日)
礼拝メッセージ
「この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」
               マタイによる福音書13:56b

 イエス様は天国の譬えを弟子たちにお語り下さり、ナザレの村にお帰りになりました。そして会堂で教えていた時のことが記されています。故郷の人々は幼い時から成人して大工の仕事をしていたイエス様の姿を見ていました。そのお姿は、ほかの人間と少しも変わらないものでした。イエス様はエルサレムの有名なラビのもとに弟子入りして律法を学んだわけではありませんでした。そのことをよく知っていました。だからこそ、イエス様の知恵に満ちた、恵みの言葉に人々は驚きました。この驚きはイエス様に学びたい、天国に事を知りたいという願いにはなりませんでした。彼らは「イエスにつまずいた」とマタイ福音書は記しています。イエス様は人々の中に求道する心を与えて下さいますが、実際に救いを求めるのは人間の側の応答にかかっている事を教えられます。
2021年10月24日(日)
礼拝メッセージ
そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」
               マタイによる福音書13章52節

 主イエス様は天の御国の譬えを学ぶ弟子たちを「学者」と呼んでくださいます。天の父なる神様が、今この世界を統治して下さり、導かれている事を知ることが出来る時、人間的な学問によっては知ることが出来なかった知恵を神様は、弟子たちに与えて下さいました。この世の学者に勝る知恵を神様は弟子たちに与えて下さり、神様を信じ信頼する心を持たせてくださいました。主イエス様は、私たちにも、天の国の奥義を示して下さり、平安に生きる者として下さる事を教えられます。
2021年10月17日(日)
礼拝メッセージ
天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げおろされ、いろいろな魚を集める。
               マタイによる福音書13章47節

 天の国の譬えの最後は、終末の時についての教えです。「網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。」とイエス様は語られました。終末の裁きの場において、良いものと悪いものを分けるのは天使の働きであることが39、49節で繰り返し教えられています。私たちは隣人である人間を裁いて良いものと悪いものに分ける事はできません。神様は、私たちをこの世の悪から救い出し、神の清き民として導いてくださいます。私たちは、失敗と過ちを繰り返し行ってしまうものですが、神様によって導かれ、神の民とされた事実が代わる事はありません。主イエス様の言葉が、私たちを清くし、十字架の御業によって許されている事を感謝して歩みたいと思います。
2021年10月10日(日)
礼拝メッセージ
天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
               マタイによる福音書13章44節

 イエス様はたとえ話によって天の御国を発見した者の喜びを教えています。それは、これまで大切にしてきたすべての財産を売り払っても手に入れなければならないものでした。畑を耕していた農夫も、真珠を探していた商人も「持ち物をすっかり売り払って、それを手に入れ」ました。使徒パウロはフィリピの信徒への手紙の中で「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失とみなすようになったのです。そればかりか、わたしの主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それを塵あくたと見なしています(3:8)」と証しています。私たちもキリストに知られ、キリストのものとされている事を喜び、主イエス・キリストを知る喜びに満たされ感謝を捧げて生きたいと思います。
2021年10月3日(日)
礼拝メッセージ
「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
              マタイによる福音書13:31〜32

 イエス様は弟子たちに天の国を教えるために、小さな「からし種」と「パン種」の譬えを語ってくださいました。当時の主イエスの弟子たちのグループはとても小さな集まりでした。それは、今日の日本の教会の集まりと比べる事はできませんが地方の教会の群れがどんなに小さな集まりかと思う事があります。しかし、イエス様は、小さく見えるその種の中に大きな力があることを教えて下さいます。最初の小さな種の姿からは想像する事が出来ない。大きな結果をイエス様は教えて下さいました。私たちの教会の姿も、小さなものであっても、主イエス様の与えて下さる祝福によって大きなものに変えられることを教えられます。
2021年9月26日(日)
礼拝メッセージ
そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。
                マタイによる福音書13:43

 イエス様は弟子たちの願いに答えて「たとえ」の説明をしてくださいました。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである」と告げられています。主イエス・キリストが「良い種」として、御国の子たちをこの世界の中に与え続けて下さった事を教えられます。そして、私たちも主の力によって、この世界に与えられ、育てられ養われている者たちです。神様は、信仰によって生きる者たちを正しい人々として下さり、神様の栄光に与る者たちとして下さる事を感謝したいと思います。
2021年9月19日(日)
礼拝メッセージ
だから、種まく人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。
                マタイによる福音書13:18〜19a

 イエス様は弟子たちには、たとえの説明をしてくださいました。彼らには天の御国の秘密を悟ることが許されていたからです。イエス様は天の御国を弟子たちに明らかにしてくださいます。種を蒔くとは「御国の言葉」が心の中に蒔かれたとイエス様は教えて下さいました。神様は、恵みによって今の時も、私たちの心の中に「御国の言葉」である「神の言葉」を与え続けて下さいます。そして、この神の言葉を聞いて悟ことが出来るように御霊によって助けて下さいます。地上にあって、わたしたちが豊かに御霊の実を結ぶことが出来るように、神様が祝福してくださる事を感謝したいと思います。
2021年9月12日(日)
礼拝メッセージ
イザヤの預言は、彼らによって実現した。「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない」
                マタイによる福音書12:14

 イエス様は天の国の秘密をたとえによって教えて下さいました。それは「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである(11)」と言われています。天の国の祝福は神様が啓示によって明らかにして下さる事です。人間の目には隠されている事、秘密にされている事です。しかし、その秘密にされている事をイエス様は弟子たちには解き明かしてくださいました。それは、今イエス様の言葉を信じている、私たちにもその秘密が明らかにされている事でもあります。私たちは信仰によって、聖霊の働きによって、天の国の秘密を知ることが出来る恵みを受けている事を教えられます。
2021年9月5日(日)
礼拝メッセージ
ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
                マタイによる福音書13:9

 イエス様は再び、群衆を前に「天の国」について教えておられます。人々はこの話を聞いて神様が族長イサクを祝福してくださったときの事(創世記26:12)を思い出していたと思われます。神様は、ペリシテ人の土地でもイサクを祝福して豊かな収穫を与えて下さいました。イエス様の周りに集まった人々も、ローマ帝国の支配の中で重い税金に苦しんでいる人々でしたが、神様は神の民を祝福してくださる事を思い出す事が出来ました。しかし、イエス様は弟子たちに対しては、それ以上の意味がこの話にはあることを明らかにしてくださいます。神様の恵みと祝福はすぐに目に見えるかたちで明らかになることは少ないのです。そこには隠され秘密にされています。その隠された意味をイエス様は弟子たちに明らかにしてくださいます。
2021年8月29日(日)
礼拝メッセージ
そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」
                マタイによる福音書12:49

 主イエス様は、地上の血縁関係を否定されるお方ではありません。ここで厳しい言葉で教えておられるのは、地上の事しか見る事が出来ない、人間の限界を超えて、神の国の祝福を見せて下さるためです。イエス様は、弟子たちを指して教えて下さいます。イエス様の前に集まり、主の御言葉を学ぶ事が大切であると教えて下さいます。そこに本当の神の家族、神の子供たちがいるからです。信仰によって、主イエス・キリストを信じる者は神様を「父よ」と呼ぶ事が出来る聖霊を与えられた事をパウロは教えています。(ロマ8:14〜17)わたしたちも神様を信頼し、イエス様の御名のゆえに天の父と神様を呼び助けを求めて生きる事が出来る事を覚えたいと思います。
2021年8月22日(日)
礼拝メッセージ
汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。そこで、出てきたわが家に戻ろうと言う。戻ってみると空き家になっており、掃除をして、整えられていた。
                マタイによる福音書12:43〜44

 主イエス様は、「この悪い時代の者たち」の事を例えによって教えておられます。それは「よこしまで神に背いた時代の者たち」(39節)と呼ばれていることからも分かるように、人々の中に神様に対する信仰が失われていいたという事が意味されています。それは今の私たちの時代の者たちと言い換える事が出来ると思います。人間の知恵と科学力によって、人間は自由に自分の都合で生きる事が出来ると考えています。このコロナ禍にあっても人々は神様の助けを祈り求める事よりも、自分たちの知恵と力で何とか出来ると考えています。主イエス・キリストを信じる者たちは、この現実の中で神様に祈る事を教えられています。
2021年8月15日(日)
礼拝メッセージ
ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここにヨナにまさるものがある。
                マタイによる福音書12:41

 預言者ヨナは主の預言者として神さまに召され、アッシリアの都であるニネベに遣わされ、悔い改めの説教を語りました。神様はユダヤ人から見れば敵国であり異邦人の救いを願っておられました。滅びの道を進む人間を神様は愛して救いに導くことを計画されました。預言者ヨナが遣わされたことは神様の愛の現れでした。神様は今も私たちが滅びに向かって進んでいるのをご覧になり、憐みの故に主イエス・キリストを遣わして下さり、救いの道があることを教えてくださいます。主イエス・キリストを信じる者は天の御国に生きる希望をもって進むことが出来る言を教えられます。
2021年8月8日(日)
礼拝メッセージ
あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。
                マタイによる福音書12:37

 イエス様による癒しの奇跡を聞いた時に、ファリサイ派の人々は「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言いました。彼らは自分たちの考えを改める事が出来ませんでした。あくまでも自分たちは正しい者であると考えていました。自分を変える事は人間にはできない事を教えられます。神様は、終わりの時に、それぞれの語る言葉によって裁きを行われるお方である事が告げられます。私たちの語る言葉も同じです。「罪ある者」とされて裁きを受けるはずの者をイエス様は救いに招いてくださいます。イエス様の十字架を信じる事によって義として下さる恵みが与えられます。「一人の罪によって、その人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです(ローマ5:17)」イエス様は、神の力を知らない私たちに信仰を豊かに与えて下さるお方である事を教えられます。
2021年8月1日(日)
礼拝メッセージ
それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
                マタイによる福音書12:17

 安息日に会堂において片手のなえた人を癒し、元どおりにしてくださったイエス様の御業について、この出来事が預言者イザヤの告げた預言の成就であったとこの福音書を書いたマタイは証ししています。イエス様は「わたしの選んだ僕」と呼ばれているお方であると告げるのです。そして、このお方は「正義を勝利に導くまで、彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。異邦人は彼の名に望みをかける。(20、21)」と告げられています。イエス様は今も聖霊によって、力を失って、なえてしまった私たちの信仰に力を与えて下さり、不信仰のゆえにくすぶる燈心のような私たちの信仰に新たな聖霊の炎をともして下さるお方である事を教えられます。この主イエス様の力により頼み、この新しい月も歩み出したいと思います。
2021年7月25日(日)
礼拝メッセージ
人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。
                マタイによる福音書12:10b

 イエス様が安息日に会堂に入られると、そこに片手のなえた人がいました。「なえる」という言葉は、力が入らない状態、物を持つ力がないという事を想像させます。元の言葉ではクスエーロスという言葉が使われています。この言葉は「枯れた枝、乾いた土地」を表す言葉でもあります。旧約聖書の預言者エゼキエルは神様から枯れた骨に預言するように教えられました(37章)。イエス様は神の御子として、安息日に命を与える事は「善いことをするのは許されている」(12節)と告げられました。この「善い」と訳されている言葉はカロースという言葉で「当然、正しい、適切な、明らかな」という意味を持っています。だれが見ても正しいこと、神様が許して下さる事だと教えて下さいます。それは神の御子イエス様にふさわしい事でした。私たちは、このイエス様から命の言葉を与えられ、今日も生きる者とされている事を教えられます。
2021年7月18日(日)
礼拝メッセージ
言っておくが安息日よりも偉大なものがここにある。
                マタイによる福音書12:6

 ファリサイ派の人々は、安息日に麦の穂を摘んで食べたイエスの弟子たちを見て先生であるイエス様を批判しました。けれども、そこでイエス様は安息日の戒めがどんな意味を持っているのかを旧約聖書のホセアの言葉を用いて教えました。神様が安息日の戒めを民に与えたのは、日々の生活の中で苦労している者に平安と慰めを与えて、休息を与えるためでした。そのために「いかなる仕事もしてはならない」と命じておられます。しかし、当時の律法学者の教えによれば安息日にしても良い事と、してはならない事が、細かく決められていました。人々はこの規定によって大きな重荷を負わされていました。その重荷をイエス様は取り除いてくださいました。そして、律法学者ではなく、「わたしに学ぶように」と人々を招いてくださいました。私たちもこの招きにお答えして、神様に喜ばれる生き方をしたいと思います。
2021年7月11日(日)
礼拝メッセージ
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
                マタイによる福音書11:29

 イエス様は主のもとに集まる者たちを「知恵ある者、賢い者」と呼ばず、「幼子のような者」と呼ばれました。律法学者のように神の言葉を解釈することなく、素直な心でイエスの言葉を学ぶ、その姿をイエス様は喜んで下さいました。そして、この弟子たちにイエス様は、安らぎを約束してくださいました。「私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」と招いてくださいます。私たちは一週間の生活の中で疲れを覚えたり、いろいろな出来事で悲しい思いをしたり、悩み苦しむ者ですが、イエス様はその悲しみの中から私たちを呼び出し、主の十字架の恵みによって失われる事のない平安を与えて下さる事を教えられます。
2021年7月4日(日)
礼拝メッセージ
それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。
                マタイによる福音書11章20節

 聖書が「悔い改め」と記している言葉の本来の意味は、向きを変えるという事です。自分の楽しみや喜びを求めて生活していたその生活の在り方を変える事が意味されています。自分を中心とした生活を神様を中心とした生活、神様を知ることを喜び、神様に感謝して生きる生活に改める事が意味されています。イエス様は、イエス様の言葉を聞きながら、神様を知る事、神様の御業に感謝する生活へと私たちを造り変えて下さり、神様の子供たちとして下さる事を教えられます。私たちを主イエス様が招いて下さり、神様に感謝する者に作り替えて下さる事を教えられます。
2021年6月27日(日)
礼拝メッセージ
人の子が来て、飲み食いすると「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。
                マタイによる福音書11章19節

 イエス様は、人々に洗礼者ヨハネの働きについて教えてくださいました。救い主の先駆けとして預言者が告げたエリヤの働きをヨハネはすでに行っている事を教えてくださいました。しかし、人々の反応は冷たいものでした。人々は無関心で心からの悔い改めはありませんでした。それは広場に座って呼びかけている子供の姿に例えて言えば似ていると告げられています。神様が人々に求めている事は、心からの悔い改めです。私たちは今の時代に聖書を通して語りかけてくださる主イエス様の言葉を聞いて、正しく応答する信仰が与えられている、この主の恵みに感謝をささげて礼拝したいと思います。
2021年6月20日(日)
礼拝メッセージ
彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」
                マタイによる福音書11章12節

 イエス様は洗礼者ヨハネの弟子たちが帰った後で、群衆に教えて行かれました。洗礼者ヨハネの活動によって神様の救いの歴史が大きく変化したことを教えて下さいます。「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである(13)」旧約聖書によって教えられた事はヨハネの活動によって終わりを迎え、主イエス様の宣教によって新しい時が始まっている事を私たちは教えられます。「実は、彼は現れるはずのエリヤである(14)」とメシヤの先駆けとして告げられていたエリヤは来ている事をイエス様は人々に教えて、主の終末が訪れている事を明らかにしてくださいました。主イエス様は、「あなたがたが認めようとすればわかることだが」と人々の中に神様の働きを認める心を与えて下さるお方である事を教えられます。
2021年6月13日(日)
礼拝メッセージ
はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さい者でも、彼よりは偉大である。
                マタイによる福音書11:11

 イエス様は、洗礼者ヨハネの弟子たちが帰った後で人々に教えておられます。ヨハネは旧約時代の最後の預言者となりました。かつての預言者たちは救い主キリストの来臨を待ち望みましたが、実際にキリストを見る事はできませんでした。しかし、ヨハネはイエス様が来られた時「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ(ヨハネ1:29)」とイエス様を呼び、人々にイエス様を紹介する者となりました。ヨハネの偉大さは、イエス様を指さし人々の目を救い主キリストに向けさせた事にあります。ヨハネはイエス様による神の国の到来を告げました。イエス様によって始まった神の国の中に入れられている者たちはヨハネよりも偉大な者と呼ばれます。ヨハネは神の国の入り口に立つ者ですが、イエス様による神の支配を生きる事は出来なかったのです。イエス様を信じる者たちは、生きて神の国の中に入れられる祝福を受けている事を教えられます。
2021年6月6日(日)
礼拝メッセージ
わたしにつまずかない者はさいわいである。
                 マタイによる福音書11:6

 イエス様に出会った当時の人々はイエス様が行われた奇跡を見てもイエス様がメシヤ・キリストであると認める事はできませんでした。洗礼者ヨハネはヘロデによって捕らわれの身となっていましたが奇跡を見る事は無く、イエス様の御業を聞いて主イエスを信じる者になりました。イエス様の御言葉を学ぶ者たちを、神様は恵みによって信仰を与えてイエス様を信じる心を持たせてくださる事を教えられます。わたしたちもこの恵みが与えられている事を感謝して礼拝を捧げたいと思います。
2021年5月30日(日)
礼拝メッセージ
すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。
                 使徒言行録2:4

 先週はペンテコステの礼拝でした。聖霊降臨祭の礼拝は、緊急事態宣言が出されて家庭礼拝で行われました。皆さんのご協力に感謝いたします。わたしたちに与えられている信仰は、聖霊の働きであり、神様の賜物、恵みであることを覚えました。預言者ヨエルは旧約の民に「わたしの霊をすべての人に注ぐ」と約束を語りました。この約束が、五旬節の日に成就したことをペトロは民に語りました。私たちもこの神様の約束によって、今の時、聖霊の注ぎを受けている事を教えられます。私たちの神様は、私たちが神様を喜び、感謝して生きることが出来る様に、御霊を注いで下さる事を教えられます。コロナの広がりが収束して早く皆さんと一緒に賛美をささげる事が出来る様にお祈りいたします。
2021年5月23日(日)
礼拝メッセージ
はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さい者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。
                マタイによる福音書10:42

 イエス様は、10章の全体を通して弟子たちに伝道する時に注意する事、しなければならない事を教えて下さいました。その最後に、弟子たちの言葉を受入、信じる者に与えられる報いについて教えて下さいました。私たちが仲間として受け入れる事が簡単に思う人々は、どんな人たちでしょうか。地位や才能、名声、財力、能力の高い人を受け入れ、そうでない人は無視されてしまう。この世の中ではそれが普通の事かもしれません。しかし、イエス様は、弟子たちを「この小さい者」と呼ばれます。イエス様は私たちをこの世の中の価値基準によって図る事はありません。ただ罪によって失われる命、小さな一つの命をいとおしく、惜しんでくださいました。滅びに向かう失われた命を惜しむ主イエス様の愛が、主の十字架を実現しました。私たちはこの愛にお答えして感謝を捧げる者である事が求められている事を教えられます。
2021年5月16日(日)
礼拝メッセージ
また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
               マタイによる福音書10:38

 イエス様は、弟子たちを宣教のために派遣される前に弟子たちを励まし力付けて下さいました。敵対する人々が起こる事を教えて下さいます。それは自分と無関係な人々ではなく、親しい家族の間にあっても敵対する関係が起こる事を告げておられます。不信仰な世界において、人間の罪と自我のために争いは絶える事がありません。しかし、イエス様は弟子たちを「自分の十字架を担う」者として導かれます。この十字架は、私たちに与えられた家族の救いという課題であるかもしれません。主イエス様は、主に従う者に信仰を与えてこの課題に向き合い、担う力を持たせてくださいます。主が共に十字架を担って下さる事に希望をもって歩みたいと思います。
2021年5月9日(日)
礼拝メッセージ
体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
               マタイによる福音書10:28

 主イエス様は、伝道に派遣される弟子たちが人々を恐れる事を知っておられました。しかし、イエス様は恐れに支配されてしまう弟子のために、勇気と力を与えて下さいました。パウロはコリントの町で伝道した時の事を手紙の中に記しています。「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」(Tコリント2:3)。この世の中で働くとき、私たちも、いろいろな事情のために恐れの心に支配される事を教えられます。しかし、イエス様はそのような心の者たちの恐れを取り除き、神様を信じ信頼する心を与えて下さいます。「たくさんの雀よりもあなたがたは、はるかにまさっている」と教えて下さいました。私たちもまた神様の愛の支配の中に入れられている事を教えて下さいます。
2021年5月2日(日)
礼拝メッセージ
実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。
               マタイによる福音書10:20

 イエス様は、12弟子を宣教の業に派遣される為に、注意すべき事を教えて下さいました。そして、その働きは、「狼の群れに羊を送り込むようなものだ」と告げられました。それは、いつも命の危険が迫っているという事でした。そのような緊張の中で弟子たちは伝道するようになることをイエス様は教えて下さいます。しかし、その時に、心配してはならない、恐れてはならないと教えて下さいます。父なる神様の働きの中で伝道の業が進む事を教えて下さいます。主の弟子たちは自分の知恵と自分の経験によって伝道するのではありません。神様の力が推し進めて下さる事を信じて神様を信頼するように教えて下さいます。私たちもこの主の言葉によって励まされ、強くされて、主の証人として生きたいと思います。
2021年4月25日(日)
礼拝メッセージ
「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。」
               マタイによる福音書10:12

 主イエス様は、伝道に弟子たちを派遣するにあたり、注意すべきことを教えて下さいました。父なる神様の慈しみは弟子たちの生活、社会のすべてに及ぶものであり、この世の思い煩いに悩まされる事は無いことを教えて下さいました。主なる神様を信じて生きる者たちの為に神様が平安を与えて下さいます。「平和があるように」という挨拶は、今でもイスラエルの挨拶ですが、主イエス様が教えて下さるのは、この平安がそれを受け取るにふさわしければ、その人に与えられる。と約束してくださいました。ふさわしくなければ、あなた方に返ってくると教えて下さいます。弟子たちの生活は、この神様の平安の中に生きる生活であり、それを分け与える生活であることを教えられます。
2021年4月18日(日)
礼拝メッセージ
そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送って下さるように、収穫の主に願いなさい。」
              マタイによる福音書9:37、38

 主イエス様はご自分の前に集まる人々を見て、「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」姿を見て、深く憐れんでくださいました。主イエス様の宣教の言葉を慕い求め、病気や患いの為に苦しむ人々の姿は、飼い主の無い羊の姿と同じ様でした。飼い主を持たない羊は、食べて行くことができません。心も肉体も弱り果て、倒れこんでしまうしかありませんでした。この羊たちの為に、イエス様が真の良い羊飼いとしてこの世界に来て下さいました。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」とダビデは賛美しました。主が共にいて下さるときに、心から平和と喜びを得る事が出来ることを聖書は私たちに教えています。マタイは「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」というイエス様の言葉によって、この福音書を終えています(28:20)。イエス様は、今も主を信じる者たちの良い羊飼いとし働き続けて下さいます。この恵みを感謝して共に歩みましょう。
2021年4月11日(日)
礼拝メッセージ
彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。
                 マルコによる福音書16:3

 イエス様が十字架の上で死んで三日目の朝の事でした。婦人たちは安息日が終わるのを待って、朝早くイエス様が葬られたアリマタヤのヨセフの墓に向かいました。彼女たちはイエス様の遺体に塗る香油だけを準備して墓に急ぎました。急いで墓に向かったために、墓の入り口をふさいである大きな石を動かす人がいない事に気が付き心配になりました。しかし、その心配は不必要な事でした。婦人たちが墓に着いたとき、大きな石はすでに脇に転がしてありました。神様は、イエス様を求める者たちの先に立って下さり、心配を取り除いて下さる事を教えられます。私たちに求められていることは、あの婦人たちのようにイエス様に出会うことを求める心です。主イエス様に香油をささげて主を礼拝することです。神様は、求める者たちの先に進まれ、人間の思いを超えた大きな業を行って下さる事を教えられます。
2021年4月4日(日)
礼拝メッセージ
イエスが家に入られると、盲人たちがそばに寄って来たので、「わたしにできると信じるのか」と言われた。二人は、「はい、主よ」と言った。
                 マタイによる福音書9:28

 この福音書を書いたマタイは、ガリラヤで二人の盲人が癒された奇跡を記しています。人々のイエス様に対する信仰の証しがこの9章に集められています。中風の人のいやし、マタイの召命、指導者の娘のよみがえり、12年間出血が止まらなかった女の癒し、盲人の癒し、口の利けない人の癒し、これらの出来度は、主イエス様が、旧約聖書の預言者が終末のしるしとしてイスラエルの救いのために神様が行って下さる奇跡を成就するお方として働いていることを明らかにします。イエス様は人々の中に信仰の種をまいて下さり、それを御言葉によって育てて、確かなものとしてくださいます。その恵みを私たちにも主が注いでくださる事を教えられます。
2021年3月28日(日)
礼拝メッセージ
イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。
                 マタイによる福音書9:22

 イエス様が洗礼者ヨハネの弟子たちと断食をすることについて話しておられたときに、このカファルナウムの会堂長であり、ユダヤの指導者であるヤイロが娘を救って下さるようにと願い出ました。イエス様はその願いにこたえて行動してくださいました。この聖書の個所で私たちが教えられることは、信仰とは何かということです。そのことを具体的にするために長い間、出血か止まらなかった女性の癒しの出来事が記されています。この女性は、イエス様の「服に触れさえすれば治してもらえると思った」とマタイは記しています。彼女の一方的な、自分勝手とも思えるこの願いに主イエスは答えて下さいました。それが上記の御言葉です。イエス様はヤイロの家に向かう足を止め、振り向いて彼女を見て個人的に彼女に語りかけています。そして「娘よ、元気になりなさい」と命じておられます。イエス様の言葉によって、病気は癒されました。そして、彼女の信じたことを確かにしてくださいました。イエス様は、その人に与えられた信仰を確かなものとして、主イエス様を益々信じる者にしてくださる事を教えられます。
2021年3月21日(日)
礼拝メッセージ
イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことが出来るだろうか。しかし、花婿が奪い取れる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる」                
                 マタイによる福音書9:15

 イエス様はここで、主イエス様が共にいて下さることは婚礼の席に招かれていることと同じであることを教えて下さいました。「花婿が奪い取られるその時には断食する事になる。」この「花婿が奪い取られる」とは、イエス様がこの世から奪い取られる時であり、十字架の時の事です。そのときが来たら弟子たちも断食して悲しむ事になる。けれども、その悲しみは長く続くことではありません。主イエス様は三日目によみがえって弟子たちにそのお姿を現してくださいました。弟子たちの喜びの確かさは、この復活によって明らかにされました。主イエス様は、復活を通して、確かな命に生きる望みを明らかにして下さることを教えられます。
2021年3月14日(日)
礼拝メッセージ
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい」。
                 マタイによる福音書9:13

 主イエス様は、ファリサイ派の人に対して出ていきなさい。そして、学びなさいと命じておられます。自分たちが大切にしてる信仰の砦から出ていきなさい。そこに本当の救いはないのだから。そして預言者が告げている事をもう一度学びないと教えておられるのです。神さまの憐れみを学ぶことが出来るのは、律法学者のところではありません。主イエス様のもとで学ぶことが大切です。イエス様のもと以外に、本当の神様の愛と憐れみを学ぶことはできません。神の御子であるお方が、真の神様を明らかにして下さいます。私たちはこのお方の招きによって、神様を知る喜びが与えられている事を教えられます。
2021年3月7日(日)
礼拝メッセージ
「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。
                 マタイによる福音書9:6

 この福音書を記したマタイは、主イエス様の持っておられる権威について証ししています。山上の説教を語り終えたイエス様の教えが「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」(7:27)と記していました。イエス様の言葉に力がありました。その力は自然の風や湖を従わせる権威でもありました。弟子たちは、イエス様の言葉とその御業を見て、イエス様がどのようなお方であるかを教えられました。9章ではイエス様ご自身が、地上で罪を赦す権威を父なる神様から与えられていることを、明らかにし弟子たちに示されました。この中風の人の癒しの出来事は、律法学者たちの中に分裂を与える出来事でした。神様を冒涜していると思う人と、神からの使者である事を認める者が生まれました。私たちは、主の恵みによって神様が遣わして下さったキリストであるという信仰を与えられていることを教えられます。
2021年2月28日(日)
礼拝メッセージ
突然、彼らは叫んだ「神の子、かまわないでくれ、まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」
                マタイによる福音書8:29

 この福音書を描いた、マタイはガダラに地で悪霊に苦しめられていた二人の事を証しています。イエス様によって癒された二人がどうなったのかマタイは何も記していません。マタイが一番伝えたいと考えたのは、湖や風に命じて従わせる事が出来るイエス様は、悪霊をも従わせる力を持っているお方であるということです。不信仰な人々は悪霊の頭、ベルゼブルの力によって悪霊を追い出していると考えました(12:24)。人々はイエス様を恐れ「その地方から出て行ってのもらいたい」と願いました。イエス様は本当は神の御子として働かれますが、人間はそのことがわかりませんでした。悪霊の方がイエス様の事を「神の子」であると知っていたことを教えられます。
2021年2月21日(日)
礼拝メッセージ
人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。
                 マタイによる福音書8:27

 主イエスの弟子たちは湖の上で嵐に遭遇した時、自分たちはここでおぼれ死んでしまうと思いました。彼らは一緒にいたイエス様が命の主である事を忘れていました。自分たちが身体で体験している嵐ばかりが心を占領していたと思われます。そこでイエス様は、弟子たちに「信仰の薄い者たちよ」と語りかけて下さいました。弟子たちは本当に見なければならないお方を見失っていたのです。自分たちに命を与え、救い、生かす方がどこにおられるかを忘れていました。私たちも自分たちの目の前に問題が起こるとそこに目を奪われています。信仰によって天の父なる神様に祈ることを忘れてしまう者です。神様が真の力ある主である事を忘れてしまうのです。イエス様は、この信仰の薄い者たちをもう一度、神様を信頼する歩みに向かわせてくださる事を教えられます。
2021年2月14日(日)
礼拝メッセージ
イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに自分たちの死者を葬らせなさい」
                マタイによる福音書8:22

 「父を葬らせて下さい」と願う弟子に対して主イエスは教えて下さいました。イエス様を離れて、本当の意味で命はないことを。だからイエス様はこの弟子がイエス様のもとを離れる事を許されませんでした。イエス様は、弟子としてイエス様に従っている一人一人を大切にしてくださいます。イエス様のもとに命のある事を教えて下さいます。死んだ者のところには悲しみと滅びしか残されていません。死者を丁重に葬る事は家族として大切な事です。しかし、死者に目を止めるだけでは慰めを受ける事はできません。私たちは主イエス様を見上げてイエス様に従う事が求められています。イエス様は家族を失い悲しみの中にある者に対して「わたしに従いなさい」とまことの命である主のもとに招いてくださるお方であることを教えられます。
2021年2月7日(日)
礼拝メッセージ
「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」
               マタイによる福音書8:17

 この福音書を描いたマタイは、イエス様に出会う前は、徴税人であったと言われています。自分の仕事を辞めて、主イエス様の弟子となり、イエス様と生活を共にするとき、イエス様の背中を見て、そこに預言者イザヤが告げた「苦難の僕」の姿を見出したのです。イザヤはまことの救いを与える事が出来る救い主メシヤは、人々の苦しみを担うお方である事を語りました。しかし、イスラエルの歴史の中にはその予言されたメシヤの姿を見つけることはできませんでした。けれども、マタイはイエス様のお姿を見たときに、今まさにこの預言を実現するお方が、自分の目の前におられる事を知らされました。私たちはこの福音書の証しを通してまことの救い主を知ることが出来ます。神様はこの主を知らせるために、私たちを礼拝に呼び集めて下さる事を教えられます。
2021年1月31日(日)
礼拝メッセージ
「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。
                マタイによる福音書8:13

 イエス様がカファルナウムの町に入られると百人隊長がイエスのそばに近づき、自分の僕の事をイエス様に告げ、苦しんでいることを訴えました。この隊長はイエス様の言葉に権威があることを信じている人でした。9節以下の自分の経験から学んだ事をイエス様に告白します。イエス様はこれを聞いて感心して人々に告げられました。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」イエス様は神の民として選ばれたイスラエルの人々の中でさえ見たことのない信仰をこの異邦人である隊長の中に見ておられる事が語られました。やがて、将来において、異邦人が天の国でアブラハムをはじめ族長たちと共に天国の宴会の席に着くことがイエス様によって告げられます。私たちの中にも、この隊長が信じた信仰が与えられることを教えられます。私たちも家族のため、友のために祈る時、主は「あなたが信じたとおりになるように」と告げて下さる事を感謝したいと思います。
2021年1月24日(日)
礼拝メッセージ
イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。
                 マタイによる福音書8:3

 イエス様は、山を下りカファルナウムの町に向かわれました。その途中に出会った人の事をマタイは記しています。この人は「重い皮膚病を患っていた」人物でした。古代において、この病気は人々から恐れられている病でした。この病気を発症した人は、隔離され、町の外に住まなければなりませんでした。病気が完全に治るまでは、町に入ることはできませんでした。イエス様は病気のために「汚れた者」と言われたこの人に触れて下さり、癒しを与えて下さいました。私たちもまた、死に至る病のために汚れた者です。しかし、イエス様は私たちに近づき、清き御手によって触れて下さり罪の病の中から救い出し、清くして下さり、永遠に命の望みに生きる者に変えて下さいました。このことを喜ぶ信仰に生きるように励ましを与えて下さる事を教えられます。
2021年1月17日(日)
礼拝メッセージ
そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
                 マタイによる福音書7:24

 イエス様は山上の説教を語り終える前に譬えによって教えて下さいました。イエス様はこの教えを聞く者たちが、聴くだけではなく行動する事を求めておられます。イエス様を信じる事は、イエス様の言葉を聞いて従うという具体的な生活の仕方に表れてくることを教えられます。父なる神様と深い交わりに生きるイエス様が、この神様との交わりに私たちも招いて下さいます。神様を信じて主イエス様を通して礼拝をささげる事がわたしたちに求められています。
2021年1月10日(日)
礼拝メッセージ
主は人の一歩一歩を定めみ旨にかなう道を備えてくださる。
                     詩編37:23

 今年最初の礼拝をささげました。神様は私たちに詩編の言葉を与えて下さり、この新しい一年の歩みを祝福し、励ましてくださいます。詩人は「人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。」と教えています。私たちの人生は、いつも波風の無い平穏な毎日を送るわけではありません。しかし、神様は、荒波に会う時こそ、その手をとらえていてくださるお方であることを忘れてはなりません。主なる神様はその力ある御手によって信じる者たちを支えて下さるお方であることを覚えて感謝の礼拝をささげたいと思います。
2021年1月3日(日)
礼拝メッセージ
それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された霊″を信仰によって受けるためでした。
                   ガラテヤ書3:14

 この手紙は使徒パウロが、アジア州のガラテヤ地方のある教会の為に書いた手紙です。パウロが伝道した後でユダヤ教の律法を守るように教える伝道者が教会の中にいたようです。教会の人々はこの教えに従ってパウロが教えた福音に生きる事を忘れてしまったのです。そこで、パウロは急いでこの手紙をガラテヤの人々に書いて教えました。信仰によって始まった救いの喜びを人間の行いによって完成されることは、神様が求めている生活とは異なるものです。そのことを旧約聖書のアブラハムの生涯を通してパウロは説明します。アブラハムが神様に義とされたことも、信仰によるものでした。律法の行いによって神様に義と認めていただき事はイエス様よりほかには不可能でした。そのことを思い起し主イエス・キリストを信じる喜びをもう一度おもい出してもらいたいとパウロは教会の人々に願っています。私たちも、この一年の神様の恵みのみ業を思いだして感謝をささげたいと思います。
2020年12月27日(日)
礼拝メッセージ
マリヤは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
                ルカによる福音書1:38

 主イエス様、の誕生は天使ガブリエルによってマリヤに告げられました。マリヤはこの知らせを聞いて戸惑うばかりでした。主の使いの言葉を聞いても呆気に取られるばかりだったことでしょう。けれども、マリヤはこの天使の言葉を聞いて受け入れてゆきました。人間的な理屈を言いませんでした。神様はマリヤに信仰を与え、神の言葉を聞いて信じる者に変えられました。神様は救いを求める者たちを神の御心に従い生きる者として下さり、恵みに満たしてくださることを教えられます。
2020年12月20日(日)
礼拝メッセージ
わたしに向かって「主よ、主よ」という者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。
                マタイによる福音書7:21

 主イエス様は、山上の説教を語り終える前に、終末の裁きについて教えて下さいました。世の終わりが来るときにせ預言者が現れることを語られた後、天の父なる神様の前で主イエス様が彼らを裁いてくださいます。私たちは今、終末を生きる者たちです。主はイエス様を信じる者たちを御もとに集めて祝福して下さり、神様の御心に従い生きる者として下さり、御国の民として下さることを教えられます。
2020年12月13日(日)
礼拝メッセージ
しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。
                マタイによる福音書7:14

 山上の説教はこの7章で閉じられています。イエス様のお言葉のまとめの個所になります。これまでイエス様は、主を信じる者に与えられる祝福を教えて下さいました。「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない(11節)」と告げて下さいました。しかしこの祝福された狭い者から入る者は少なく父のもとに行くために道も細い事を教えて下さいます。天の父なる神様のところに通じる道はイエス様を信じて生きる事以外にない事を聖書は私たちに教えています。イエス様ご自身が「わたしは門である」と宣言して下さり、また、「わたしは道であり、真理であり、命である」と教えて下さいます。私たちはイエス様によって、命の道を歩むものに導かれていることを教えられます。
2020年12月6日(日)
礼拝メッセージ
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
                マタイによる福音書7:11

 主イエス様は6章33節において「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と語られました。そして、もう一度弟子たちに対して求め続ける事を教えて下さいました。
2020年11月29日(日)
礼拝メッセージ
人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
                マタイによる福音書7:1

 イエス様は律法の戒めによって、裁きを行っていた人々に教えて下さいました。人間を本当の意味で裁くことが出来るのは天の父なる神様だけでした。人間の持っている秤で正しい判断を下すことはできませんでした。イエス様はおが屑と丸太の例えによって教えて下さいます。人間は自分の目の中の丸太に気が付かないものです。それほどに人間の秤は罪によって壊されているということです。壊れた秤しか持たない人間の罪を主イエス様が身代わりの十字架の死によって回復の道を与えて下さいました。罪のないイエス様は罪びとの一人として神様の裁きを引き受けて下さいました。イエス様が身代わりとなって死んでくださったゆえに、私たちは神様から裁きを受ける必要がなくなったことを聖書は私たちに教えています。そして、イエス様は私たちの目から丸太を取り除いて神様の恵みの御業を見て知るもとにしてくださることを教えられます。
2020年11月22日(日)
礼拝メッセージ
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
                マタイによる福音書6:34

 主イエス様は人々がどんなに苦労しながら毎日を生きているのかを知ってくださいます。イエス様や弟子たちの生活も十分な食料があったわけではありませんでした。けれども、神様を父として信じる時にこのような心配から自由になれる事をイエス様は教えて下さいます。私たちも、今日という一日を大切に生きる時、神様を信頼して祈りながら生活する時に、確かに神様は、私たちの必要に答えてくださり、私たちの課題に答えを与えて下さるお方であることを教えて下さいます。信仰によって生きる喜び、神様が祈りを聞いて答えて下さる喜びを知る者たちとして下さることを教えられます。
2020年11月15日(日)
礼拝メッセージ
「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」
                マタイによる福音書6:21

 イエス様は、心の暗い者たちの目を開いて下さり、光を見る者たちに変えて下さいました。「目が澄んでいればあなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い」と語られています。真の光であるイエス様が与えて下さる光を持つ事によって弟子たちは暗い世界の中でも希望をもって生きる事が出来る事を教えられます。イエス様を見上げてイエス様だけに希望をもって生きる事をイエス様は弟子たちに願っておられます。「だれでも二人の主人に仕えることはできない」ものです。本当に大切なものが何か、イエス様は弟子たちに教えて下さいます。弟子たちもこの世の目に見る事が出来るこの世の富に心を奪われてしまう者たちであることをイエス様は知っておられました。けれども、この世の富に仕えていた者たちをイエス様はまことの主に仕える者たちに作り変えて下さいます。主を知り、主を愛して、感謝して生きる事にまことの幸せがある事をイエス様は弟子たちに明らかにしてくださいました。私たちの生きる本当の目的もこの神様を知る事を喜んで生きる者に変えて下さる喜びを学びたいと願うのです。
2020年11月8日(日)
礼拝メッセージ
「そう言って、手と脇とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ」
                ヨハネによる福音書20:20

 十字架の死の後に、よみがえられたイエス様は、その姿を弟子たちに示して下さいました。イエス様は肉体を持つお方として復活してくださいました。イエス様は体のよみがえるを弟子たちに教えて下さいました。その姿を見て、弟子たちは喜んだとヨハネは伝えています。「蒔かれてときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれたときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれたときには弱いものでも、力強いものに復活するのです」とパウロはコリントの教会の人々に教えています。それは「自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです」(15:44)。信仰に生きる人々は、天の父なる神様の恵みの御業によってよみがえりの体に与る者であることを教えられます。やがての時私たちも、イエス様と同じように復活の命に生かされる喜びを覚えて感謝の賛美と祈りを捧げたいと思います。
2020年11月1日(日)
礼拝メッセージ
「あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。」
                マタイによる福音書6:17

 主イエス様は「隠れたことを見ておられるあなたの父が報いて下さる」と信仰に生きる者たちの事を励まして教えて下さいます。人間は自分たちが見えている世界で物事を判断してしまいます。隠されていることは人間の評価の対象にはなりません。いくら良いことをしても人が褒めてくれることはありません。神様を信じ信仰に生きることは、人に褒めてもらうためではありません。神様に喜ばれる事を求めて信仰生活を送ります。神様に救いを感謝して生きることが信仰生活です。天の父なる神様が報いて下さる事をイエス様は約束してくだったことを教えられます。
2020年10月25日(日)
礼拝メッセージ
あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
                マタイによる福音書6:8b

 私たちの祈りは、絶えずみ言葉を聞いて、聖霊に導かれることによって豊かにされ深められていきます。けれども、私たちがどんなに長い信仰生活を重ね、どれだけ祈りの経験を積んだとしても、私たちは本当に祈るべきことを知らず、すぐに身勝手なこと、余計な事をくどくどと祈り始めてしまう者です。そのような私たちのために主イエス・キリストは、私たちが祈るべき祈りの手本を示してくださいました。本当に大切な事を祈ることが出来るように祈る言葉を与えて下さいました。それが「主の祈り」です。この祈りは過不足のない完全な祈りであり、神様の前に安心して祈ることが出来る祈りです。主の教えて下さった言葉をかみしめるように、この祈りを私たちの祈りとして信仰の歩みを踏み出したいと思います。
2020年10月18日(日)
礼拝メッセージ
見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
                マタイによる福音書6:1

 イエス様は信仰生活の具体的な歩みを示してくださいました。6章に記されている、施しをする事、祈りをする事、断食する事は、当時のユダヤ人の信仰生活で敬虔な信仰生活のために必要な行いでした。自分の信仰生活を人々に見てもらい、知ってもらうために人々の目に立つところで行われる事が多かったようです。しかし、イエス様はそのような信仰行為は、すでに報いを受けていることで、人が評価しなくても父なる神様に知ってもらうことこそが大切であると教えて下さいました。「隠れたことを見ておられる父が報いてくださる」と繰り返し語られました。人間の評価ではなく、神様に知っていただくことが私たちの信仰生活の大切な点である事を教えられます。
2020年10月11日(日)
礼拝メッセージ
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
                マタイによる福音書5:44

 イエス様は山上の説教において、キリストを信じる者に与えられる新しい生き方を教えて下さいました。ここで教えられている生き方は、クリスチャンに与えられる恵みとしての生き方であり、人間が努力して、修練して勝ち取る生き方ではありません。生まれたままの人間には到底実践する事が出来ない基準の高さが示されています。けれどもここで求められている生き方が、神様の求めておられる生き方です。主イエス様がこの神様の求めておられる生き方をそのまま生きて下さいました。神様の求めている清さの基準に生きて下さったのです。その清さが、信じる者に与えられます。このことを私たちは感謝して生きる事を教えられます。
2020年10月4日(日)
礼拝メッセージ
しかし、わたしは言っておく。「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
                マタイによる福音書5:39

 私が頬を打たれる時、もう一方の頬を差し出すのは、この私ではありません。罵られても、罵り返す事をせず。下着を奪う者に上着を分け与え、求める者に命までも与えてくださったのはイエス・キリストでした。父なる神と等しいお方が、おのれを無にして僕の身分になり、人間と同じ姿で現れ、罪のために滅ぶべき者たちのために、十字架の死をも耐え忍んでくださいました。私たちはこのキリストのものとされ、キリストの愛に生きる時、キリストの姿に似たものとして生きる者に変えられることを教えられます。
2020年9月27日(日)
礼拝メッセージ
しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは、神の玉座である。
                マタイによる福音書5:34

 主イエス様は、旧約聖書に記されている律法の基準を人々に教えて下さいました。その教えは律法学者たちの教えとは違っていました。「主に対して誓ったことは必ず果たせ」と命じられていた時に、天にかけて誓ったり、地にかけて誓ったり、エルサレムにかけて誓ったりすることが普通のこととして行われていました。それは主なる神様に誓ったわけではないから、それを果たすことが出来なくても許されると考えられていました。けれど、主イエス様は、そのような誓いの立て方も神の律法を犯す行為であると言われました。「一切誓いを立ててはならない」と主イエス様は告げられました。人間の約束すること、誓いが不誠実なものであることを主は知っておられました。けれど、神様の真実は変わることがありません。神様は誓ったことを必ず成し遂げてくださいます。それが御子キリストの十字架によって示されました。主を信じる者はこの主の十字架によって救われるのです。それが神様の約束だからです。