ものくろ君がけん玉? |
肩書き |
支部長
と言っても、日本けん玉協会へ会費を振り込めば
誰でもなれる。 |
腕前 |
準初段 (ホームページ開設当初)
(2003年9月、ようやく正式な初段になりました。
実力はもうちょっと上ですが、飛び段はだめらしいので、とりあえず初段から。)
おそらく、世界中の支部長の中で、最も下手。
恥ずかしくて準初段などと言えない。
しかし、そんな私の腕前を知っている、広島県代表の
今田弘武8段や、2002年度もしかめ世界チャンピオンの広木6段などは
どんなに下手な者にも優しく接してくれる。
道を極めた人は、人間が大きいなあ。見習わなくては。 |
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けん玉略歴 |
初めてのけん玉 |
おそらく、小学校4年生頃だったと思う。
持ち方も何にもわからなかったが、
玉を回すと、剣に入ることを友だちから教えてもらって、
けん玉を極めたつもりになっていた。 |
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修学旅行 |
6年生の時、伊勢に修学旅行に行った。
そこの土産物屋に高さ60cmぐらいの
けん玉がおいてあったので、「売ってくれ」
といったが、飾り物なので売ってくれなかった。 |
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平成元年 |
営業先の家に行ったとき、けん玉がおいてあったので
さっそく、玉を回して、剣に入れた。
そこの子どもは、「こんなに上手な人初めてみた」
と感心していた。私の自信は揺るぎない物へと
変わっていった。 |
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平成3年 |
当時の支社長(T村世津子)が全社員にけん玉を
買い与えてくれた。初めて、公認のけん玉に触れた
瞬間であった。
同時に買った「けん玉スポーツ入門」に、
「玉を回して剣に入れるのは反則」と書いてあり、
愕然とした。
その日から、練習を始めた。
風呂上がりに、裸でとめ剣の練習をして、
風邪をひいたので、秋か初冬の出来事だろう。 |
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平成4年 |
地区の芸能大会でけん玉を披露。
この当時はすでに1級の腕前であった。
この技は、灯台。
まだ、お笑いに走っていないまじめな頃の
ものくろ君。髪の毛もたくさんあったし、
やせている。 |
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平成10年 |
しばらく、けん玉と遠ざかっていたが、久しぶりに
やってみたらまあまあできた。
なんとなく、けん玉協会に入ってみようかなと思い、入会。
入会金3000円、年会費3000円ぐらい。
とりあえず、級位認定証を発行できるので
近所の子どもたちに基本技を教えて、認定証を
配っていた。
当時の子どもたちの最高位が、準初段。
私もこのころ、準初段にようやく昇級。 |
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平成12年2000年 |
近所の子どもたちを連れて、中四国けん玉予選に
出場。4名のうち、一人が初段、残りの3人が
3級程度。参加賞のミニけん玉欲しさに、出場した。
案の定、惨敗。最下位2名が、うちの子ども。
ビデオを見て練習していったにもかかわらず、
他の子どもたちの迫力に、恐怖さえ抱く。
しかし、今田7段が言われた
「明日から強くなれ」
の言葉に全員発憤し、
初段の子は1ヶ月後には2段に、
その他の子も準初段・初段へ腕を上げた。 |
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平成13年4月22日
広島県廿日市市
阿品公民館 |
けん玉道中国大会出場
Bクラスの部でなんと予選通過。
ベスト8進出を果たす。
予選の第1種目では飛行機を10回連続成功させ、
一時トップに躍り出るが、
プレッシャーのため次のふりけんを5回連続失敗。
その後日本一周、世界一周の失敗を5回に抑え持ち直すが、
得意の灯台になると、手がふるえてなかなか剣が止まらず、
5回も失敗。結局、50点満点中、35点でぎりぎり通過。
この時点でベスト8が確定した。
1回戦は予選1位と対戦。試合前から相手の実力を知っていたので
完全に飲まれていた。抽選の結果、第1種目は、世界一周。
1回目は何とか成功させたが、相手も軽くクリア。2回目はプレッシャーで
失敗してしまい、1本とられた。
2種目目は私が抽選する番。残る種目のうちで苦手なのはふりけん。
相手が苦手だと言っていたのは灯台。「灯台」と祈って引いたくじには
ふりけんと書いてあった。あっさり2本とられ1回戦で敗退。
一緒に行った廣本選手は、受付でいきなり、「けん玉売ってください。」
というではないか。試合に出ることより、今田七段サイン入りのけん玉を買うのが夢だったらしい。受付の野々下さんに「優勝したらけん玉がもらえるから、結果が分かるまで買わない方がいいよ」
といわれ、渋々後回しにすることに。
そんな彼が、なんと予選2位で通過。
決勝トーナメントでは、
1回戦は基本の飛行機を失敗したが、世界一周で取り返し1対1の引き分け。
タイム競技で勝負を決定することになった。
廣本君は予選通過が目標だったため、タイム競技は練習しておらず、
当日会場で出会った友だちに誘われて、練習しただけである。
相手は、予選7位とはいえ、普段からけん玉道場に通っている
かなりの経験者。会場の予想は、ほとんどが廣本君不利であった。
しかし、相手が油断したのか、運が良かったのか、何とか廣本君が勝つことができた。
準決勝の相手は予選3位の強豪。
しかし、意外とあっさり2本取り、余裕の決勝進出を果たした。
決勝の相手は、朝会場で友だちになった中学1年生の子。
私のことを、「おじさんおじさん」と呼んで、人なつっこく相手にしてくれた。
廣本君は朝、この子にタイム競技を教えてもらった恩のある子だ。
さて、試合は1種目目が、また飛行機となった。
さっきの失敗が尾を引いているのか、やはり失敗し、一本とられた。
2種目目は両者成功し、3種目目。これを相手が失敗しなければ、
相手の優勝だ。
しかし、相手が灯台を失敗し、1対1の同点になった。
ここで、タイム競技だ。
相手は朝教えてもらった、強豪。しかも、タイム競技は得意中の得意ときている。
誰の目にも、廣本君に勝ち目はなかった。
しかし、天が味方したのか、3秒差で廣本君の優勝。
念願の初優勝を飾ったのである。
去年、この大会で最下位で予選敗退したことを考えると、
かなりの進歩である。
副賞にけん玉3個をもらい、ご満悦であった。
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平成13年6月17日
広島県廿日市市
阿品公民館 |
文部科学大臣杯けん玉大会全国大会予選
Bの部で出場
予選は、飛行機・ふり剣・日本一周・世界一周・灯台の5種目を5回ずつ行う。
何とか、予選7位で通過。
決勝トーナメントでは、予選2位の人と対戦した。
1種目目の日本一周では、相手がまさかの失敗で、一本先取した。
次は世界一周であっさりとらててしまった。
1対1となり、決定戦も世界一周だ。
相手が4回連続で失敗したので、これはベスト4だと、喜んだが、
私も負けずに5回連続失敗。
あえなく、1回戦で敗退した。
私に勝った人は準優勝だっただけに悔やまれる敗戦だ。 |
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平成13年7月16日
ものくろ亭 |
けん玉チャンピオンの広木さんを職場と自宅に招きけん玉教室を行った。
掲示板からの転載
けん玉チャンピオンの会にはたくさんお集まりいただきありがとうございます。
会はお陰様で大変盛り上がり、みなさん、けん玉を購入すると言い残して 帰って行かれました。
チャンピオンの広木さんは想像を絶するうまさで、掲示板では表現できません。 性格的にも好青年で道を究めた人は人間ができるのだなとかんしんしました。 できれば、また、来ていただきたいものです。
けん玉の色は、黒、赤、青、木目とありますが、広木さんによると、 青が一番やりやすいそうです。木目は最悪なので買わない方がいいらしいです。 私が使った感想では、 始めたばかりの日はどの色でも変わりません。 一週間ぐらいやった人は、赤か、青がよいでしょう。 黒は、穴の位置が見えにくいのでやめた方がよいと思います。 私のメインけん玉も黒ですが、照明の具合によって、穴の色と玉の黒が重なって 技が失敗することが多々あります。(本当は腕のせいだけど)
では。 |
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平成13年11月
KRY |
突然、ラジオ出演の依頼が来る。
けん玉をやっている人にインタビューしたいとのこと。
KRYの水津香織アナウンサーがアロー号に乗ってやってきた。
水津「では、ものくろさん、最後に得意技のもしかめをお願いします」
私は、ネタで10回ぐらいでわざと落とすつもりだったが、
なんと3回で落としてしまった。
本番に弱い支部長である。 |
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2002年12月3日(火)中国新聞 |
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2003年11月9日 |
2003もしかめ選手権で広島大学けん玉研究会「DAMAけん」の初代総帥
窪田保くんが、☆優勝☆歴代最高記録8時間00分(窪田保)
ギネスブックに載ります。おめでとう。 |
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DAMAけん |
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