学生時代の出来事

芥川龍之介論
「鼻」

この論文は、ものくろが学生時代に書いたものである。本当は、もう少し裏話があるのだが、
ここでは語ることができないのでご容赦いただきたい。

しかし、俺って、昔は頭が良かったんだなあ。今ではこんな文章絶対にかけないよ。
っていうか、今では理解できないよなあ。

  
竜之介−彼は優等生であるというプレッシャーを背負って生きていた。たえず周囲の目を意識し、
家族や友人に対しても古いモラルをそのまま実践したような生涯であったという。そんな彼は、
恋愛においても自然のままの自己を表現し得なかった。さぞかし空しかったであろう。弱い自己に
憤慨したことであろう。
 私には、この「鼻」の主人公である禅智内供にそんな彼の主観がみごと投入されているように
思われた。内供は身分こそ高いが、自分の身体上の欠点である長鼻によって自尊心を傷つけら
れている平凡な一人の人間であり、自分のような珍しく厄介な鼻はこの世に二つとないとことを
十分自覚している。つまり、高僧としてレッテルを貼られている自分が長鼻を気に病んでいることに
対しての世間体を意識する余り、自然の自己をカムフラージュして生き続けてきたことになる。
ここに優等生を演じ続けていた龍之介の「外面的には華やかで人に羨まれるような特別な存在で
あっても、すべての人間はごく普通の人間であり真の姿は一般人と何の変わりもないのだ」という
心理が打ち出されている。それは換言するなら、彼の、自分は優等生なんかじゃない、という叫び、
且つもっと自分に自分の考えを貫き通せる強い人間になりたい、という願望といえるだろう。
 その反面、我々人間には自分は自分、他人は他人という割り切ったところがあり、相手の立場に
立って物事を考えてみるとか相手を思いやる姿勢に乏しい傾向がある。そんな人間の集合体が
世間であり、その思惑というものは恐ろしいまでに人類の満足・幸福感に関与してくる。だが、
それはやむを得ないことである。恋・鼻において自己の願望を閉ざした龍之介・内供の両者に
この諦念も感じた。
 この小説は最終シーン「内供が明け方の秋風に長鼻をぶらつかせながらもう笑うものはないに
違いないと自分に囁いている」が山であるが、私はこれを内供の新たなる人生創造への出発点と
解釈したい。鼻が短くなったとき、「こうなればもう誰も笑うものはないに違いない。」と内供は思う。
これは末尾の鼻が元どおり長くなったときのことばと完全に一致しており、龍之介が意識的に
繰り返したことは明らかである。しかし両者は同一の意味のものではあり得ないだろう。前者では
予期に反して一層露骨に笑われた。その事実をふまえて内供は再び誰も笑うものはないに違い
ないと心の中で自分に囁いたのである。
 たとえ、そのあと、さらにまた長くなった鼻を笑われるはずだと論理的には考えられるとしても、
「あのようにつけつけとは笑わない」かつての日常が帰ってくることだけは確かである。
「こうなれば、もう誰も笑うものはないに違いない。」これは内供が常に繰り返す祈りであり、誰もこの
祈りを笑うことはできないのである。たとえ笑われようとも、「長い鼻を明け方の秋風にぶらつかせながら」
内供は彼自身の日々を生きていくばかりなのである。
 内供がこれからも周囲の人々によって長鼻を笑われることは確実である。しかし、おそらく内供は
再び鼻を長くしようとはしないと私は考える。長鼻を苦にしている自然な自己を公然にさらけ出して
しまったことで孤独な演技から解放されると同時に心的負担が軽減したであろう内供には、世間の
笑いの受け止め方に余裕が生まれてくるのではないだろうか。外界という因子は、捉える側の心の
持ちよう如何によって良くも悪くもなる部分があるのである。
 また、周囲の人々にたとえ笑われようとも決して動じない強くたくましい内供であって欲しいという
龍之介の祈りが込められているようにも思えた。
 羅生門とは違ってこの小説が明け方で締め括られていることも、希望・明るい見通しの暗示と受け
取れまいか。また、最後の「庭は黄金を敷いたように明るい」というのも龍之介得意の色彩描写で
実に美しく、希望を感じさせる表現である。
 そうでなければ、失恋直後の龍之介が書いたものとして、この小説はあまりに悲しく、切なすぎる。
 誰もが、人間である以上、内(自己の内面、本当の部分、本音、真の姿)と外(外界、世間、体裁、体面)
との対峙に悩み生きているであろう。しかし、果たして内と外とを巧みに照応させ、納得のいく毎日を
送っている人が何人いるというのか。
 私はこの「鼻」という小説に、虚しいユーモアと人間の脆(もろ)さというものをことごとく痛感した次第である。
☆典拠 
今昔物語巻第二十八「池ノ尾ノ禅珍内供ノ鼻ノ語第二十」及び宇治拾遺物語巻二
「鼻長き僧のこと」を材料とし、ゴオゴリの「鼻」に暗示されて主人公禅智内供の心理解析を行っている。