なぜそば打ちを?

なぜそば打ちを始めたの?とお思いのあなたへ・・・
きっかけ
学生時代、長野県出身の友だちの家に遊びに行っていたところ、
その人の実家から宅配便が届いた。
中から出てきたのは、米や服などの必需品に混じって、そば粉も。
友人は「おっそばだ。今から打つから、待っててね。」
と言っていきなり打ち始めた。
まな板の上で練り、すりこぎで伸ばして、普通の包丁で切っている。
太さはきしめんぐらい。テレビで見たそば打ちとは全然違う。
ゆでてしょうゆをかけて食べた。
正直言ってあまりおいしくなかったが、
長野の実家ではいつもこうやって食べているとのこと。
この出来事が、初めてのそば打ち見学であった。
(以下、長野事件)
初めての経験(平成5年頃?)
長野事件から数年たったある日、すでに結婚していた私は、
ふと、食品庫の中に「はったい粉」があるのを発見した。
それまではったい粉とは何かを知らなかったので裏の説明書を
読んでみた。どうやら、「そば粉」を煎ったものらしい。
(その後の調査により、小麦粉を煎った物であることが判明)
たまたま、世良商店(知っている人は知っている店)でもらった
料理のパンフレットみたいなのに、「手打ちそばの作り方」というのが
載っていたので、はったい粉に小麦粉と卵を混ぜて作ってみた。
ゆでてみると3cmぐらいの長さで切れてしまい、食感もボソボソで
食べられたものではない。
初めての経験は大失敗であった。
(以下、はったい粉事件)
そば粉入手
はったい粉事件の原因は、はったい粉のせいだと結論づけた私。
なんとかそば粉を手に入れようといろんな所を回ってみたが、
どこで売っているのか分からない。高速道路のSAで出雲のそば粉
を入手。これで打てるぞと思い、さっそくそば打ちに挑戦。
世良商店のパンフを手に、再び挑戦。
しかし、切ったあと、そば同士がくっついて食べられない。
うーん、うまく切る方法はないものかな。味はそば粉なのでまあまあだが、
やはりこしがなく3cmぐらいで切れてしまう。
(以下、そばくっつき事件)
パスタマシーン購入
世良商店のパンフに「パスタマシーン」を使うと本格的なそばやパスタが打てる
と書いてあったので、早速、ザモール周南(娘が小さいときはダンボール周南と言っていた)に
買いに行った。18000円。それはそれは、きれいに切れますよ。プロ並みです。
1年ぐらいこれで切っていたかな。
でも、切るよりも大切なのは、「こね」です。こねができるようになるまで2年ぐらいかかりました。
昔は、そば打ち教室もなかったし、本もほとんどなかったし。もちろん、そば打ちがブームになるのは
ずっと後のこと。
この頃、飲み友だちがたくさんできて、まだあまりうまくないそばを振る舞っていた。
みんな、「おいしい、おいしい」といってくれていたので調子に乗って毎回、打っていた。
おかげでかなりうまくなった。
(以下、パスタマシーン事件)
大阪で包丁、駒板、エプロンを購入(平成8年頃)
大阪に旅行に行ったとき、たまたま入ったパチンコ屋で大儲け。
その足で、南の道具屋筋に行ってそばグッズを購入。包丁はピンからキリまでいろいろあったが
1時間ぐらい選んで15000円ぐらいのを購入。
包丁を買ってからはパスタマシーンを一度も使ってないので
もったいないことをしたと後悔する。
(以下、大阪事件)
アンドレさん(平成9年夏頃)
フランスからのホームステイでアンドレさんがMt.元さんちにやってきた。
2週間ぐらい滞在するので、そばを打ちに来てくれと言われ、張り切って出かけた。
元さんちでそばを打っていると、アンドレさんが帰ってきて、いきなり
「ソバ!」と言った。
なんだ、ソバを知っているんだと思いあとから聞いてみるとソバは初めてらしい。
「でも、さっきソバって言ったじゃないか」と言うと、
ソバではなくて、「サバ」と言ったらしい。
サバというのはどうやら「こんばんは」訂正(やあ元気?)のようだ。
第二外国語でフランス語を選択していたにもかかわらず、サバすら知らないなんて・・・情けない。
(以下、ソバ事件)
アンドレさんそば切り
アンドレさんにそばを切ってもらった。うどんぐらいの太さだが、喜んで切っていた。
食べさせると、非常に気に入ったみたいで、「トレビアン」を連発している。
フランスでもそばが流行しないかな?
(以下、トレビアン事件)
宮島でそば
アンドレさんは、次の日、宮島に出かけていった。他のフランス人たちと一緒に。
宮島で昼食をとることになった時、アンドレさんがみんなにこういったらしい。
「おいみんな、そばがうまいぞ。そばにしよう!」
一同、そばを注文し、やっぱり「トレビアン」を連発したらしい。
フランス人にそばは合うらしい。
(数年後、フランスでそばブームが巻きおこったらしい。ブームの火付け役はもしかして俺?)
(以下、宮島事件)
錦帯橋事件
数日後、アンドレさん一行は、岩国の錦帯橋に行った。昼食はもちろん、そばを食べるつもりで。
しかし、入った店のショーウインドウにあったのは、そばに似た「チャンポン」だった。
出てきたチャンポンを見て一同絶句。全員、一口だけ食べて、無言で店を出たらしい。
(以下、チャンポン事件)
出雲に修行(平成10年3月)
出雲のそば屋でそば打ち道場が始まったので早速行ってみた。
いままで本を見て我流でやってきたので、いろいろ学ぶところが多かった。
水回しなどは全く違うことをやっていた。このときに習った打ち方が今でも続いている。
(以下、出雲事件)
時々失敗
そば打ちもかなり上達してきて、たまに、プロ級の味が出せるようになってきた。
しかし、気温や湿度の違いで失敗することもある。理由を考えてみると、
どうやら、こね鉢にあるようだ。それまでは、木製のこね鉢を使っていた。
要らない水分を吸収してくれるので良いと思っていたが、吸いすぎてしまうようだ。
それに気づいてからは、陶器製のこね鉢を買って失敗が少なくなってきた。
(以下、こね鉢事件)
おまえに教えることはもうない
出雲事件以来、何度か道場に通った。
ある時、師匠から「もう、一人前だ。おまえに教えることはもうない」と言ってもらった。
うまくなったとはいえ、その日も師匠から教えてもらったことは山ほどあるので、
一人前になったとは言えない。
(以下、おまえに事件)