日本医大ボディビル部

初掲日(1997.4.10)


部長 川田智之(衛生学・公衆衛生学主任教授)

主将 野村 聡

主務 秋山 豪

名誉OB 阿久津一巳(皮膚科開業)

OB会長 武田知通(日本医大整形外科)

創設者 吉田幸弘(故人) 村重典昭


ボディビル部の歴史

1984年9月11日、当時医学部2年生の吉田幸弘(故人: 平成9年8月没)と村重典昭が日本医大学生会館の地下集会場 (当時、がらくた置き場であった!)より、NE社のベンチプレス台1個とバーベル1本、ダンベル2本をごみの中から見つけ、 トレーニングを開始。その後、同好の学生を集め、ミッキーマウストレーニング同好会を発足したのが、この部の発祥である。以後、彼らの私財及び有志学生からのカンパにより 徐々に器具を増やし、2年後、日本医科大学ボディビル部に昇格。同時に日本医大の学生として初めてボディビル界に名を残していた阿久津一巳先生(日本医大飯田橋第一病院皮膚科OB) に名誉OBとなって頂いた。阿久津先生は、1977年第17回関東学生ボディビル選手権大会(6/26:東洋大講堂)のオープンの部で優勝。胸の部分賞とベストポーザー賞も受賞。 学連の部では臼井さん(現JBBF東京ブロック理事長)が優勝し、3位が高西さん。彼らを押さえての部分賞の受賞までされている凄い先生です。

めでたく、大学認定の部となったので、1986年全日本学生ボディビル連盟に所属し(現在は脱退)、村重部員が東日本学生ボディビル選手権大会24位入賞。

武田部員は学生時代、社会人の大会で1993年東京クラス別ボディビル選手権75kg級6位。卒後は2005年に福島県ボディビル選手権大会3位入賞。 2006年には日本クラス別80キロ級に初出場を果たした。 川越部員も学生でありながら社会人の大会に参加し、1998年東京オープン体重別ボディビル選手権大会65kg級ピックアップ2回、惜しくも入賞を逃した。 しかし、2000年東京オープン体重別ボディビル選手権大会75kg級で4位入賞を成し遂げた。 村重部員は卒後の1994年日米親善ボディビル選手権大会65kg級優勝、2003年中国5県ボディビル選手権65kg級優勝及び中四国ボディビル選手権65kg級優勝、 2009年山口県ボディビル選手権大会優勝、2011年中四国ボディビル選手権75kg級及び総合優勝。2004年より日本クラス別ボディビル選手権大会に出場し、2012年に70kg級で決勝進出し、 6位入賞を果たした(下記写真)。


部所有器具一覧

プレート式ケーブルクロスマシン(ボディソリッド製)、セフティベンチ プレスマシン(軸ベアリングのプレート式: NE製)、ワイドベンチプレス台(パラボディ製)、スミスマシン(大分BIG製)、 Tバーローマシン(NE製)、Tバーローマシン(パラボディ製)、マルチアームベンチ(NE製)、45度レグプレスマシン (大分BIG製)、レグカール&イクステンション マシン(大分BIG製)、パワーラック(ボディソリッド製)、 デラックスローマンベンチ(NE製)、プレート式レグカール& イクステンションマシン(ボディソリッド製)、 プレート(30kg×6枚, 20kg×18枚, 15kg×4枚, 10kg×16枚, 7.5kg×4枚, 5kg×21枚, 2.5kg×14枚, 1.25kg×8枚, その他)、EZバー2本、ロングバー2本、ノーマルバー5本、ダンベルバー8本などです。


ボディビル(国内外)大会結果速報

健康体力研究所

アイアンマン・ジャパン

岡山大学ウェートトレーニング部のHP

JBBFのHP

阿久津先生の月ボでの記事(1977年8月号)のHP


村重典昭(2012.9.9)


文責 村重典昭..... murashige@nifty.ne.jp