boomerさんのボディビル小説

続ライバル達の唄〜again

第二章

今年も またこの日がやって来た…


10月第1日曜日…


『日本ボディービルディング選手権大会』

文字通り 日本最高峰の大会である…
『日本クラス別選手権』が体重別の日本一を決める大会ならば
、この『日本選手権』は、全ての階級の 日本一を決める大会である。
よって 参加選手の中には、仕上がり体重60キロに満たない選手もいれば90キロを越える選手もいる。
それらの選手が、揃って 同じ舞台で競い合う。
まさに、この大会の優勝者が、『日本一』のボディービルダーの称号を与えられる事になる。


この『日本選手権大会』において、実に14年連続で、勝ち続けているのが、小内英雄である…
まさに前人未到の大記録である。
その間に、国内の大会で敗れた事は 1度も無い…
27歳で この大会を制して以来、14年間 ずっと日本一の座に君臨し続けている。
まさに キング.オブ.ボディービルダーなのだ。
90年代後半から、2000年代に掛けては、まさに小内の独裁政権であった。
その分、『アンチ小内』も存在する。
彼等の中には『日本で勝てても、世界では通用しないじゃないか。』
『後進に道を譲る為にも早く引退するべきだ。』
あるいは『今の審査のスタンダードが あまりに小内に有利に働き過ぎている。』等と口にする者もいる。
そして、彼等は揃って最後に『もしも、あの゛宮本護゛が生きていたならば…』と嘆くのである…



八木道夫が『日本選手権』を観戦するのは、これで4度目である…
去年から、先輩記者にかわり この『日本選手権観戦レポート』を任されている。
その事は、つまり彼が今や押しも押されぬ『月刊マッスルマガジン』のエース記者に成長した事を意味する。
元々 好きでなったボディービル記者ではなかった…
たまたま欠員が出た編集部に『新入社員の中で一番体力がありそうだから。』という理由だけで配属された。
しかし、この競技に馴染む事が出来ずに、何時辞めても構わない気持ちでいた…
そんな彼が、仕事を忘れてまで この競技に のめり込む きっかけとなったのが、
2年前の『日本クラス別70キロ級』の闘いであった。


『また今年も小内さんで決まりですかね?』
隣で後輩記者の、今井幹夫が話し掛けてくる…
『否、今年は分からんぞ。先のクラス別で大河さんも、完全復活したし、猪狩くんも随分と良くなってい た。
あと、ジャパンオープンの状態で、本城さんが出て来たら、小内さんと言えども かなり苦戦する筈 だ…』



゛本城剛゛…


今、八木が一番注目している選手である。
細いウェストから美しく広がるラインは、あの天才゛宮本護゛を彷彿させる。
肩、胸、腕、脚と丸みを帯びた筋肉が、彼の美しさを一層と 引き立てる。
ただ、自然体で立っているだけで、これ程 美しさを表現出来るボディービルダーは、そうはいない。
その点も、まさに宮本護の再来だ。

去年の日本選手権に突然と現れた。
そこで、何といきなりの6位入賞。
日本選手権初出場で この成績は、まさに奇跡的である。
更に今年のジャパンオープンでは、より完成度を増した身体で登場し、見事に優勝を飾った。

『彼ならば、あるいは小内を止めるのでは…』
場内は 明かに15年ぶりの新チャンピオン誕生の期待に満ち溢れている。
そして、おおよそ ボディービルとは結びつかない若い女性の集団…
更に、一般のメディアの人間の顔も、ちらほらと見受けられる。
違う!明らかに去年までの会場の雰囲気とは空気が違っている。
誰もが、ジャンルを超えた新たなるスターの誕生を待ち望んでいるのだ。


小内、大河、そして本城…
日本ボディービル界のカリスマが一同に会する…
この顔合わせは、あるいは、これが最初で最後になるのかもしれない…

この時八木は、何故かこの場にいない 一人の男の顔を思い浮かべていた…
不器用で無愛想な 男の顔…
彼ならば 彼等としのぎを削ったとしても、何の不思議もない…


゛吉岡修司゛…


それが、その男の名である…
あの伝説の゛宮本護が、唯一ライバルと認めた男…
八木は、今年の夏、偶然彼に会った…
大河実が復活を飾った日本クラス別会場のロビー…
男の顔からは、あのギラギラとした物は消え去り、妙に穏やかな目をしていた…

そして今日の開場前、本城剛から声を掛けられた…
8月、N県に新装オープンしたGジムにセミナーに行った所、偶然 彼によく似た人物を見掛けたそうだ…
果たして、彼はN県に住んでいるのか?
そして 彼は、今もトレーニングを続けているのか?

何気なく、そんな事を考えていると、予選開始を告げるブザーが鳴り響いた。
今まさに、43人の選手が一斉にステージに現れようとしている…




熱戦の始まりである…






終わってみると、やはり今年も、この男であった…



これで『日本ボディービル選手権』15連覇。
やはり強かった…

例え、大河実が、過去最高の仕上がりで挑んで来ようが、本城剛が その美しい身体で、客席に鮮烈なイ ンパクトを与えようが、
やはりこの日本ボディービル界の巨人を倒すには至らなかった…

しかし 過去の14回と違い、今回は圧勝という訳にはいかなかった…
去年までは、ずっとパーフェクトスコアで勝って来た…
しかし、今年は…


通常ボディービルの審査は、まず7名の審査員が1位の選手に1点、2位に2点、3位に3点…と付けていく…
その選手に付いた点数のうち、最高値と最大値を、それぞれ1つずつカットした、残り5名の審査員の点 数の合計がその選手のポイントとなる。
この審査を予選、決勝と繰り返し、その合計点が少ない選手から上の順位となる。


今回の予選で 本城は2つ、大河は1つ、それぞれ1位票を獲得している。
もはや確実に、小内英雄と2位以下の選手との差は縮まって来ている…


2位…大河実…


3位…本城剛…


予選が終わった段階では、1ポイント本城の方が上回っていた…
しかし、決勝で その1ポイントを大河が奪い返す…
結局はタイスコア…
規定により、決勝審査でのポイントが高い 大河が2位となり、本城は3位に終わった…
本城の3位がコールされた瞬間、館内は悲鳴と溜め息の入り交じった何ともいえぬ空気に包まれた…
しかし、小内と2位以下の選手との差以上に、大河と本城の差も縮まっている…
おそらく、今日の大河が過去最高でなければ、二人の順位は入れ替わっていたであろう…



日本選手権大会翌日…



八木道夫は、小内の勤めるNボディービルジムに向かっていた。
大会直後の優勝者の独占インタビュー…
毎年続いている 『月刊マッスルマガジン』の目玉企画である。
例年ならば 当日、大会終了後 会場で行うのだが、今年は゛本城効果゛で一般のメディアも多く、それど ころではなかった…
そこで、無理をお願いし、特別に翌日時間を取ってもらう事になったのだ。

噂によると、小内は常日頃から、親しい友人に、15回という区切りの良い優勝回数で、現役生活を終わ りにしたいと話していたという。
おそらく、選手として もう思い残す事は無いのだろう…
結局 世界には、手が届かなかった…
しかし、彼のクラスである ライトヘビー級での 欧米選手の桁違いの化け物じみた筋量を考えると、むし ろ健闘した方だと言えるだろう…


゛Nボディービルジム゛


30年以上も前に、第10代日本チャンピオンである 近藤幸太が設立したジムである。
この30年の間に、実に5人もの 日本チャンピオンを輩出している名門だ。
雑居ビルの2階という一見分かりにくい場所に存在する為、近所の住民でさえ、
そこにボディービルジム がある事を知らない人もいるという…
しかし、全国のファンからすれば、ここは まさにボディービルのメッカなのだ…
決して、大手のスポーツクラブやGジムの様に最新式のマシンや設備がある訳でもない…
しかしここには コーチとして あの゛小内英雄゛がいる。
ただ それだけの理由で 人々は、夏は蒸し暑く、冬は 全身が かじかむ程に寒い このジムに魅せられる。


約束の時間よりも、1時間も早く着いてしまった…
月曜日の午前中という事もあり、ジム内は ひっそりとしている…
入口 付近で、中年の男性が二人 エアロバイクを漕いでいるのみだ…
っと 奥の方に目を移すと、スクワットラックの前で 一人の男が佇んでいる…

身長、170センチ台後半…
とても日本人とは 思えない 褐色の肌をしている…
タンクトップと短パン姿から はみ出た肉体には、ほんの1gも余分な脂肪が無い…
どうやら、精神を集中をしている所らしい…
ラックには、20キロのバーに、20キロプレートが10枚、さらに10キロプレートが2枚
セットされている…

計 240キログラム…

驚異的な重量である。
男は、フーっと息を吐くと バーの下に潜り込む…
そのまま バーを肩に担ぎ上げ ラックから 取り外す…
プレートの重みで、バーが小刻みに しなる…

『スー』

思いきり 息を吸い込むと、そのまま ゆっくりと しゃがんでいく…
これだけの重量を背負いながら、背中の見事なアーチが崩れる事はない…
そのまま、太股の裏が、ふくらはぎに ほとんど くっ付くまで しゃがみ込む…

『ぐおっ!!』

まるで 限界まで引ききった 弓矢を、一気にとき放つ様に 今度は爆発的に立ち上がる…
男の屈伸運動に合わせて、脚の筋繊維が動いているのが見て取れる…
否…脚だけではない…タンクトップから、はみ出した肩の、背中の腕の筋肉が、モゾモゾと動いている…
まるで人体解剖図がスクワットをしている様だ…
みるみる脚全体に、まるで蜘蛛の巣の様に張り巡らせた 血管が 浮かび上がって来る…
やがて、その蜘蛛の巣が全身を覆い尽くしていく…


2発…


3発…


そのたびに、バーがしなる…
見ている者が 息苦しくなる程の パフォーマンスだ…
4発目の挙上途中で、バーの動きがピタリと止まった…
男が必死に堪える…
脚が、全身の筋肉がピクピクと痙攣しているのが、ここからも見て取れる…


『んごぉぉぉぉ!!!』


雄叫びと共に、一旦止まっていたバーが再びゆっくりと動き出す…
そのまま、ラックにバーを戻し、その場に 倒れ込んでしまった…
この男こそ、日本ボディービル界の巨人、小内英雄であった…



『チャンプは毎年 こうなんだよ。』
不意に後から 誰かの声がした…
近藤幸太…このジムのオーナーである。
既に60歳を大きく超えているにも拘わらず、未だに鍛え込まれた その肉体は若々しい。
『チャンプはね、毎年 日本選手権の翌日は、極めてハードに脚のトレーニングをやるんだよ。
15年間 欠かさずにね。まぁ、今年1年を締めくくる 儀式みたいなものだな。』
『あ、どーも… 何でまた その様な事を…?』
『うん、まぁ 彼に言わせると、今年至らなかった点の反省と、優勝した事で生じる驕りを たしなむ為ら しいのだがね。』
『驕りを たしなむ…?』
『うん、例え日本選手権を何年連続で勝とうが、小内英雄は 常にチャレンジャーなんだよ。 彼が日本チャンピオンでいるのは、大会当日の夜まで…
次の日の この儀式を境に また1チャレンジャー に戻る訳さ。』


言葉も出て来ない…

何というストイックさだろう…

何という ハングリーさだろう…

この国で一番のボディービルダーが、この国で一番、勝利に対して 己の筋肉に対して貪欲なのだ…

やはり、この巨人の姿を見る限り、あくまで噂は噂でしかない…

この男が 今の状況に、決して満足しているとは思えない…

そんな事を考えながら、既に次のセットにへの集中を高めている偉大な背中を見つめた。
っと、不意に目と目が合う…
『よう!早いな。もうすぐ終わるから、あと少し待っててな。』
『はい…』
『ヨッシャあ!!』


気合いの掛け声と共に、巨人は再び次のセットが待つスクワットラックへ向かって行った…






冷たい霧雨が落ちている…



K県郊外の とある教会…
一人の男が、墓標の前に佇んでいる。
黒い背広を着ている…
傘では隠しきれない程の広い肩幅をしている…
傘からはみ出た肩に容赦なく水滴が染み込んでいく…


『宮本護.美奈子』


墓石には、そう彫られている…

『いよいよ明日出かけるよ。』

男が墓石に話しかける…


既に日本選手権から2週間の時が流れていた…


『日本クラス別70キロ級優勝』

『日本選手権 第2位』

それが、今年度の この男の戦績である。
しかし まだ今年の闘いは終わっていない。
『アジアボディービル選手権』
アジア大会代表選考会を兼ねる『日本クラス別70キロ級』で優勝した彼は、
韓国釜山で行われる この 大会の日本代表に選ばれていた…


男の名は 大河実…


宮本護の師匠であり、妻 美奈子の叔父でもある。

アジア大会優勝は、長年の彼の夢である…
初出場は10年前…
予選を通過する事さえも出来なかった…
その後 毎年挑戦し続けて 5年前に遂に第2位…
とうとう王手を賭けた…
しかし そこから3年続けて2位が続く。
3年続けて優勝は、シンガポールの英雄『サイモン.チェア』だった…
いつでも乗り越えられそうな壁だった…
しかし、アジア連盟の会長がシンガポールの独裁者である為、アジア大会において、
シンガポール人に有 利な判定が下される事が多々ある。

大河は モロにその煽りを受け続けた…
3年連続で サイモン.チェアが優勝した後、2年前には 日本の宮本護が優勝…
日本人として、久しぶりのアジアチャンピオン誕生であった。
しかし、この年 サイモン.チェアは出場していなかった…
去年 復帰したサイモンが4度目の優勝を飾る…
この年、大河はデビュー以来初めて 一つのコンテストにも出場しなかった…
世間では、弟子の護、姪の美奈子の死にショックを受けた大河は このまま現役を引退してしまうのでは ないか?という噂が流れた。

しかし 今年の『日本クラス別』で見事に完全復活…
3年ぶりの アジア大会の切符を手に入れた…
だが2週間前の『日本選手権』では またしても2位…
過去最高の仕上がりだった…
それでも、今年もまた、あの小内英雄に勝てなかった…
実に 日本選手権9度目の2位である…
アジア選手権3度の2位と合わせて、口の悪い連中は、彼の事を『偉大なシルバーコレクター』 と呼んだ。

゛なんとしても アジアで勝ちたい゛

彼にとって、゛無差別級゛で行われる『日本選手権』よりも゛階級別゛で行われる『アジア選手権』の方 に魅力を感じていた。

゛本当に俺の良さを生かせるのは、クラス別での闘いだ。゛

゛同じ階級同士ならば、アジアの誰にも負けない…゛

過去最高で臨んだ日本選手権から、2週間…

更に厳しく 絞り込んだ…

執念であった…

サイモン.チェアに勝つには、誰の目から見ても 明らかに、彼よりも優れている身体を作らなければ ならなかった…
『今度来る時は、必ず金メダルを持って来るから。』
今や伝説となった愛弟子の御魂の前で 己の勝利を誓った…




釜山…韓国第二の都市である…
アジア選手権は、予選 決勝と合わせて二日間で行われる…
今回、日本選手団は8クラスに7人の選手を送り込んでいた。
その中でのエースがライト級の大河だ。
ちなみに、日本選手権優勝の小内英雄や、3位の本城剛は、今回出場していない…


大会前夜に検量が行われる…
それを リミットギリギリの69.9キログラムでパス。
その夜に しっかりと食べ込み 身体を大きく膨らませる。
いつもと 変わらぬ゛大河マジック゛だ…

先程の検量で、ライバル゛サイモン.チェア゛の身体をチェックした…
3年前と 大して変わっていない…
決して勝てない相手ではない…
このまま 明日のプレジャッジまで、1mmのミスも 犯さなければ…



今回、日本選手団は、かなり苦戦を強いられていた…
ライバルの韓国やイランの選手が、予想以上の完成度の高い身体で登場して来たからだ…
そして いよいよ゛エース゛大河の登場するライト級のプレジャッジ…
入賞者6名に対して、なんと23名の出場者…
全クラスの中で、一番の激戦区である…
全選手が 8名ずつに分かれて、一通りの規定ポーズを取り終える…

そして、注目のファーストコール…

ファーストコールとは、F1のポールポジションと同じで、すなわち ここで呼ばれる事は、上位に位置 している事を意味する…
呼ばれたのは、サイモン.チェア、韓国の若手選手、そして大河実の3名…
余程の事がない限り、この3名が1位から3位という事になる…
3人で 再び規定ポーズを取る…
審査員は じっくりと腰を据えて この3選手の優越を決める…

無名の韓国選手は凄かった…
やや広がりに欠けるが、太い腕に太い脚…
間違いなく このクラスで一番バルキーだ…
仕上がりも悪くない。
いきなり これだけの選手が現れる所に、韓国ボディービル界のレベルの高さを感じる…

そして、サイモン.チェア…

昨日の検量では、あまり目立たなかったが、一旦ステージに立つと ガラリと一変する…
やはり アジア選手権4度優勝は伊達ではない…
この2名に対して、美しいアウトライン、究極の仕上がり、そして20年以上も培って来た゛大河マジッ ク゛で大河も対抗する…
地元 韓国選手に対する声援が凄い…
空気は 圧倒的に大河に不利だ…
3人の身体に 決定的な差がない限り、韓国選手には゛ホームタウンデシジョン゛があり、
サイモンに は、常にジャッジの威光がある…



その夜…



明日はいよいよ決勝だ…
まず 間違いなく予選通過6名の中には残れるだろう…
問題は、そこから先だ…
今日の予選で確信した…
俺は今のままでは 勝てない…
決して身体で、劣っている訳ではない…
しかし 毎回 辛酸を舐め続けされられ続けたアジアの壁…
それは すなわち審査の壁…
人によっては、あまりに不可解な ジャッジに嫌気が差し、アジア大会そのものを回避する奴もいる…
小内英雄だって そうだ…

しかし、俺は違う…

アジア奪取は ボディービルを始めた時からの俺の悲願だ…
だから 何度不公平なジャッジに泣かされようと挑戦し続けて来た…
全ての物を含めた障害を乗り越え アジアの頂点に立った時、そこから見える景色を見てみたい…
2年前に、あの宮本護が見た景色を…
だから 敢えて明日の朝 最後の賭けをする…
果たして それが吉と出るか凶と出るか…
まさに究極の大河マジックだ…



決勝当日…



彼が 朝一番に口にしたのは、なんと一塊のナトリウム(塩分)だった。
通常ならば 試合当日のボディービルダーにとって、身体が浮腫んでしまうナトリウムはご法度である。
しかし 今回敢えて それを口にする…
悪くすれば、水分を含んでしまい せっかくのカットが台無しだろう。
そうなれば、もはやコンテストどころではない。

しかし…

これが 上手く嵌まると 筋肉は究極に膨らむ筈だ…
パンパンに膨れ上がった筋肉に 物凄いバスキュリティーが醸し出されるのだ…
自分に とっても、これは初めての試みである…
確かにリスキーな選択だ…
しかし、このまま 2位あるいは3位で終わるよりも、賭けを打って出て 優勝か惨敗かだ…
だから、敢えてタブーに挑む…
結果は神のみぞ知るだ…


試合会場のバックステージ…

恐る恐るウェアを脱ぎ捨てる…


胸が高鳴る…


どうだ!?


俺の身体は、どうなっている?


どうだ!?


俺の身体は…


おお!!何とも言えぬ快感が背中を駆け抜ける…


゛本当に、これが俺の身体か…゛


゛勝てる…゛


改めて 鏡に映る自分の姿を見て確信した…


俺は…


間違いなく、過去最高の張りだ…


過去最高の状態だ…


全身が、まるで目一杯に膨らませた風船の様だ。


軽く針で突けば、破裂しそうな程だ…


今の状態ならば サイモンであろうが、小内であろうが、あの宮本護にだって負けない…


今の状態でありさえすれば…


護、美奈子…俺を見守っていてくれ…


太い指で胸にクロスを切ると、彼は そのままステージに消えて行った…







吉岡修司は 夢を見ていた…



二人でステージの上にいた。

俺は、あらゆる筋肉に ありったけの力を込めて、アイツに立ち向かう…

アイツも それに呼応する…

二人は かなり接近していて、隙間はほとんど無い…

時々、二人の身体が触れる…

その度に、ぴくんと心臓が痙攣しそうになる。

俺が背中を強調するポーズを取れば、アイツも取る…

アイツが胸を強調するポーズを取れば、俺も取る…

周りに熱い空気が ほとばしる…


っと、急にアイツがポーズを取るのを止めてしまった。

そのまま、穏やかな表情で俺に微笑み掛けると、フワリと宙に浮いた…

今まさに、天井に昇って行こうとしている…

俺は必死に手を伸ばし、それを引き止めようとするのだが、何かに邪魔され、身体が石の様に動かない…

見る見る アイツの身体が小さくなって行く…

俺は、それを追い掛けようとする…

しかし 背後から何者かに抱き留められ、全く身動きが出来無い…

俺は 後を振り返った…

サングラスを掛けた男が立っていた…

爽やかな笑顔だった…

抜ける様な美男子だった…


『ほんじょぉ…』


思わずソイツの名前を叫んだ瞬間、ハッと目が覚めた…





八木道夫は、N県にオープンしたばかりのGジムに来ていた…
『地方のジムを訪ねて』
『月刊マッスルマガジン』の企画である。
八木は、編集長の荒川に強く働きかけ、今回の訪問先を、このジムにしてもらった。
取材の他に、どうしても確かめておきたい事があった…

『夏にセミナー先のN県のGジムで、゛吉岡修司゛に似た人物を見掛けた。』
日本選手権当日 本城剛から耳にした情報だ…


゛吉岡修司゛…


『月刊マッスルマガジン』エース記者 八木にとって、忘れたくても忘れる事の出来ない名前である。
あの伝説の男゛宮本護゛が唯一ライバルと認めた男…
この吉岡修司と宮本護の あの闘いを見ずして、今の敏腕ボディービル記者゛八木道夫゛は存在しなかった…
宮本の死後、行方不明となった吉岡をずっと捜し続けた…
そして、今年の夏、『日本クラス別選手権』会場で たまたま彼を見掛けた…
しかし、その時は満足に会話を交わす事も出来なかった…

彼は 何処に消えたのか…?

一体、何をしているのか…?

そしてまだ トレーニングを続けているのか…?

八木は、仕事抜きで 吉岡を捜し続けた…


マネージャーの作内から 話を聞き、設備、マシンの写真撮影…
最後に トレーニングに来ている会員全員での集合写真…
いちおう 一通りの取材は終わった…
改めて作内に 吉岡の写真を見てもらう…
2年前の『日本クラス別』の時、撮影した写真だ。
だが、めったにジムに顔を出さない 作内には記憶が無いと言う…
作内が、スタッフを集めてくれた。
その 一人一人に写真を見て貰う…
しかし、彼等の記憶もいまいち はっきりしない…
恐らく、極端に絞り切った写真の顔とでは、随分と人相が変っているのだろう…
ここで 手が尽きてしまった…
まさか、トレーニングに来ている 会員全てに写真を見せて回る訳にもいかない…
作内に頼んで、会員名簿を見せて貰う事も考えたが、個人情報に煩い昨今、それも ままならないだろう…

゛何か他に手はないだろうか…゛

そう考えていると、背後から軽く肩を叩かれた…

振り返った先には、30歳前後の 小柄な男が立っていた…
にこやかな顔をしている…
人懐っこい笑顔だ…
妙に人を和ませる笑顔だ…
こういう笑顔の人物に、物事を頼まれると、決してNOとは言えなくなるだろう…

『゛月マ゛の記者さんですよね?』
笑顔を絶やす事なく男が尋ねる…
『はい…』
『やった!感激です。毎月読んでます!って言っても3ヶ月前からですけど…さっき皆で撮った写真、 いつ載るんですか?』
『たぶん、来月号には…』
『そうですか!ハハハ…感激だなぁ。アイツこの事知ったら、さぞ悔しがるだろうなぁ…』
『アイツ?』
『あ、いつも一緒に来ている相棒です。今日たまたま アイツだけ遠くの仕事なんで来れなかったんですよ。』
『遠くの仕事って…?』
『あ、俺達トラックに乗ってまして。』
『トラック…?』


゛知り合いの運送会社を手伝っているよ…゛


八木は ハッとした…
『少し この写真を見て貰えませんか…』




随分と遅くなってしまった…
名阪国道が、あんなに渋滞していたのは誤算だった…
時計の針は 既に夜10時を過ぎている…
今日は 新ちゃんは一人でジムに行ってる筈だ…
後で 飯にでも誘ってみるか…
トラックの給油を済ませ、車庫に戻って来る…
『ん…?』
おかしい…
事務所の電気が まだ点いている…
この時間まで一体誰が…
表に白いクラウンが停まっている…
何だ…新ちゃん いるのか…
社長の新ちゃん 自ら残業とは 何とも見上げた話だ…


『ただいま。何だい新ちゃん 今日トレーニングは…?』
『あぁ、お帰り…』
ん?
何処か 新ちゃんがよそよそしい…


『お待ちしてました…』
奥の方から もう一人の人物の声がした…
それが誰の声なのか…
その男が何者なのか…
すぐにピンと来た…
この4ヶ月間、いつも この男の声が、心の奥から聞こえていた…

゛もう一度、もう一度ステージに戻って来て下さい…゛

俺は今年の夏に、一度この男に会っている…
『表に出ようか…』
新ちゃんに話を聞かれたくなかった…
『良いんだよ。修ちゃん…大体の話は聞いたから…』
俺は男を睨んだ…
『違うんだよ。修ちゃん…俺が案内するのを条件に勝手にいろいろ聞き出したんだ…』
『で、何の用事だ…?』
俺は、新ちゃんから受け取った男の名刺を見ながら尋ねた…
『話を聞かせて下さい。もしも吉岡さんがお望みならば、決して記事にしません。』
『今更 何も話す事なんか無いよ…』
『まぁ、そうおっしゃらずに…あ、今朝入ったニュースですが、大河さんが遂にアジアで優勝されたそう です。』
『大河さんが…』
『はい。2年前の宮本選手と同じ ライト級です。』
八木は、俺の表情の変化を確かめる様に言った…
『………』
『あの時の 宮本選手は、本当に凄かった…僕はあの時 バンコクまで取材で同行していたんですよ。』
『………』
『そして実は 事故のあった10月22日…数時間前まで部屋で一緒に話をしてました。』
『え…!』
『そこで、宮本さんはこう言ってました。あいつに勝って、アジアの出場権を手に入れたんだ。他の連中 に負ける訳にはいかなかったって…』
『………』

俺の身体が震えていた…
不覚にも 涙がこぼれそうになる…

『宮本さんは、あなたがいたから ここまで来れたんだって ハッキリと言ってました…』
『………』
『太田さんに聞きました。もう かなりの重量を扱える様になっているそうじゃないですか。』
『帰ってくれないか…』
『修ちゃん…』
『今年 セミナーで本城さんの身体を見ましたよね。あの身体を見て、何かを感じたでしょ?』
『もう いい!帰ってくれ!』
『あなたはきっと、あの身体と もう一度 心いくまで闘いたいと思っている筈だ!』
『勝手な事を言うな!』

喉がカラカラに渇いている…
膝が ガクガクに震えている…

『あなた達は、我々ファンに 最高のストーリーを魅せてくれた。しかし、まだ物語は終わっちゃいな い。
あなたは、例え一人になろうが、最後まで演じなければならない義務がある!』
八木の声が震えている…
泣いているのか…?
俺は堪えきれず、表に飛び出した…

夜の町を彷徨った…

アイツが俺の事を、そんな風に…

最後の最後に俺の事を…

俺はいつしか泣いていた…

声を漏らして泣いていた…

流れる涙を拭おうともせず、当てもなく彷徨い続けた…



秋も深まり、風はすっかり冷たくなっていた…





※主な登場人物

吉岡修司…この物語の主人公、2年前 日本クラス別選手権において宮本護に敗れ、その後 護の死にショックを受け
       ボディービル界から姿を消す。

宮本護…修司の宿命のライバル。アジア選手権優勝後、妻と供に交通事故死。伝説のボディービルダーとなる。

太田新一…修司の幼馴染みであり、修司の働く運送会社の社長。

大河実…修司、護の大学の先輩。『大河マジック』の異名を持つ 現日本クラス別70キロ級チャンピオン。

小内英雄…今年遂に日本ボディービル選手権15連覇を達成したキング、オブ、ボディビルダー

本城剛…日の出の勢いで躍進するイケメンビルダー。吉岡修司と宮本護の熱い闘いを見て覚醒。
      護を彷彿させる身体を有している。

八木道夫…『月刊マッスルマガジン』の編集者。