boomerさんのボディビル小説

ライバル達の唄・最終決戦

第三章

その偶然は何の前触れもなく突然に訪れた…



八木道夫は その瞬間を目の前で見てしまったのだ…
ある意味、ボディビル記者として これほどの幸運には そうは巡り合えないだろう…
ただ、彼には その偶然を幸運として受け取る程の、プロとしての自覚が欠如していたのかもしれない…

『俺は甘過ぎるのではないか…?』

既に『月刊マッスルマガジン』のエース記者と呼ばれる程までに、なっているというのに…


もしも ライバル誌『月刊パンプアップ』の竹内があの場面に遭遇していたら、どう対処していただろうか?
果たして、彼は あの幸運を、両手を挙げて受け止める事が出来ただろうか?
同じプロの編集者として…


彼が取材の為に、都内にあるNボディビルジムを訪れたのは、8月に入ったばかりのある日の夕刻だった…


゛Nボディビルジム゛…


一見、質素なジムである…

古いたたずまいのジムである…

雑居ビルの2階という分かりにくい場所に存在する為、近所の住民でさえ、そこにボディビルジム
が存在する事を知らない人も多いという…

しかし…

日本のボディビル界きっての名門である…
創業30年の間に 実に5人もの日本チャンピオンを輩出している…
最初の15年間で4人の日本チャンピオンが生まれた…
5人目のチャンピオンは、その後の15年間ずっとタイトルを守り続けている…

キング,オブ,ボディビルダー 小内英雄…

日本ボディビル史に残る名チャンピオンである…


今年のジャパンオープンに於いて 西村崇史という選手が優勝した…
このジムの所属選手である…
苦節17年…
執念で掴んだタイトルであった…
後日、西村に取材を申し込んだ…
その日が今日であった…


約束の時間なっても西村は現れなかった…

『おぉ!八木ちゃん、今、西村から電話があって、仕事で少し遅れるってよ。悪りぃな!』
しゃがれた声の、オーナー近藤幸太から伝言を受け取る…
『あ!大丈夫ですよ!こっちが無理して お願いした事ですから…』

思わぬ所で時間が開いてしまった…
むしろ、これはラッキーであった…

当番勤務を終えた、コーチの小内が、今まさに腕のトレーニングを始めようとしていた…
八木は仕事抜きで、トップビルダーと呼ばれる人達の練習風景を見る事が好きだった…
どんな優れたトレーニング本を読むよりも勉強になる…

それが小内英雄となれば 尚更だ…

彼ほど 綺麗に尚且つ基本に忠実なトレーニングをする人物はそうはいない…
『おい、おい、そんなに見つめると照れるじゃないか。』
半分 はにかみながら、王者が話掛ける…

顔と同じ程の太さの首を持った男である…
Tシャツの下から、その太い首を隠す様に、高い僧帽筋が、ゴリッっと聳えている…
黒人と見間違う程に、よく日焼けした男である…

男は、ダンベルを握ると同時に、グッと集中力を高めていく…

゛インクライン、ダンベル、カール゛

彼の唯一の弱点と言われる 上腕二頭筋を鍛える種目である…
傾いたベンチに腰掛け、ダンベルを手にし、巻き上げる様に肘を曲げ、次に強く伸ばし切る…
実に正確な動作である…
軽く2セットのウォーミングアップを済ませた後、一気に重量を増やす、増やす、更に増やす…

いち…にぃ…さん…しぃ…ごぉ…

それでも、ひとつひとつ 刺激を確認する様に、丁寧に負荷を上腕二頭筋に乗せていく…
6回目の肘を伸ばしきったその刹那!


ブチッ!!


まるで、太いゴムが ちぎれた様な、異様な音が館内に響きわたった!


ドスン!!


無残に床に 転げ落ちるダンベル…
苦悩の表情で、うずくまる 王者…

ウ…ウウゥゥゥ…

その口からは、呻き声が漏れ、ジムの空気が一気に凍り付く…


『救急車や!否、車の方が早い!八木くん、頼む!乗っけてってくれ!』


オーナー近藤の叫び声…
『はい!』
八木の車ですぐさま病院へ…



レントゲン検査やら、MRIやらで随分と待たされた…


結果… ゛左上腕二頭筋断絶゛


全治3ヶ月…


日本選手権16連覇の夢が こんな所で絶えてしまった…

八木ならずとも 誰もが そう思った…

日本選手権 2ヶ月前の出来事であった…






初めて日本のタイトルを獲った日の事は、今でもハッキリと覚えている…



決して 前評判が高かった訳ではない…

群雄割拠…

そう言われた中で勝ち取った栄冠だった…



都筑茂雄…



当時、日本選手権を4連覇中の王者がいた…

完璧な男であった…

通常どんなに優れたボディビルダーでも何かしらの欠点があるものである…

ある者は 若干胸が薄い…
ある者は、若干脚が弱い…
ある者は、若干背中が遅れている…
腕が細い、肩が弱い、ふくらはぎが…、前腕が…、腹筋の形が…
高いレベルの中でも、重箱の隅をつつけば、そういった泣き所が必ず出て来る…

しかし、都筑には そんな弱点が一切なかった…
未だに 彼の事を 日本ボディビル史上最高のチャンピオンと呼ぶ者も多い…
まさに奇跡の様な男だった…


Mr.パーフェクト…


いつしか 皆、彼の事をそう呼んだ…

二年前には、ボディビルの世界大会であるMr.ユニバースをも制し『日本のツヅキ』の名を世界に知らしめた…



そんな彼が、この年のコンテスト欠場を一早く発表した…
原因は以前から痛めていた肩の症状が酷くなり 早急に手術をしなければ ならなくなったからだ…
一転、この年の日本選手権は 前代稀に見る大混戦となった…

『ドングリの背比べ』

口の悪いマスコミは、都筑の抜けた日本選手権をそう酷評した…
そんな中で優勝したのが俺だった…

゛所詮は暫定王者゛

゛所詮は短命王者゛

゛あまりに欠点の多過ぎる王者゛

゛次の王者が現れるまでの繋ぎの王者゛

終いには…


゛史上最弱の日本王者゛

あらゆる事を言われた…


それでも 俺は絶え忍び、次の年連覇を果たした…
世間も ようやく俺を認めだした…
しかし翌年、その地位を脅かす 最大の敵が帰って来た…

日本選手権に、あの都筑茂雄が、3年ぶりにエントリーして来たのだ…

゛リアル王者、Mr.パーフェクトの逆襲゛

マスコミは 挙って彼のカムバックを持ち上げた…

俺に とっては まさに正念場の闘いとなった…

ようやく手に入れた、今の地位を、今の評価を そうやすやすと手放す訳には いかなかった…

俺は この闘いに 渾身の仕上げで臨んだ…


しかし…


控え室で見た、都筑の身体には もはや往年の輝きは無かった…
確かに 仕上がりは良かったものの、肩、胸、背中、腕、その全てはサイズダウンし、
かつてMr.パーフェクトと呼ばれた その面影は何処にも見付からなかった…

結果、俺は三連覇を果たし 都筑は6位に破れ去った…


俺は有頂天だった…


コンディションはどうあれ、あのMr.パーフェクト都筑茂雄を倒して王座を防衛したのだ…
もう誰も俺の栄冠にケチをつける輩はいないだろう…


しかし…


後日、知り合いのボディビル記者から、都筑茂雄の心境を聞かされた俺は愕然とした…




゛応援してくれた方々には本当に申し訳ありませんが、今の私には あれが精一杯です。
どうして そんな状態なのにカムバックを決意したのか?
よく聞かれます。
私なりに このまま引退してしまっては、小内君に申し訳ないと思ったのです。
このまま引退してしまえば、小内君は、ずっと私の影を引きずって闘っていかなければいけません。
少なくとも、世間はそう見ます。
今、小内英雄が王者でいられるのは、都筑茂雄がいなくなったからだと。
しかし、決してそうではない。
小内君は 素晴らしい素質を持った選手です。
その小内君にきちんとした形でバトンを渡す…
それが 王者としての私の最後の役目なのです。
だから小内君に失礼が無い様に、とにかく今の時点で出来る精一杯の仕上がりで挑んだつもりです。
それを迎え討った 小内君は本当に素晴らしかった。
これで私は 心置きなく引退する事が出来ます。
どうか、小内君に『本当にありがとう。』とお伝え下さい。




なんという素晴らしい漢だろうか…

なんという素晴らしい王者だろうか…

この都筑茂雄から受け継いだバトン、そう簡単に手放す訳にはいかなかった…

俺は、この15年間死に物狂いで、それを守り続けた…


しかし…


もしその時が来ても、俺はそいつの前に、現在出来る最高の俺のままで立ち塞がりたい…

肩の手術をした時の都筑茂雄が三十代半ば…
しかし、俺は 既に43歳…
それを考えると、彼の様に復活に3年も掛ける訳にはいかない…


だから…


頼む!1ヵ月…この事を記事にするのを、1ヵ月だけ待って欲しい…
今、奴等のモチベーションを下げる訳にはいかない…
1ヵ月 待って駄目なら スッパリ諦める…
その時は、『小内英雄 怪我で引退』そう書いてもらって構わない…


病院帰りの車の中、偉大な王者の熱意が、若きボディビル記者の心を動かした…






この日、東京ジャイアンツは 主砲 清田和博の逆転スリーランで中京ドラゴンズを破った…



これで、早くも今年40号となり、かなりハイペースな本塁打量産体制である…


清田和博…


かつてパ・リーグで本塁打、打点の2冠王を獲得した事もある天才スラッガーだった…

3年前、FA権を行使し鳴り物入りで、東京ジャイアンツへ…
しかし、ジャイアンツ入団と同時に両膝を故障…
年々、本塁打の数は激減し、昨年遂にルーキの年から続いていた連続二桁本塁打の記録が途切れてしまった…

゛給料泥棒…゛

ファンが、マスコミが そんな風に清田を酷評した…

そんな中、昨年のオフに清田は重大決心をした…
両膝にメスを入れる事を選択したのだ…
これは大きな賭けだった…
手術が上手くいく保証は何処にもないし、仮に成功しても、下半身の筋力の低下は免れないだろう…
しかし、彼は 敢えて その道を選んだ…
゛多少のリスクを背負っても、もう一度あの豪快な打撃を取り戻したい。゛
その一念が彼をつき動かした…

゛筑場大学、丈夫義文博士…゛

日本のスポーツ医学の権威である…

゛神の手…゛

そう呼ばれる 彼のメスさばきによって、選手寿命を伸ばしたアスリートは数知れない…

清田の手術は 丈夫博士が担当した…
かなり難易度の高い手術だったが、一応の成功を治めた…
丈夫博士だからこそ成功した手術だった…
しかし術後、その丈夫博士が言った…

『手術はとりあえずは成功です。しかし 本当に大変なのは これからです。』
『メスを入れた事により 君の脚力は著しく低下してます。』
『これから余程信頼のおける指導者に、リハビリを見て貰わない限り、来シーズンの君の復活は望めません。』



清田は 知人から、リハビリコーチとして、ある人物を紹介された…

その人物こそが、現日本ボディビル王者の小内英雄だった…

彼は、マンツーマンで小内の指導を受ける事となった…
小内の作ったリハビリメニューは実に的確な物だった…
その甲斐もあり、なんと術後2ヶ月で彼の筋力は完全に回復し、更に全盛期をも超える数値を叩き出す様にまでなった…


今の清田和博が存在するのは、゛丈夫義文゛゛小内英雄゛という二人の恩人がいたからこそであった…


マスコミの取材、ファンの祝福を受け、彼がようやくドーム内の駐車場に辿り着いた時は、既に午後11時を過ぎていた…

愛車のベンツに乗り込むと同時に携帯が鳴る…

電話の主は 小内英雄だった…

『あ、小内さん、ご無沙汰してます。』
『やあ、おめでとう。テレビで見てたよ。素晴らしいホームランだったな。』
『あ、ありがとうございます。これも小内さんのお陰です。』
『実は君に折り入って頼みたい事があるんだ。今から会えないだろうか…?』




゛どうやら、あの小内英雄が行方不明になっているらしい…゛
『月刊パンプアップ』の竹内がその噂を耳にしたのは、既に八月も終盤に差し掛かった頃の事だった…

゛月刊パンプアップ…゛

゛月刊マッスルマガジン゛と並ぶ日本の二大ボディビル雑誌である…
日本のボディビルメディアは『月マ』と『月パ』が凌ぎを削る事により急成長を遂げて来た…


゛竹内功介…゛


今年50歳になる『月刊パンプアップ』のベテラン記者である…
彼の知識と、取材能力の前では まだまだ『マッスルマガジン』の八木などは足許にも及ばない…

竹内は すぐさま『Nボディビルジム』まで取材に出かけた…

『あぁ〜、小内か…親類に不幸があって、暫く休むらしいわ。』

゛おかしい…絶対に何かある…゛

オーナーの近藤の反応を見て、すぐにピン!と来た…
元々が嘘のつけない人物である…
しかし他の会員に尋ねても、一様に口を揃えて゛知らない゛と言う…
何度連絡しても、携帯も繋がらない…

彼の取材は、ここで完全に ここで行き詰まってしまった…

結局竹内は 最後まで 小内の行方を掴む事が出来なかった…


日本選手権の出場登録締切日は、もう すぐ目の前まで迫って来ていた…






八木道夫は 焦燥の日々を送っていた…



゛何やら『月刊パンプアップ』の竹内記者が、小内英雄の行方を探っているらしい…゛


ある日、Nボディビルジムに通う知人から そう聞かされた…
何という事だ…
あの日、小内英雄の申し出を受け入れた時、当然こうなる事も予測出来なかった訳でもなかった…
何しろ勘の鋭い記者である…
もしも゛あの事゛を竹内が嗅ぎ付けたら、もう自分は記者として やって行けないだろう…
絶好の゛スクープのチャンス゛を自ら放棄してしまったのだから…

゛今からでも 遅くない…編集長の荒川に全てを話してしまおう…゛

何度 そう考えた事だろうか…

しかし、それを踏み止まらせたのは、偉大な王者との゛男と男の約束゛だった…
なんと、青臭い理由だろうか…

『俺は完全にプロ失格だな…』


こうなったら、約束の期限が来るまで、竹内が小内に辿り着かない事を願うしかなかった…


小内の指定した ゛その日゛は ちょうど日本選手権の出場登録の締切日に当たる…


彼は こう言った…

゛頼む、1ヵ月だけ待ってくれ…゛

゛1ヵ月 待って駄目なら スッパリ諦める…゛

゛その時は、『小内英雄 怪我で引退』そう書いてもらって構わない…゛


小内は 自らの復帰に選手生命を賭けているのだ…
それが彼なりの秘密を共有する俺に対するケジメの付け方なのだろう…

しかし…

果たして、本当に間に合うのだろうか…
八木は無残に変形した王者の上腕二頭筋肉を思い浮かべながら、そんな事を考えていた…




゛これは面白い!゛

その患者を目の前にして 丈夫義文の心は大きく弾んだ…

日本スポーツ医学の権威とまで呼ばれる男である…
これまで職業柄、さまざまなアスリートの身体を見て来た…
野球選手に、サッカー選手、力士、騎手、競輪選手、格闘家、プロゴルファー…
゛神の手゛と呼ばれる彼の技術により選手寿命を伸ばしたアスリートの数は計り知れない…

しかし、かつて 今目の前にいる患者程、彼の好奇心をくすぐった人物はいなかった…


゛現役のボディビル日本王者…゛


最初、東京ジャイアンツの清田和博から 彼を紹介された時、少なからず抵抗があった…

゛所詮、ボディビルダーの筋肉は見せる為の物で実用性が無い…゛

そういう偏見が無かった訳でもない…

゛残念だが、清田君の期待に応える事は出来ないかもしれないな。゛


何しろ忙しい身である…


連日、彼の勤務する『筑場医科学スポーツ研究所』には数多くのアスリート達が押し寄せて来る…
彼のスケジュールは3年先まで、ビッシリと埋まっている…

しかし…

その男が 目の前で服を脱いだ瞬間、丈夫は少年の様に興奮した…

太い頸部…
分厚い胸…
盛り上がった肩…
とてつもなく広い背中…

一見 硬そうに見えるが、触るとゴム毬の様に、やわらかく弾力のある筋肉…
何度も何度も、筋破壊と、超回復を繰り返して来た筋肉…
幾人もの強敵を、その迫力でなぎ倒して来た筋肉…

一流と言われるボディビルダーの筋肉が、これ程までに凄いとは…


彼の故障箇所は、かなり酷い状態だった…

゛しかし、俺ならば絶対に治せる!゛

むしろ、これだけの素材を扱えると思うと鳥肌まで立って来る…



『今、スケジュールを確認しました。来週の水曜日の午後なら空いてます。その日に手術しましょう。』
『ありがとうございます!それで…治りますか?』
『う〜ん…正直言って怪我はかなり深刻な状態です…』
『そうですか…』
『しかし、かなり正常な状態に戻せる自信はあります。ただ、試合前の過酷なトレーニングに耐えれる 状態まで戻せるかとなると…』

『はい…』
『ハッキリ言います。あとは小内さん次第です。 いかに慎重に出来るか…、いかに辛抱強く出来るか…
根気よくリハビリをやりつつ、必ず毎日の検査を欠かさない… そして私のゴーサインが出るまでは、絶対に無理しない。
それでもメスを入れる覚悟があるのならば、私も全身全霊でやらせて頂きます。』


『分かりました…よろしくお願いします。』
『小内さん、どうか最後まで望みは捨てないで下さい。自分で言うのも何ですが、私はこれまで何度も
不可能を可能にして来ました。是非一緒に頑張りましょう!』


丈夫の差し出す手を、小内がしっかりと握り返す…


それは暗闇の中に ほんの僅かだが、一閃の光を見つけた瞬間でもあった…





※主な登場人物


吉岡修司…この物語の主人公、3年前 日本クラス別選手権において宮本護に敗れ、その後 護の死にショックを
       受けボディービル界から姿を消すが今年復活。

宮本護…修司の宿命のライバル。アジア選手権優勝後、妻と供に交通事故死。伝説のボディービルダーとなる。

太田新一…修司の幼馴染みであり、修司の働く運送会社の社長。

大河実…修司、護の大学の先輩。『大河マジック』の異名を持つ 現アジアライト級チャンピオン。今年の日本選手権を
      最後に引退を表明。

小内英雄…去年遂に日本ボディービル選手権15連覇を達成したキング、オブ、ボディービルダー

本城剛…日の出の勢いで躍進するイケメンビルダー。吉岡修司と宮本護の熱い闘いを見て覚醒。
      護を彷彿させる身体を有している。

八木道夫…『月刊マッスルマガジン』の編集者。