boomerさんのボディビル小説

ライバル達の唄・最終決戦

第四章

暗闇を走る…

一人きりで走る…

寂しい道だ…

人っ子一人いない道だ…

時々、車のヘッドライトが真横をすり抜けていく…

その一瞬だけ世界が動く…

そして再び静寂へ…

ただ自分の呼吸音のみが生々しく闇に谺する…


まだ だ…


まだ だ…


まだ まだ だ…



現在の体重 74.8キログラム…

もう1週間以上も変化がない…

焦り…苛立ち…そして絶望感…


あと残り2週間を切っているというのに…


既に炭水化物は1gも摂っていない…

毎日 3時間以上は こうやって走っている…



『とりあえず、おめでとう!随分と良くなったじゃないか!しかし、まだまだ甘いぞ!現在の日本選手権は、 お前が考えているよりもずっとレベルは高いぞ。』

2週間前、社会人選手権を制した俺に、大学時代の先輩、大河実が言った…

『ハッキリ言って、今日の出来ではボーダーラインギリギリだな…バルクは文句なしだが、とにかく仕上 がりが甘すぎる。』
『………』
『いいか修司、日本選手権出場者が毎年およそ50人。うち入賞枠が12人。ファンやマスコミが、
入賞候補者の名前を挙げれば、あっという間に14〜15人が埋まってしまう物だ。』
『………』
『連盟は毎年〈激闘!Mr.日本を目指して!〉というDVDを製作、発売している。これは有力12選手の
大会直前の練習、調整風景を まとめて撮影した物だ。修司、これが何を意味するか分かるか?』
『………』
『連盟さえも 無意識のうちに、既にある程度の ふるい分けを済ませているという事だ。』
『………』
『修司、まだまだ無名のお前が この中に割り込んでいくのは並大抵の事じゃないぞ。』
『………』
『あと1ヵ月…とにかく最低でも ゛3年前の日本クラス別゛レベルまでには仕上げて来い! 俺をガッカリさせるなよ。』

ポン!と軽く、俺の胸にゲンコツを当てる…

『分かりました…ありがとうございます。』



確かに、社会人選手権には意図的に8割程度の仕上がりで挑んだ…

ここで目一杯に仕上げても、1ヵ月後の本番までは持たないと判断したからだ…

決して 前哨戦を甘く見ていた訳ではない…

ここを余力残しで闘い、最低限 日本選手権の出場権を獲り、本番で完璧に仕上げる…

それが当初の青写真だった…


先週までは 全てが順調だった…


しかし…


75キロを切ったあたりで 体重の減りがピタリと止まってしまった…


゛プラトー…゛


減量期に よく見られる現象だ…

通常、減量中期に これに突き当たる場合が多い…


だが…


まさか、よりによって、この時期に…

もしかしたら、最後の最後に 長いブランクのツケが出たのかもしれない…

やはり 現実は甘くなかった…

俺が浮浪者の様な生活を送っていた間にも、ライバル達は日々精進を重ねていたのだ…


最低限のエネルギーで、最大限に身体を動かす…


ずっと一人で闘って来た俺には、そうする事しか方法が思い浮かばない…

かつて、今程 孤独感に苛まれた事はなかった…

今の俺に出来る事…

もはや 何も考えずに走り続ける事しかなかった…






『修ちゃん、少し 休もうよ。もう2時間以上もぶっ通しだぜ。』



トレーニングパートナーの新ちゃんの言葉で我に返った…

『あ、あぁ…』

そう応えて 俺はレッグカールマシンから起き上がろうとした…

゛レッグカール゛

ハムストリングス……大腿二頭筋< つまり太股の裏側を鍛える種目である…
特に この部位の仕上がりが遅れていると感じていた俺は、今夜徹底的に、追い込んだ…


動かなくなるまでやった…
少し休んでまた やった…
それでも動かなくなると、後から新ちゃんに押してもらう…
もう自力では1cmも動かなくなる…
それでも続けた…
後から新ちゃんが押す…
俺は動かなくなった脚を必死で動かす…
もがきながら動かす…
更に新ちゃんが死に物狂いで押して来る…
もがきながら押して来る…
最後は 果たして 俺の脚のトレーニングだか、新ちゃんの腕のトレーニングだか分からなくなる…
少しのインターバルを挟み、再び同じ事を繰り返す…
そんな事を延々と2時間近くも続けていたのだ…


急に立ち上がろうとしたせいか、激しい耳鳴り、そして立ち暗みに襲われ、その場にしゃがみ込んでしまった…


『大丈夫か!?修ちゃん!』


どれ位、そうしていただろうか…
フッと我に返ると 目の前に新ちゃんが立っていた…
何処で買って来たのか、ペットボトル飲料を差し出してくれる…
『ほい修ちゃん、ポカリだ…少し入れようぜ。このままだとマジで低血糖で死んじまうぜ。』

゛太田新一゛

俺の数少ない親友であり 俺の勤める会社の社長だ…

3年前、ライバル宮本護を亡くした俺は、失意の中、全国を放浪していた…
その先で再会したのが、幼馴染みの彼だった…
新ちゃんは俺の為に仕事を与えてくれ、再びボディビルに戻る きっかけを作ってくれた…
更にカムバックしてからも ずっと こうしてサポートしてくれている…
本当に彼には、否、彼の家族には感謝しても感謝し尽くせない…

しかし、今の俺には そんな彼の親切さえも鬱陶しく思えてくる時がある…
『いいよ!今 飲む訳には いかねーよ!』
そう言い捨てると 再びレッグカールマシンへと向かった…

しかし、既にマシンは他の人間が使っていた…

『悪りーな!使わせてもらってるよ。』
『は、はぁ…』

最近になって、よく見掛ける顔だ…
50代後半の、中肉中背の男だった…
短く刈られた髪には、所々白い物が混じっている…
何処か 惚けた、人を食った様なオッさんだった…
ヨレヨレのトレーナーにスエットパンツと服装も垢抜けない…

男は、極めて軽い重量を、ゆっくりと時間を掛け 巻き上げると、今度はゆっくりと降ろす…
そんなリズムの運動を延々と続けた…
いつまでも終わりそうにないセットである…
段々とイライラが募って来る…

しかし、男は どこ吹く風…まるで口笛でも吹くかの様に涼しい顔で、動作を続けた…

早くしないと、せっかくハムストリングスに集まった血流が逃げてしまう…

゛オッさん どいてくれ!アンタ達と違って俺には時間が無いんだ!゛

心の中でそう叫ぶ…

っと、それを見透かしたかの様に、男がこっちを向いて言った…

『兄ちゃん、悪りーな。ちょっくら補助してくれよ。』

どうやら 俺に言ってるらしい…

『はぁ…』

仕方なく、後から何度か押してやった…
改めて見ると かなり正確なフォームだ…
『ありがとよ。なかなか効いたよ。』
男は、そう言い残すと何処かへと消えて行った…




『修ちゃん!凄えーよ!かなり仕上がって来たじゃん!もうバッチリだな!』

ジムの更衣室…

トレーニングを終え、着替えている俺の身体を見て新ちゃんが興奮して言った…
『普通の大会ではな…でも Mr.日本のレベルだと まだまだ全然甘いんだ。』
『へぇ〜、そんな物なんだ。俺ら素人レベルから見たら充分凄いんだけどなぁ…』

っと入口の扉が開き、誰かが入って来た…

先程のレッグカールのオッさんだった…

『ほぅ…』

俺の身体を見たオッさんの表情が一瞬鋭くなった…

『ちょっと失礼…』
無遠慮に 俺のすぐそばまで近付いて来たオッさんは、人指し指と親指の間で 俺のお腹を軽く摘んだ…

『ち、ちょい オッちゃん!何だよ!藪から棒に、失礼だろ!』
新ちゃんの抗議を無視するかの様にオッさんが言った…

『今、一日に何グラムの炭水化物を摂ってるんだ?』
さっきまでの惚けた印象とは打って変わって有無を言わせぬ強い口調だ…
『全く摂ってないけど…』
オッさんの勢いに押されてつい応えてしまう…

『ゼロカーボは良くねーな。ん〜、せめて200gは入れな。それも サツマイモかオートミールでな。』
『………』
『それと 水をもっと飲め。最低でも1日10リットルだ…』
『………』
『あと、大分 代謝が落ちている。有酸素を半分に減らすんだ。その分ポージング練習をもっとやり込むんだな。』
『………』
『あと2週間だろ…今のままじゃ絶対に仕上がらないぞ。吉岡修司よ』

オッさんの鋭い視線が俺に突き刺さる…

『ど、どうして俺の名前を…あんた…一体?』


『俺?俺はなぁ゛都筑茂雄゛って言う者だ。』


ニヤリと笑ったオッさんの顔は、再び惚けたそれに戻っていた…






翌朝 出勤すると 興奮した新ちゃんが 待ち構えていた…



『た、大変だよ!修ちゃん。昨日あれからネットで゛都筑茂雄゛を検索してみたんだ。そしたら…』
『分かってるよ。新ちゃん…この国でボディビルをやっている人間で゛都筑茂雄゛の名前を知らない奴は いないよ。』

゛都筑茂雄…゛

かつて日本選手権を4度制した男…

日本人で初めてMr.ユニバースを獲った男…

欠点の無い身体から゛Mr.パーフェクト゛と呼ばれた男…

未だに゛日本ボディビル史上最高の王者と呼ばれる男…

そして…

最後に小内英雄に敗れボディビル界から去った男…


しかし、現役時代の輝かしい実績とは対照的に 引退後の話は全くと言っていい程 耳にしない…


『本物かなぁ?』
『どうだろうな…でも 少なくとも 昔雑誌で見て憧れた゛都筑茂雄゛は あんな惚けた顔はしてなかった。』
『そうだよな…で、修ちゃんは 今日から あのオッさんの言う通りにやるんか?』
『まさか…相手が誰だろうと 今までの自分のやり方を変える気はないよ。それに どう見ても あの゛都筑゛ が本物とは思えないしな。』
『そりゃ そーだ!』

俺達は久しぶりに腹の底から笑った…



夜、仕事を終えジムへ…
今日は胸をやる日だ…
トレーニングルームに入るなり 俺は 辺りを見回した…
どうやら 昨日のオッさんは 来てないみたいだ…

『じゃあ、新ちゃん、ベンチプレスから入るから よろしく頼むわ。』

『OK』


軽くウォーミングアップを済ませた後、20キロプレート6枚と10キロプレート2枚をセットする…
バーの重さと併せて160キログラム…

ベンチに横臥し 思い切り肩甲骨を寄せる…
『スー』
呼吸を整え、ラックからバーを外しゆっくりと降ろす…
バーが胸に触れると同時に 爆発的に押し上げる…
これで1レップだ…
これを限界まで繰り返すと 一旦バーをラックに戻す…
その状態で20秒を数えると 再びラックからバーを外す…
3レップ程で限界が来る…
そこから 新ちゃんの補助…

動かなくなるまで繰り返した後 ラックへ…

既に胸は焼けそうに熱い…

再び20秒を数える…

そしてラックから外す…

死に物狂いで押す…

限界…

新ちゃんの補助…

彼も死に物狂いで引き上げる…

新ちゃんの汗が、ぽたぽたと俺の顔に滴り落ちる…

うぅぅぅぅ…

俺の呻き声…

ウゥゥゥゥ

新ちゃんの呻き声…

ギリギリの状態でラックにバーを戻す…

20秒を数える…



っと、その時…


『あ〜ぁ、なっちゃいねーな!この時期に、そんな高重量はいらねーぞ!吉岡修司よ。』

頭の方で声がした…


一体何処から現れたのか、上から 惚けた様な顔が覗き込む…

『オッさん…』
『ちょっと、どいてみろ。』
オッさんは新ちゃんを押し退けると バーから20キロプレート4枚を取り外した…
『ち、ちょい 何すんだよー!コラ!オッさゃん邪魔すんなよ!』
新ちゃんの抗議…

しかし男は耳を貸さない…

『まぁ、見てろって!オイ、吉岡!こんなもんの重さで充分だ。ほれ行くぞ!』
そう言うや否やラックから外したバーを乱暴に俺の胸に放り付ける…
『ホラ!修司!押して来い!』
『オッさん、良い加減にしろ!』
そう言ってバーを押し上げた…
『修司!そんなんじゃ駄目だ!もっと感じろ!丁寧に押せ!』


いつの間にか オッさんのペースに嵌まっていた…

『修司!いいか感じろよ!そーだ、そーだ!肉で感じて、肉で押すんだ!決して腱や骨を使うな!胸全体 で重さを受け止めろ!』
『うぅぅぅぅ…』
『そーだ、そーだ!良いぞ!どーだ 80キロでも充分重いやろ!ホラ どーした!押して来いよ!』
このやり取りが延々と続く…

いつの間にか胸の感覚が完全に無くなっている…

果たして今俺は 自力で挙げているのか…?

果たして今俺は どの程度力を使っているのか?…

もう限界に来ているか?…

まだ 自力で押せているのか…?


そんな事も分からなくなる程の絶妙な補助だった…

言っちゃ悪いが、新ちゃんの補助とは雲泥の差だ…

『ようし…こんなもんやろ!』

ようやく開放された… その場で起き上がれなくなった俺に オッさんが言った…
『ようし!吉岡!今ここで脱いでみろ!』
『え…ここで…?』
『いいから!ほれ!脱いで!』


オッさんの勢いに押されてTシャツを脱ぎ捨てる…


『うぉぉ〜!マジかよ?ス、スゲェ〜!!』
新ちゃんの驚きの声…
俺自身も、鏡に映る自分の胸を見て唖然とした…

筋繊維の一つ一つがクッキリとひび割れ、ありとあらゆる血管がその上に、ニョロニョロとうねっている…
そこは針で刺すとパンと弾けてしまいそうな程だ…
かつて、自分の胸が ここまで凄い状態になったのを見た事がない…


『うん…まぁまぁだな。』
満足そうにオッさんが言った…
『あんたは…本当に…都筑しげ…』
『なぁ、吉岡よ。死ぬ気で頑張れば 試合当日は、頭の先から爪先まで この状態になれるぜ。』
『オッさん…否、都筑さん、あんたが凄いのは よく分かったよ。でも、俺に指導する目的は一体 何なんだ?』

都筑はニヤリと笑った…
『へへへ。よくぞ聞いてくれた。どーだ修司、試合までの2週間、俺を買わねーか?昨日と今日のは お試し期間中のサービスって所だ。』
『あんたを買う?』
『そーさ!今 流行のパーソナルトレーナーだか、ストレングスコーチだか言う奴だ。』
『………』
『試合までの2週間の食事、トレーニングを全部俺が見る。最近のアメリカじゃ、こうゆーのは常識らしーぜ。』

そう言って 都筑はある金額を俺に提示して来た…

『せっかくだが、無理だ。止めとくよ。俺は ずっと一人でやって来たし、これからもそうだ! 第一そんな銭なんか何処にも無ーよ…』
『チェッ!シケてやがるな… そーか、じゃあ縁が無かったって事だな。アバヨ!』
そう言い残して都筑は立ち去ろうとする…

『ま、待ってくれよ!』

彼を引き止めたのは 新ちゃんだった…

『分かったよ!オッちゃん。その値段で俺があんたを買う!今日から2週間、俺があんたの雇主だ!』
『新ちゃん…』
『雇主の指令は唯一つ…あと2週間で修ちゃんを完璧に仕上げろ!』
『ほぅ…こっちの兄さんの方が物分かりが良いや。』
『但し、絶対仕上げる事が条件だ!それが出来なきゃ ギャラは半分没収だ!』
『OK!その条件 飲んだぜぇ。』


『新ちゃん、何を言ってるんだ!そこまで新ちゃんに甘える訳にはいかない…止めてくれ!』
『修ちゃん、俺も後悔したくないんだ!どうしても、お金を出して貰う事が嫌だったら貸してあげる!
毎月の給料から少しずつ返して貰えれば それで良い。』
『新ちゃん…』
『やろうぜ!バリバリに仕上げて、大河も本城も小内も皆ぶっ倒すんだ!』

『ようし決まりだな!だが俺は甘くないぞ!吉岡修司 この2週間 お前には思い切り泣いて貰うぞ!』
『おい!俺はまだ了解しちゃ…』
『良いから、良いから…』
新ちゃんが強引に2人の手を握らせた…



不本意ながら゛TEAMヨシオカ゛の誕生であった…






引退して すぐにジムを立ち上げた…



゛ボディビルGYM 『ディープ』゛


元日本王者であり、ユニバースをも制した゛都筑茂雄゛のジム…
そこに行けば 直接あの゛Mr.パーフェクト゛の指導が受けられる…
オープン前から入会希望者が殺到した…

しかし…

゛ディープ゛は思いもよらぬ 壁に突き当たってしまう…
なんと W県ボディビル連盟の認可を拒否されてしまったのだ…

ボディビルの大会は、誰もが皆 エントリーさえすれば、簡単に出場出来るという訳ではない…
その為には、まず 県連盟に認可されたジムに入会しならなければならない…
つまり ゛ディープ゛の会員のままでは ボディビルの大会に出場出来ないのだ…

どうして゛ディープ゛は認可されなかったのか?

連盟の決まりで、『半径5キロ以内に県連加盟のジムがある場合は、新たに新規加盟を認めない』とある…
゛ディープ゛はこれに引っ掛かってしまった…
これは つまり煙草屋や酒屋の近所のコンビニでは 煙草や酒類を売れないのと 同じ理屈だ…

県連と言えども 所詮はジム経営者の組合みたいな物である…
自分等の経営を脅かす物に対しては徹底的に排除に回る…
例え それが 日本のボディビル界にとっての大功労者゛都筑茂雄゛であってもだ…
あるいは 都筑程の顔があれば、特例も認められたのかもしれない…

しかし ゛ディープ゛にとっての悲劇は、すぐ近くにあるジムの経営者が W県連盟の理事長だった事だ…
この理事長は独裁的で有名な人物だった…
悪い事に゛ディープ゛がオープンする際、数名が その理事長のジムから移って来た…
その件もあり 理事長と都筑の間は最悪になっていた…


さて、県連の認可を得られなかった゛ディープ゛ではあるが、それなりに繁盛していた…
やはり 都筑茂雄の名前と影響力は絶大だった…
選手の中にジムの掛け持ち…つまり二重会員になる者が増えた…
彼等は、試合には県連加盟のジムから出場し、普段の練習は゛ディープ゛でやるというスタイルをとっていた…



゛下田栄司゛という選手がいた…
なかなか有望な選手だった…
彼は 県連理事長のジムの会員でありながら 普段は都筑の指導を受けていた…

その下田が W 県選手権で優勝した…
ステージ上でインタビュアーに聞かれた…

゛この喜びを一番に誰に伝えたいですか?゛

゛育ててくれた都筑さんです。゛

これが理事長の逆鱗に触れた…

更に表彰式後、司会者の『選手の応援の方は遠慮無く 舞台に上がって来て下さい。』の呼び掛けに応え、
都筑はステージに上がり下田を祝福した…
実は、この大会には ジャパンボディビル連盟の木村会長夫妻が視察に来ていた…
その前で顔を潰された理事長は烈火の如く怒った…

即刻 下田は除名処分…
都筑に対しては『今後、連盟の主催する あらゆるコンテスト会場への立ち入りを禁止する。』項の ゛絶縁状゛を送りつけた…

更に『今後゛ディープGYM゛への出入りが発覚した人物に対しては、 W県連盟としては、選手登録を 許可しない。』という通告まで出した…

これには 一斉に選手達は青ざめた…
県連の登録を受けなければ 県大会は おろか その先にある全国レベルの大会にも出場出来ない…

選手達は泣く泣く都筑の元から離れて行った…
一転゛ディープ゛の経営は行き詰まってしまった…
あるいは、まだ この時点で手を打っていれば間に合っていたのかもしれない…
しかし ろくに建設場所も考えずに゛ディープ゛を立ち上げた事でも分かる様に 都筑はあまりにもジム経 営に対して無頓着だった…
昔から いかに自分の身体を良くするか…
いかに教え子の身体を良くするか…
そういう事しか考えた事の無い人間だった…


結局゛ディープ゛は創立僅か3年も持たずに潰れてしまった…


莫大な借金だけが残った…

家も店舗も人手に渡ってしまった…
借金取りに追われる毎日が続いた…
妻も愛想を尽かし 子供を連れて出て行った…
都筑は何もかもを失ってしまった…

借金返済の為、あるいは生活の為に何でもやった…
ヤクザの用心棒まがいの事から、高級ナイトクラブでのストリップの様な事まで…
金持ちのオバサン連中の前で、パンツ1枚でポーズをとり、その中に チップを入れてもらう…
そんな屈辱的な事までやった…


酒に溺れてボロボロになった…
毎晩、血を吐くまで飲んだ…
引退後も欠かさず続けていたトレーニングもいつの間にか辞めてしまっていた…

゛このままじゃいけない…゛


そんな暮らしから、立ち直ろうと必死でもがいた…


そんな中で思い付いたのが 今の商売だった…


ボディビル雑誌やスポーツ雑誌で、金になりそうな選手を探し出す…
その選手の元に押し掛け、自分を売り込み、コーチとして 雇ってもらう…
日本全国を周るこの゛仕上げ屋゛稼業は短期間の割には なかなかの収入になった…

しかし、もうそろそろ 潮時なのかもしれない…

日本中に大手のフランチャイズジムが出来、どのジムも沢山の優秀なパーソナルトレーナーを抱えている…
時代は いつしか そういう流れになっていた…
もう、この業界に 自分の居場所なんか、何処にも無いのかもしれない…

しかし…

゛最後に、せめて最後に心から納得出来る 大きな仕事がしたい…゛

そんな中で出会ったのが゛吉岡修司゛だった…
最初、『月刊マッスルマガジン』で彼を見た瞬間にピンと来た…

゛この男は作り甲斐がある…゛

゛俺が小内英雄に渡したあのバトンを 今度は、俺が仕上げた この吉岡修司が奪い返す…゛
゛そう考えただけで胸が高鳴る…゛
゛こんなに痛快な事はない…゛
゛俺の最後を飾るに相応しい大仕事だ…゛
゛どっこい、都筑茂雄は まだ生きている…゛
゛その事を連盟の奴等に嫌という程教えてやる…゛

゛俺をないがしろにした奴等に、吉岡修司という強烈な最後っ屁をかましてやる…゛



それが 彼なりの けじめ の付け方だった…







『おい、修司!起きろよ、ホラっ、起きんかい!』



聞き慣れない 声に 叩き起こされ、俺は一瞬 自分が何処で眠っているのか分からなくなった…

俺を起こしてくれたのは、エプロン姿の若妻で………
って、もちろん、そんな訳がある筈もない…

どこか惚けた、人を食った様な オッさんの顔が 上から覗き込んでいる…

゛都筑茂雄…゛

果たして、この 締まりのないオッさんが、20年近くも前、日本中を否、世界をも席巻した伝説の ボディビルダーとは、一体誰が知るであろうか…
俺は思わず時計に目をやる…
『な、何だよ、オッさん!こんな時間に…まだ2時前だぜ…』
『ホレ!飯だ。起きて食え!』
テーブルの上には、焼きたての、大きな鶏の胸肉が一枚 置かれている…

『え〜…。こんな時間にかよ…冗談だろ?』
『冗談なもんかよ!いいか修司、睡眠中は身体がカタボリックになりやすいんだ。お前も もう少し勉強 しろよ!』
確かに そんな話はよく耳にする…
しかし こんな夜中に、突然叩き起こされて、いきなりパサパサの胸肉を食えと言われても…

『オッさん、分かった…でもよ、せめてプロテインにしてくれよ…』
『バカヤロウ!なに贅沢言ってやがるんだ、プロテインはな あれで結構カロリーが高いんだぞ!』
『………』
『いいか、修司!これからの2週間、プロテインは禁止だ!俺の作った物以外は絶対に口にするな!』
『ヤレヤレ…』



都筑のオッさんが、俺のコーチに決まった時、試合の日まで俺のアパートに住み込むと言い出した…
もちろん、俺は猛反対である…
夜中まで こんな惚けたオッさんと顔を付き合わせていたんじゃ、こっちの頭がおかしくなっちまう…

しかし…

『おい!付きっきりで面倒見てやろうって言ってるんだ。贅沢言うな。その分の俺の宿泊費はギャラから引いといてくれや。』
『おぉ!それ良いね!その話 乗ったよ、オッちゃん!』
その話に新ちゃんが同意した… スポンサーに そう言われたら もう どうしようも無い…
こうして、俺とオッさんの奇妙な同棲生活が始まった…

一緒に暮らして分かった事…
それは、意外にオッさんが器用で マメだという事…
何せ 毎食 きっちりとした食事を作ってくれる…
それも 鶏、牛、魚、卵と 毎回違うメニューでだ…
それと もうひとつは オッさんの呆れる程のイビキの凄まじさである…
コイツは俺の睡眠を妨げる為に わざわざ同居してるのか?と疑いたくなる…



毎朝、4時過ぎに起きる…

それから1時間程のランニング…

その間に オッさんが朝飯と弁当を作ってくれる…
朝飯を食った後、4食分の弁当とペットボトルの水 数本を持って出勤する…
当然だが、かなりの荷物だ…

『オイ!しっかり食って、ちゃんと水も飲めよ!あと、仕事は適当でいいから、しっかり身体を休ませとけ!』

社長の新ちゃんが聞いたら 卒倒しそうなセリフで 毎朝送り出される…



夕方 仕事を終えると一旦アパートに立ち寄り オッさんを拾ってジムに向かう…
トレーニングになると、惚けたオッさんの顔が、まるで鬼か何かに見えてくる…

軽い重量…

丁寧な動作…

止めど無く長いレップス…

短いインターバル

延々と続くセット…


そして、セット間には ポージング地獄が待っている…
オッさんが゛ダウン!゛と言うまで、ずっと同じポーズをとり続ける…
2分、3分と同じ体勢のまま放置される…

『まだだぞ〜、力抜くなよ〜、カットって奴はなぁ こうやって彫っていくんだ!』

ウゥゥゥゥゥ〜…

全身がプルプルと震え、汗が吹き出し それが ぽたぽたと床に滴り落ちる…
バクバクと心臓が波打つ…
やがて、まともに呼吸も出来なくなり、酸欠状態に陥る…
目の前が真っ白になり 意識が吹っ飛ぶ寸前にようやく『ダウン!』の声が掛かる…
堪えきれずに、その場に ぶっ倒れる…


そんな俺に 容赦なくすぐに次の指令…
『ホラ!寝転がってるてる暇なんかねーぞ!起きろ!』
そう言って バーベルだかダンベルだかの ウエイトを手渡される…
それを持って直ちに 次のセットへ…
意識が朦朧とした中で、極端に軽いウエイトを延々と動かす…
いつ終わるかも分らないセットである…
少しでも 動作が雑になろうものなら すぐに罵声が飛んでくる…

『コラ!修司!何回言ったら分かるんだ!丁寧にやれ!丁寧に!筋肉で感じて、筋肉で動かすんだ!』
『オイ!もっと ゆっくりやらんかい!早い奴は カウント無しだ!どーした!ホラ!しっかり押して来んかい!』
『集中しろよ〜!今使ってる筋肉に全意識を集中させるんだ!その時その時の筋肉の形を頭に思い浮かべるんだ!』
理屈は分かっちゃいるが、もう身体が言う事を聞いてくれない…
こんなに軽いウエイトが、まるで200キロだか 300キロに感じる…

『ホラ!修ちゃん、頑張れ!頑張って!』
新ちゃんの 応援の声が 何処か遠くから聞こえて来る…

何度も何度も途中で吐いた…

何度も何度も意識を失いかけた…

それでも、オッさんは一切容赦しない…


゛ブッ殺してやる!゛


何回 本気でそう思った事だろうか…

今迄俺は 自分を追い込む事に関しては 絶対に誰にも負けない自信があった…
大して才能の無い俺が まかりなりにも ここまで来れたのは、そのお陰だと思っている…

しかし…

そんな自信も たった数日で木っ端みじんに吹っ飛んだ…

本物の限界という物は、こんな所にあったのだ…

オッさんが罵声を浴びせ、俺が悲鳴を上げ、新ちゃんが声援を送る…

そんな毎日が続いた…

地獄の様な毎日だった…

しかし…

最高に充実した まるで夢の様な日々だった…

そして…

俺の身体は 確実に変わっていった…






『ようし!最後はアブドミナル&サイだ!』



オッさんの指示で 7つある規定ポーズのひとつ、両腕で頭を抱え込み 腹筋を強調するポーズをとる…


゛ふうぅぅぅぅ…゛


腹筋はおろか 背中のV字、腕、脚全面のカット…

全身のあらゆる部位に意識を集中させる…



『ようし!ダウン!』


昨日までと打って変わって僅か20秒程で開放される…


『新一よぅ… どう思う?』
珍しく、オッさんが新ちゃんに意見を求めた…
『あ、あぁ、す、凄えーよ…凄過ぎて言葉が出ないよ…』
『そうか…』
オッさんも満更でもない顔だ…


『よし!今日は ここまでだ。お疲れさん!』
『え…!!』
俺は唖然とした…

今日は9月の最終金曜日…
つまり 日本選手権3日前だ…
明日が 移動等で時間がとれない事を考えると 今日が最後の練習日となる筈だ…
オッさんとの最後の地獄の特訓を覚悟していただけに 軽く一通り規定ポーズをやっただけで終わりと
言われ、思い切り拍子抜けした…



『なんだぁ、今日はもう終わりかよ?…』


俺の気持ちを代弁するかの様に新ちゃんが言った…

『あぁ、疲れを残す訳にもいかねーしな。それに、もう俺の やるべき事は全部やったよ。後は…っと』
そういうとオッさんは、1枚の紙切れを俺に手渡してくれた…

『明日と、当日の朝に やるべき事は、ここに全部メモしてある。この通りにやれば、日曜日には完璧に 仕上がる筈だ。』
『………』
『あと、新一!これはお前にだ!俺の口座番号が書いてある。ギャラの振り込みは、ここに頼むぜ。』
『な、なんだよ!オッちゃん!当日一緒に行かねーのかよ?』
新ちゃんが不満そうに尋ねた…
『あぁ、どうも 今の俺には あんな きらびやかな場所は似合わねーもんでよ。』
『な、なんだよぉ!せっかく終わったら 3人で酒でも飲もうかって思ってたのによぉ!』
『よせやい!おめーら2人と 面合わせての 酒なんて不味くてしょーがねーや。』



っと 不意にオッさんが俺の方に向き直って言った…

今迄見せた事の無い様な、真剣な顔で言った…

『修司よぉ…』
『ん…?』
『頑張れよ…俺は゛やるだけやった。当日は思い切り楽しめ゛なんて事は言わない。』
『………』
『最後の最後のまで勝ちに拘れ!半端な気持ちじゃ 今度の敵は、絶対に勝たせてくれねーぞ!』
『あぁ…』
『ようし!!さてと…今なら最終に間に合うな… ぼちぼち行くわ…』



ジムの外まで追い掛け、新ちゃんがまだ何か絡んでいる…

『な、なんだよぉ!オッちゃん…そんな急に…水臭ーな!ちくしょう!駅まで送るよ…』
『あぁ… ありがとよ。でもよぉ、列車の別れなんて柄にも無えから 遠慮しとくよ。』
『チェッ!』
『じゃーな!修司、新一、あばよ!!』
オッさんはそう言うと振り向きもせずに歩き始めた…



俺は その後ろ姿に深々と おじぎをする…
そのまま姿が見えなくなっても 暫く頭を上げる事はなかった…




最高に充実した仕事だった…

最高に充実した2週間だった…


都筑茂雄は、込み上げて来る物を必死で堪えていた…


゛吉岡修司…゛


゛なんて漢だ…゛


゛とうとう一度も音をあげなかった…゛


゛それどころか、泣き言ひとつ言わなかった…゛



最初に、ガツンと追い込む…

どんな奴でも、そこで一度は音をあげる…

そこから次の段階に入る…

それが、いつもの彼の指導法だった…


゛しかし…あの野郎は最後まで…゛




台風19号の影響で生暖かい風が吹いている…

このままいくと、週末は大荒れの空模様らしい…

゛最終決戦゛は、もうすぐそこに 迫って来ていた…(了)






※主な登場人物


吉岡修司…この物語の主人公、3年前 日本クラス別選手権において宮本護に敗れ、その後 護の死にショックを
       受けボディービル界から姿を消すが今年復活。

宮本護…修司の宿命のライバル。アジア選手権優勝後、妻と供に交通事故死。伝説のボディービルダーとなる。

太田新一…修司の幼馴染みであり、修司の働く運送会社の社長。

大河実…修司、護の大学の先輩。『大河マジック』の異名を持つ 現アジアライト級チャンピオン。今年の日本選手権を
      最後に引退を表明。

小内英雄…去年遂に日本ボディービル選手権15連覇を達成したキング、オブ、ボディービルダー

本城剛…日の出の勢いで躍進するイケメンビルダー。吉岡修司と宮本護の熱い闘いを見て覚醒。
      護を彷彿させる身体を有している。

八木道夫…『月刊マッスルマガジン』の編集者。

竹内功介…『月刊パンプアップ』のベテラン記者。

丈夫義文…『神の手』の異名を持つ、日本スポーツ医学の権威。

都筑茂雄…小内の前の日本王者。かつて、日本ボディビル史上最高の男と呼ばれた名チャンピオン。