boomerさんのボディビル小説

ライバル達の唄ファイナル…死闘編

第四章

再びバックステージに戻って来た…



午前中 あれ程賑わっていた選手控え室も、随分と閑散として来た…
予選で敗れた選手達の姿は 既にそこにはない…
決勝進出を勝ち取った12名が 午後からの決勝審査を待つ…


結局 比較審査は計20回行われた…
これは例年に比べても極めて多い回数だ…
うち、吉岡修司が絡んだ比較 なんと8回…

終盤には、対小内、対大河、対本城、対猪狩と、実に1対1の比較に4回連続で呼ばれている…

通常 ボディビルの比較審査は 3〜4人で行われ、今回の様に 2人での比較が行われるのは極めて稀だ…
その他にも 小内対大河、小内対本城、大河対本城という一騎打ちも行われた物だからファンには堪らない…

とにかく 今年のプレジャッジは、実にしつこく、念入りに行われた…
これは体力の消耗等を考えると選手には 酷だが、しっかりと見て貰えるという利点の方が大だ…

゛審査員も迷っている…゛

ボディビルを知っている人間ならば、誰もが そう感じ取れるプレジャッジであった…



吉岡修司は控え室に辿り着くなりに、その場にうずくまった…
さすがに 8回の比較は過酷だ…
通常ボディビルのポーズを1つ決めるのに、100mを全力疾走する程の体力を消耗すると言われている…
これを1回の比較で7つ…
計8回やる訳だから その疲労困憊ぶりは半端ではない…
おそらく あの゛都筑茂雄゛との地獄の特訓がなければ、今頃倒れ込んでいただろう…
すっかり筋肉は萎んでしまった…
すぐに ピーナッツバターとオレンジジュースで疲労回復を計る…

午後からは決勝審査が始まる…
そこで1人1分の、フリーポーズが待っている…
約1時間後には、再び全身の筋肉がパンパンに張った状態に戻さなければならない…
その為にも 今は少しでも身体を休める事だ…
修司は手荷物のバックを枕に、瞳を閉じた…




表に出ると、台風による 雨風はほとんどおさまっていた…


宮川敏光は 今、自分達の置かれている現状を怨むしかなかった…
今日は 本城剛の応援に、トレーニング仲間の老人達数人と訪れた…

そして、昼休み…

観客達は、このプレジャッジと決勝審査の間の約1時間の内に、食事等を済ませる…
宮川達も食事を摂る為に外に出た…
そこで とんでもないトラブルに巻き込まれてしまったのだ…

午前中のプレジャッジの時から、本城に対する野次は酷かった…
それに、松尾という正義感の強い老人は、かなり苛ついていた…
そして…

゛本城の野郎、ホンマ ムカつくよな。見てるだけで、胸クソ悪いわ!゛

前を歩く3人組から そんな会話が聞こえて来た…
どうやら 彼等も 食事の為に、外に出て来た 観客らしい…
3人とも ゴツい身体をしていた…
その服装、歩き方から あまり柄の良い人種には 見えない…

会話もかなり下劣だった…
下劣な言葉で 本城を辱しめる…
そして…

゛しかし あの野郎、身体だけは 随分と良くなってるな!゛
゛あぁ、どうせクスリか何かだろう!゛


『君達、ちょっと待ちたまえ!』
大声で そう呼び掛けるや否や、松尾は3人組の方へ 歩いて行った…
『君達が本城君の事を、忌み嫌うのは よく分かった。しかし何の根拠も無い誹謗中傷は、やめたまえ!』

゛何や?この爺さん…゛
゛頭、おかしいのんと ちゃうか?゛
゛ん?!゛
゛おお!この爺さんや!ホレ!さっき立ち上がって 何や 偉そうに説教たれよった…゛
゛おお!ホンマや!あのクソ本城の応援団の爺さん婆さん達や!゛
゛爺さん達は、出しゃばらんと、おとなしゅう老人ホームにでも入っとき!゛

パーン!

辺り一面に渇いた音が鳴り響いた…
なんと松尾が 男の頬を平手で打ったのだ…
一瞬の静寂…
男の形相が見る見る変わっていった…
『何するんじゃ!このクソ爺!!ブッ殺してやる!』

ゴツっ!

骨を打つ音が 響き渡る…
いくら松尾が、元警察官とはいえ、これ程の屈強な若者に 拳を叩き付けられれば、ひとたまりもない…
松尾は、吹っ飛ばされ 地面に転がった…
それを 他の二人が、交互に踏み付ける…
松尾は倒れながらも 持っていた風呂敷包みを腹に抱え込み離そうとしない…
それを若者の一人が、力一杯蹴飛ばした…
宙に浮いた風呂敷包みは 地面に落ち 勢いで、中身が散乱した…
それは重箱に詰め込まれた 沢山のおはぎ だった…


゛本城くん 私達 今週、皆で君の応援に行こうと思うのだが、何か差し入れて欲しい物はないかね?゛
゛うわぁ!嬉しいなぁ!そうですね…終わったら おはぎ をお腹いっぱい食べたいなぁ。゛
゛よし!分かった!任せといてくれ!ウチの母ちゃんは、おはぎ作りだけは 上手いんだ!゛


宮川は、一週間程前の二人の会話を思い出していた…
『ケッ!こんな ぼた餅!』
重箱に残った おはぎ を若者が踏み付ける…
『た、頼む…それだけは、やめてくれ…』
『うるせぇ!クソ爺!』
松尾の懇願が逆に彼等の狂気に油を注ぐ…
若者達の暴行は止まらない…

゛まずい…非常にまずい…゛
゛止めなければ…早く…゛
不幸にも 周りに人っ子一人いない…
『君達…気が済んだだろう。もう止めたまえ。』
『うるせ―!』

ゴツっ!

宮川の頬に堅い物が当たった…
彼は 2m程飛ばされ 倒れ込んだ…
不思議と痛みはなかった…
頬骨が痺れる程 熱い…
゛俺は殴られたのか?…゛
゛人に殴られたのは、いつ以来だろうか?…゛

゛きゃあぁ!゛

仲間の女性が悲鳴を上げた…
興奮した若者達は、彼女達にも暴行を加えそうな勢いだ…

゛駄目だ…゛
゛止めなければ…゛
゛でも身体が動かない…゛

と、その時…

゛おい、お前等、何を やってるんだ!゛

正面から 突然一人の男が現れた…
一見50代後半に見える…
ずんぐりとした体型をしていた…
所々に白い物の混ざった頭髪は 短く刈り込まれている…
そして…
この場に不似合いな緊張感のかけらもない、惚けた顔をしていた…

『なんや!?オッさん!関係ないやろ!出しゃばるんやったら、テメェもブッ殺すぞ!』
若者の一人が凄んで、すぐそばまで、顔を近付けて来る…
『やれやれ…』
男は 困った様な顔で 辺りを見渡した…
『しかし…お前等 目茶苦茶やりやがったなぁ…おい、道徳の授業で゛年寄りは労れ゛って習わなかったかい?』
『うるせー!』

ぱんっ!

一瞬若者の拳が 男の顔面に当たった…かに見えた…
しかし若者が捕らえたのは、男の掌だった…
男は 掴んだ右手を天に突き上げると同時に 若者の軸足を、右足で蹴り上げた…
若者の身体は 見事に空中で一回転すると そのまま勢いよく地面に転がった…
『テ、テメェ―!』
もう一人の拳が飛んで来る…
男は その拳を掴むと そのまま体を入れ替え若者の背後に回り込んだ…
『おい、俺は平和主義の暴力反対人間なんだ。だから無用な争い事はしたくない。だが、返事によっちゃ この腕頂くぜ。』
そう言うと 掴んだ腕を絞め上げる…
ミシミシミシ…
骨の軋む 嫌な音が響いた…
『痛ててててててて!』
『このまま おとなしく 消えるんだ。イエスか?ノーか?さぁ、ファイナルアンサー?』
『いいいイエス!!』
男は 若者の手を離すと お尻をポーンと蹴飛ばした…
若者は 無様に よろけて 地面に転がった…
゛チクショー!覚えてろよ!゛
そう言い残し、若者達は消えていった…



『大丈夫ですか?』
男は 心配そうに倒れている松尾を覗き込んだ…
『あぁ、大丈夫です。ありがとうございました。それよりも 見事な逮捕術でした。警察の方ですか?』
『いえ いえ、昔 警察署でウエイトトレーニングを教えてまして、その時に習いました。』
少し照れた様に 男が言った…
『ん…?』
男は、地面に散らばった おはぎ を見て顔をしかめた…
『勿体ない事をしやがるなぁ…皆さんボディビルの応援ですか?』
『はい…本城くんの…』
宮川が答えた…

『本城剛ですか。彼は本物です。実に素晴らしい選手だ。』
『本城くんを知っているのですか?』
『もちろん!実に綺麗な身体のラインに、おまけにマスクも良いと来ている。まるで私の若い頃に そっくりだ。』
どこまで本当か…照れた様な顔で 男が言った…
『あの…失礼ですが…?』

『あ、私ですか。申し遅れました。゛都筑茂雄゛という者です。』


相変わらずの惚けた顔で、男はそう名乗った…






受付で当日券の購入を済ませ ロビーに入ると、売店の前で、いきなり知った顔に出くわした…

『あちゃ〜!!』
゛都筑茂雄゛は、この男にしては珍しく、見るからにバツの悪い表情を浮かべた…
『うわ!な、何だよオッちゃん 今日は来ないんじゃなかったのかよぉ!』
腰を抜かさんばかりに驚いた゛太田新一゛は、気を取り直すと、思い切り非難の眼差しを都筑に向けた…
『いや、九州まで出稼ぎに行く途中なんだがよぉ、この台風のお陰で新幹線が新OO駅で足止め喰らっち まってな。時間が出来たもんだからよ…』
『なんだよ!だったら連絡くらい入れろよな。相変わらず水臭いな。んで何だよ、そのデカいマスクは?風邪か?』
『あ…これか…ここには、あんまり顔を合わせたくない連中が沢山いるんでな。』
『ひょっとして その中に俺も入っていないだろうな!?』
『ハハハハハ…まさか…そんな事より どうだ修司の調子は?』
『あぁ、バッチリだ。上位との比較に何度も絡んでいるよ。あ、プレジャッジ ビデオで撮っているけど見るかい?』
『あぁ、是非見せてくれ…』

二人は 新一の座席に戻ると さっそく4.2インチの液晶画面を覗き込んだ…

『どうだ?良い感じだろ?』
『うむ…』
モニターを見ながら、都筑は暫く考え込んだ…
先程までの惚けた顔付きから一転して、その目は真剣そのものだ…

『新一よぉ…』
『ん…?』
『どんな手を使っても良い。至急 修司に連絡を取るんだ。そして すぐに塩おにぎりを2、3個食う様に伝えてくれ。』
『わ、分かった。何とかするよ。塩おにぎりだな。』
『あぁ、もし無かったら ポテトチップでも構わない。よろしくな。』
『あぁ、任せといてくれ。』




゛小内英雄゛は、先程からずっと己の右上腕を見つめ、考え込んでいた…

あの天才゛丈夫博士゛が執刀してくれた…
二人で 緻密なリハビリ計画を立てた…
超人並の回復力で 何とかこの日に、間に合わせる事が出来た…
もう、完璧に治っている物とばかり思っていた…

しかし…

あれは 4回目の比較に呼ばれた時だった…
゛本城剛゛との1対1の比較の時だ…
゛バックダフルバイセップス゛をとっている時に、再び右腕がピリッと来た…
あの時 断絶したのと同じ箇所だ…
2ヶ月前の悪夢が蘇る…
コンテストという極限の状況の中で、彼の上腕には思った以上の負担が掛かっていたのだ…

彼は感覚で悟った…
おそらく、まだ上腕二頭筋は 何とか首の皮一枚で、持ちこたえている…
しかし もう限界だ…
たぶん、あと何度か 力を込めると、二度と修復不可能に、ちぎれてしまう事だろう…

゛最後に これだけは覚えておいて下さい。今回何とか回復出来ましたが、今度同じ箇所をやったら ジ・エンドですからね。゛

最後に、丈夫から言われた言葉が 今でも耳に残っている…

゛頼む…もう俺をコールしないでくれ…゛

プレジャッジの途中、何度もそう思った…
彼は生まれて初めて神に祈った…
その願いが通じたのか、幸運にも、彼がそれ以後 比較に呼ばれる事はなかった…

こうして何とか 午前中のプレジャッジは乗り切る事が出来た…
しかし、午後からは1分間のフリーポーズが待っている…
最悪のシナリオが脳裏を過ぎる…
゛果たして 俺の右腕は、あと1分間 持ちこたえる事が出来るだろうか…?゛

゛棄権…゛

何も恥ずべき事ではない…
むしろ ここまで よく頑張ったと思う…
途中で引き返す勇気も、もちろん必要なのだ…

しかし…

過去に 今日程 胸を熱くした闘いは なかった…
今日程 勝ちたいと願う闘いは なかった…
俺は 今日 この闘いをする為に 生まれて来て その為にボディビルというスポーツに巡り合った…
そう感じさせる程の闘いだった…
例え 再起不能になろうとも この闘いを、最後までまっとうしたい…
そう願う自分がいる…

゛何を 馬鹿な事を…゛

もう二度とステージに立てなくなるんだぞ…
もう二度とボディビルが出来なくなるんだぞ…

今ちょうど目の前に 役員がいる…
彼に 状況を告げてしまえば それで全てが終われる…
じっくりと時間を掛け治療に専念し、来年 再び戻って来れば良いじゃないか…
別に連勝記録に、拘りはない…

ふと、周りに目をやる…


正面で゛大河実゛が、軽くアップを始めていた…

思えば、お前とは古い付き合いだな…
今年で22年か…
現在の俺がいるのは、お前という好敵手がいたからだ…
それは間違いない…
二人で、ずっと日本のボディビル界を背負って来た…
今日で最後…
お前と闘えるのも 今日これで最後か…
最後の最後に 素晴らしいコンデションを作って来てくれた…
敵ながら あっぱれな奴だ…
果たして俺は、お前の想いに応えてあげる事が出来ただろうか…?

最後のこの闘いで…


真横で本城剛が、精神統一をはかっている…

ただ そこにいるだけで、周りを魅了する…
実に素晴らしい素材だ…
この男は 間違いなく将来 日本チャンピオンになるだろう…
早ければ それは今日かもしれない…
周りは、とやかく言うが、奴程 王者の器を兼ね備えた人間はいない…
果たして俺は、王者としてのメッセージを、奴に伝える事が出来ただろうか…?

あの日の 都筑茂雄の様に…


奥で゛吉岡修司゛が 黙々と栄養補給に励んでいる…

正直 驚いた…
これ程の男が、今迄 何処に埋もれていた…?
今日 お前という男に 巡り合う事が出来た…
それだけでも 無理して出場した甲斐があった…
隣でポーズを取っているだけで ここまで熱くなれる相手は初めてだ…
もっと早く 出会いたかった…
女房以外の人間に こんな感情を持ったのは 初めてだ…
果たして俺は 俺ほど、お前の心を熱くする事が出来ただろうか…?

日本王者として…


素晴らしいライバル達だ…

素晴らしい漢達だ…

そして…

素晴らしい゛真友゛達だ…

様々な想いが胸中を駆け巡る…

『よし!』


長い自問自答の末、己の右腕に、そっと口づけをすると、王者は意を決したかの様に軽くパンプアップを始めた…







何処からか聞こえて来る 携帯の着信音で目が覚めた…


いつの間にか眠ってしまっていたらしい…
この極限の状況で…
思わず苦笑いを浮かべてしまう…
゛余程 疲れているんだな…゛
吉岡修司は 枕代わりに使っていた 大きなボストンバックの中から、鳴り響く携帯電話を取り出した…


『もしもし…』
『あ、修ちゃん!やっと出てくれた。何遍も鳴らしてたんだぜ…』
『ごめん、ごめん…熟睡してた…で、何だ?新ちゃん…』
『うん、実はよぉ さっき そこで偶然 都筑のオッちゃんに会ってよぉ…』
『オッさんに…?』
『あぁ、詳しい事は後で話すわ。それよりも オッちゃんからの伝言で 今すぐ塩おにぎりを入れろってさ。』
『塩おにぎり………そうか…分かった…』
『うん、じゃあな。修ちゃん午後からも頑張ってな!』
『あぁ、ありがとう…』


゛ナトリウムと炭水化物か…゛

実に大胆なアドバイスだ…
通常 コンテストコンデションの中での ナトリウム摂取は皮膚に水分が溜るという理由からNGとされている…

俺は、一昨日のオッさんとの会話を思い出していた…
『オッさん、メモの最後の この塩おにぎり、ポテトチップってのは何だ?』
『あぁ、どうしても筋肉が張らなかった時の最終手段だ。但し摂るタイミングを間違えるなよ。』
なる程、午前中のハードな比較の連続で 俺の全身の筋肉は著しく萎んでしまっている…
自分でも、プレジャッジが進むにつれ 徐々に身体がフラットになっていくのを感じていた…

しかし…

もしそうだとして 例え他の誰に言われ様とも 俺は、こんな危険な賭けには乗らないだろう…
只一人、あのオッさんを除いて…
俺は もう゛都筑茂雄゛という男に 100%の信頼を寄せていた…
俺は何のためらいもなく 塩分のたっぷりと効いた おにぎりを頬張った…




゛これが最後のパンプアップか…゛


大河実は 一つ一つの動作を噛み締めていた…
とうとう この時がやって来た…
泣いても笑っても これで最後…
これで全てが終わる…

しかし…

感慨にふけっている暇はない…
これは あくまで勝負である…

そう…

是が非でも 勝たなければならない…
最後に全てを出し切れたから、負けても悔いはない…
そんなのは嘘っぱちだ…
勝たなければ…
勝たなければ意味がない…
゛日本一のボディビルダー゛
その称号が、もう手を伸ばせば すぐ届く所まで来ている…
人生最後のフリーポーズ…
この1分間を愛する妻、そして二人の息子達に捧げる…

そして…

壮絶に過ぎて行った22年間の全てを ぶつける…




記者席でコンビニ弁当をパクついていたら不意に後から肩を叩かれた…
振り向くと、そこには、ライバル誌『月刊パンプアップ』の竹内記者が立っていた…
『八木くん、今小耳に挟んだんだが、先程 例の本城の応援団の老人達が、他の観客に暴行を受けたらしいぜ。』
『えっ…!』
『幸い、老人達に大した怪我は無く無事だったらしいけど、連盟はこの事を重くみて、早速調査を始めたそうだ…』
『………』

八木道夫は胸が締め付けられる程の衝撃を受けた…
゛とうとう、こんな事件にまでなってしまった…゛
元々が現状を打破する為に、二人で協力して始めた事であった…
しかし、それがまさかこんな事に…
果たして、この報せを受けた本城の胸中は…

それまで、どんな誹謗中傷にも耐え忍んできた本城剛が、プレジャッジの際、応援の老人達にまで、
それが及んだ時に、まるで人格が変わった様な顔付きになった…
その老人達が実際に被害を受けた…
最も恐れていた事態である…
元々は自分等の蒔いた種である…
彼は今頃、共犯者である僕の様に、痛烈に胸を痛めているのだろうか…

それとも…

この事さえ怒りのエネルギーに変え、更に闘志を極限にまで燃やしているのだろうか…
八木は、この時初めて、自分達がして来た事に後悔を感じていた…



゛それでは、間もなくファイルが始まりますので、観客の皆様、ご自分の席にお戻り下さい!゛

司会者のアナウンスが館内に響き渡った…


がやがや…


がやがや…


がやがや…







シーンと静まり返った館内…


ステージの脇から 一人の男が現れた…
小柄な男である…
恐らく 身長160cmにも満たないであろう…
身体中に漆黒のオイルを塗り付けている…

異様な男である…

最初に目に付いたのは、その異常に発達した下半身だった…
恐ろしい迄に 脚の太い男である…
若い女性のウエスト位は ゆうにありそうだ…
だが、目を見張るのは 何もそこだけではない…
肩、胸、背中、腕…
その 一つ一つが極端に盛り上がっている…

゛たなかぁ―!゛

゛がんばれ―!゛

田中と呼ばれた その男は舞台の中央まで歩み寄ると、しゃがみ込み 短距離走のスタートに似た格好をとった…

館内に静かなピアノの旋律が流れる…
と、突然 それが耳を劈く程の激しいビートに変わった…
それに 併せるかの様に しゃがみ込んでいた田中が、まるでマグマが急噴火するかの如く立ち上がった!
同時に両腕を挙げ 力こぶを強調するポーズを決める!
田中のポーズに併せて場内も、徐々に盛り上がりを見せる…

゛灯゛が田中だけを照らし出す…
素晴らしい肉体である…
筋繊維の 一つ一つが鮮明に浮き出ている…
田中が動く度に それらも躍動する…
思わず息を呑む程のパフォーマンスが続く…
最後にマスキュラーという ボディビルのポーズの中でも特に力強いポーズを決めた!
1分間のルーティンを終えると 田中は満足気に 客席を見渡し握り拳を突き上げた!
館内は割れんばかりの拍手に包まれる…


゛ありがとうございました。ゼッケン番号2番 田中忠選手のフリーポーズでした。
続きましてゼッケン番号8番 木村達也選手よろしくお願いします!゛



いよいよ この次だ…

猪狩一宏は最後の最後まで しつこくパンプアップを続けていた…
弱冠22歳で 日本選手権 初入賞…
以後 毎年順調に順位を伸ばして来た…
だが、その順位以上に彼が追い求めて来た拘り…

゛誰よりも デカいボディビルダーになりたい…゛

それは、もはや哲学と呼んでも良い程の価値観だった…

例え優勝出来なくとも、その日の観客に゛アイツが一番デカかった…
そう思われれば、それで満足である…
逆に、例え優勝したとしても自分よりもデカい選手が存在する事は絶対に許せない…
これまで小内英雄に敗れようが、大河実の本城剛の後塵を拝しようが それ程気にはならなかった…
゛俺の身体が全参加選手の中で、一番のバルクだ…゛
それが、彼が拘る唯一の勲章であった…
例えどんな大会であろうとも、彼がステージに登場するだけで客席がどよめく…
その事が彼の誇りであり生き甲斐でもあった…

しかし…

三年前 彼に初めての屈辱を味あわせた あの吉岡修司が、ここに舞い戻って来た…

燃えない訳がない…

両掌を胸の前で合せ 両端から ありったけの力を込める…
こうすると太い両腕に挟まれた大胸筋にドクドクと血流が流れ込む…
猪狩は最後の最後まで、残る力の全てを この行為に注ぎ込んだ…
目の前に吉岡修司の無愛想な顔が浮かび上がる…

゛お前に だけは負けない…゛



猪狩一宏のフリーポーズに 一切の小細工はない…
ただ ひたすら日本人離れした そのバルクを前面に押し出すスタイルだ…
至ってシンプルで、見方によれば、極めて暴力的だ…
そこにポージングの妙や わびさび等は存在しない…
だからこそ 魅かれるファンも多い…
彼のポージングルーティンは終始 マスキュラーポーズを多用する…
そのポーズを決める度に 彼の口許から獣の様な呻き声が洩れて来る…
決して わざとではない…
彼の類いまれな闘争本能が無意識のうちに そうさせる…
参加選手の中でも一際大きな筋肉を身に纏った男が、力強いポーズを決める度に、呻き声をあげる…
今や この日本選手権でも定番になっている場面だ…
それだけでも 一部マニアは大喜びをし、場内は先程の田中や木村の時には見られなかった程の 盛り上がりを見せる…

客席がざわめく…

客席がどよめく…゛

そして…

客席が大きくうねる…

゛見ているか?吉岡修司…゛

゛聞こえてるか?吉岡修司…゛

゛どんなもんだ?吉岡修司…゛

゛俺に出来るのは、このやり方だけだ…゛
゛どんなに不器用でも これが俺の闘い方だ…゛
゛これが俺の生き様だ…゛

猪狩一宏は1分間のルーティンの最後を、再び渾身のマスキュラーポーズで締めた…
野獣の如き激しい咆哮と共に…



吉岡修司には、何も見えていなかった…

何も聞こえていなかった…

ずっと目を閉じていた…

そこに奴が立っていた…

゛いつから そこにいた?゛

゛そうか…わざわざ見に来てくれたのか…?゛

゛そうか…お前が見ているのならば、無様な格好は見せられないな…゛

゛そうか…゛

゛そうか…゛

゛そうか…゛

゛もう少しだ…゛

゛もう少しだけ待っててくれ…゛

゛今はまだ 前のゼッケンの奴がやっているから…゛

゛こいつが 終われば その次だから…゛



゛ありがとうございました。ゼッケン番号14番 猪狩一宏選手のフリーポーズでした。゛
゛続きましてゼッケン番号15番 吉岡修司選手よろしくお願いします。゛

ドクン!

ドクン!

ドクン!


゛さぁ、いよいよだ…゛

゛そこで よく見ててくれ…゛

゛そこで よく感じててくれ…゛

゛俺の生命を…゛

゛俺の魂を…゛


゛じゃあな!ちょっくら行って来るぜ…゛

゛友よ…゛

゛護よ…゛

゛俺の永遠のライバルよ…゛




※主な登場人物

吉岡修司…この物語の主人公、3年前 日本クラス別選手権において宮本護に敗れ、その後 護の死にショックを
       受けボディービル界から姿を消すが今年復活。

宮本護…修司の宿命のライバル。アジア選手権優勝後、妻と供に交通事故死。伝説のボディービルダーとなる。

太田新一…修司の幼馴染みであり、修司の働く運送会社の社長。

大河実…修司、護の大学の先輩。『大河マジック』の異名を持つ 現アジアライト級チャンピオン。今年の日本選手権を
      最後に引退を表明。

小内英雄…去年遂に日本ボディービル選手権15連覇を達成したキング、オブ、ボディービルダー

本城剛…日の出の勢いで躍進するイケメンビルダー。吉岡修司と宮本護の熱い闘いを見て覚醒。護を彷彿させる身体を有している。

八木道夫…『月刊マッスルマガジン』の編集者。

竹内功介…『月刊パンプアップ』のベテラン記者。

丈夫義文…『神の手』の異名を持つ、日本スポーツ医学の権威。

都筑茂雄…小内の前の日本王者。かつて、日本ボディビル史上最高の男と呼ばれた名チャンピオン。

猪狩一宏…次期日本王者の呼び声高い、若手バルク派ビルダー