子宮頸がん体験記





平成18年10月2日。私から子宮がなくなりました。思い出したら涙が止まりません。考えたら涙が止まりません。
子供が産みたかった。育てたかった。旦那さまと笑いながら子供のいる生活を送りたかった。
全てが消えてしまった日です。


平成23年10月2日。5年生存率が達成される日です。癌になってしまった誰でもが、きっと不安と闘いながら一日一日を過ごし、出来ることなら何事も無く、一応の目安と言われる5年生存率を健康に迎えたいと思う日です。

私は、癌になった時、独身でした。健康だけが取り柄でした。健康であれば良いと言われ続けてたのに、「癌」という、とても重い響きを、自分が受け入れなくてはいけなくなりました。

「子宮全摘出」そう言われた時から、死ねる方法ばかり検索しました。自分にとって、この先、夢も希望も無くなるから・・
入院して手術して、周りで支えてくれた人たちの温かさを感じることが出来なければ、きっと今も同じ気持ちを持ち続けていたのかもしれません。
幸せなことに、私は、関わりを持った全ての人たちが、とても温かく優しく、それによって今までと違う将来設計を考えようと思えるようになれたこと、そして、健康に過ごせていられることへの感謝というものを持てるようになったこと、言葉では言い表せないぐらい幸せだと思ってます。


ただ、その中で、もう年齢的にも年だし、子供も産めないし、癌患者だし、結婚なんてしないし出来ないだろうなって思ってました。お友達が紹介してくれたりして、出会いはあるものの、子供のことで傷ついたり・・たくさんの涙を自分が一番辛かった子供が産めないという現実を他人によって突きつけられて、立ち直れなくなったりしました。


平成22年10月。太郎ちゃんに出会いました。お友達が紹介してくれました。太郎ちゃんは、私よりも3歳上で。ただ、私は、あまり付き合いたいとか思ってませんでした。もう傷つきたくないし、ちょうど試験があるときで、自分自身、忙しい時だったから。
太郎ちゃんは、出会ってしばらくして「結婚を前提に」と言ってくれました。でも、出会ってすぐだから私のこと何も知らないし、結婚がしたいのかな??そう思いました。
私は、子供が産めないことを話しました。彼は、それでも良いって言ってくれました。それでも、私は、まだ太郎ちゃんを信じ切ってなくて、その内、気が変わるかもしれないしと思ってました。
平成23年1月。太郎ちゃんが、もう一度「結婚を前提に」と言ってくれました。相手が誰でも良くて結婚がしたいのか、私と結婚したいのか・・まだまだ半信半疑でした。


太郎ちゃんといる時に私は、とても楽です。それはきっと、太郎ちゃんが生まれ育った環境が私と似ていたり、太郎ちゃん自身の優しさだったり。太郎ちゃんと居ると、私は幸せになれると、疑わなくなりました。私自身が太郎ちゃんと結婚したいなって思い始めました。


平成23年6月。5年生存率達成まで、あと100日という時に、彼は両親に挨拶に来てくれました。そして、もう着られないだろうなって思ってたウエディングドレスが着られることになりました。


平成23年10月2日。5年生存率達成日。私は太郎ちゃんと結婚します。自分にとって大切な一つの区切りとして思っていた日に、新しくスタートできる日に結婚できるという、すごく幸せなプレゼントを太郎ちゃんがくれました。


今、こうして幸せだと思える感謝の気持ちを絶対に忘れないで、太郎ちゃんも幸せになれるように、良い奥さんになれるように努力したいと思ってます。


太郎ちゃん、そして太郎ちゃんを育ててくれたご両親、私の両親、兄弟、癌になって出会って、たくさん励ましてくれたたくさんの人達、言葉では言い表すことが難しいけれど、ありがとうです。
今から嫌な事や悲しいことがあっても、絶対に乗り越えて行けるって思えるほど、感謝やありがとうでいっぱいです。


太郎ちゃん、ありがと。太郎ちゃんと出会えて、ほんとに良かった。何も出来ない私だけど、一生懸命、太郎ちゃんが幸せだって思えるように頑張るからね。ずっとずっと一緒に楽しく過ごそうねっ。


平成23年10月2日          5年生存率達成日
平成23年10月2日          pepeちゃん結婚記念日