子宮頸がん体験記

癌だから笑顔で

広汎子宮全摘+骨盤内リンパ節郭清

私の手術名。なんて読むの?これ?先生の説明もパニくってる私にはさっぱり。
何言ってるの?私の子宮取っちゃうの?


広汎子宮全摘術   子宮とそれを支持する靭帯を含め広く切除し、両側の卵管、

骨盤内のリンパ節を切除。術後、排尿障害を起こすことがある。

子宮頸がんIb期に使われる手術。

この病名を聞いてもよくわからず、癌になった自分が信じられず、入院までの間はインターネットで病名を検索したり、本を読んだりと、いろいろ調べたけど、結局理解できないまま、手術が終わった。

医師に聞けばきちんと説明してくれたんだろうけど、聞くことも怖かったし、現実を聞きたくなかった。

でも、月日が経ってもやっぱり子宮がなくなったことが悲しくて、よく泣いてしまう。私の夢、子供と旦那と平凡な生活。これは、叶わない夢になったから。38歳独身、もう少し子供が産めるチャンスがあったかもしれない・・あと4年遅く発見されたら、子供を産んでいたかもしれない、そう考えて悲しくなる。

世間の人は向井亜紀さんのように代理出産があるって言う。それが現実的でない事を向井亜紀さんが証明している。実際に同じ経験をした人でないと気持ちは絶対にわからないという事を学んだ。でも落ち込んでばかりもいられない。前向きに頑張ろう。違う夢が見つかるかもしれないから・・そう思えるのは、同じ病室で出会った友達が出来たから。そして入院生活が思いのほか楽しかったから。

823日午前10:30 初診

地元の病院にて子宮癌検診。
生まれて初めての体験。二ヶ月前、付き合っている彼氏とSEXをしたとき出血した。2年ぐらいの付き合いで、あまりSEXが好きではない彼氏だったから、半年ぶりぐらいだった。彼が出血してるって言うから、久しぶりだったから子宮がびっくりしたのかも・・と軽く受け流した。彼は病院に行ってみたらと進めたが、次に又出血したら行ってみると答えた。そして一ヵ月後、又出血するか確かめようという事で、SEX。
またしても出血。やっぱり何処かおかしい?

そして、今日初めての診察。症状を話すと子宮癌検診をしましょうとの事。が、細胞を取る段階で出血。先生が「出血しますね。傷があるのかも。」と。診察台から足を下ろした時に下に落ちた血を見て貧血を起こしそうだった。

先生の説明は、3つの病名が考えられ、その一つに、可能性は少ないけど癌も考えられるとの事。焼いて済むだけだったら、少しの時間で、ここで済みますという事だった。まだ出血してるから、ガーゼをつめておきます。二時間後に出してください。と言われた。二時間後、ガーゼを外すと、すごい出血。しばらくナプキンを当てて横になっていたけど治まりそうも無い。

夕方6時過ぎ時間外、怖くなって病院に連絡、行っても良いと言われたので、再度病院へ。しばらく病室でガーゼを入れて様子を見たけど止まらず手術室で出血する場所を焼いてもらったら治まった。
検査結果は来週。私は、あまり悪く考えず、焼いたし、もう悪いところは無くなったはずという楽天的な考えだった。

8月30日  検査結果

職場から結果を聞くために、病院へ。受付を済ますと結構待たされ、検査結果もまだ届いてないらしく、至急FAXでと言う事を電話で話していた。それから診察室へ。届いたばかりのFAXの紙 
 「病理組織検査報告書」

頸癌・コンジローマの疑い

先生が思わしくないですねって。私はその紙を見て、もう涙が止まらなくて、その後先生の話をほとんど覚えていない

先生が、広島と徳山とどちらの病院が良いですか?紹介状を書きます。と。とりあえず都会の方が良い筈だと思い広島でと泣きながら答えた。(後で見せてもらったが、私の紹介状にも私がパニくってるので、ほとんど病気を理解していないとの事が書かれていた)が、だいたい自分が癌になるなんて思わないから、癌と言われても、その不幸をいきなり背負えないのが現実だと思う。

癌についての話を先生がしてくれていたけど、膣から悪いところだけを取る手術が多いらしいと言うことだった。広島の紹介する先生は、自分も良く知っている、とても良くしてくれる先生なのだそうだ。

さて今から大変だ。感情の起伏が激しい親に話さないといけない。

会社に戻って会社の人に話さないといけない。が、そんな事を考える力も無く、ただただ涙がずっと止まらなかった。少し前弟夫婦に博多旅行に誘われた。
体調が思わしくない事と、検査結果待ちという事だけを伝えていた。きっと何事もないと考えていたので、楽天的に話した。何も知らない弟も口にヘルペスが出来ていた私を見て、悪いところは口だと思っていたらしい。
結果が出たら知らせてと言っていたので、というか両親に言うのも勇気がいるので、その前に知らせようと少しの逃げ場を作った。

弟に電話。「私癌みたい。来週広島で検査」やっぱり泣ける・・弟が会社を休んで連れて行ってくれるらしい。兄弟って良いな。
その次に両親に。仕事に行ってると思ってる両親は、私が泣きながら電話すると話が理解できないらしく
会社で嫌なことがあったのかと何度も聞く。どうにかこうにか癌らしいと言う事を伝えると、そこからパニック。
まぁ、それはさておき、会社へ戻る。部屋に入ると泣き顔の私を見て、みんな心配顔。仕方ない言わないと、

「癌だった」

もうどうやったって涙が止まらない。
今日は朝から泣いてばっかり。

94日(月) 広島の病院初診

両親、弟と広島に出発。
10:30分の予約。朝9時過ぎには病院に着く。長い間、待合室で待った。大きい病院はすごい設備だなぁと感心したりした。やっと順番。
Y部長の診察。紹介状を見た後、診察台へ、何故かお尻にまで手を入れられ何の検査だと思いながら、イメージと違う先生だったなぁと、どんな先生を想像してたんだろう私。診察室で「前の病院で何と言われましたか?」と「思わしくないですね」と。
「そうですね、思わしくないです」

前の細胞診の結果で明らかに癌とわかってます。と。

それから、
先生が子宮全摘と。

ここから私の頭真っ白。涙さえも出ないぐらいすごい衝撃。話も全く言ってる意味さえもわからない。「今まで症状無かったですか?」無いよぉ・・・そんなに悪いの、私・・なんで全部取るの?

先生が絵を見ながら説明してる。後遺症の話もしてる。でも、全く頭に入らない。来週オペ前検査、詳しい事は看護婦さんが後でと・・待合所で母親が隣に座ってくる。どうしよう、言わないといけない。言えないよぉ。子宮無くなるなんて・・そんなの嫌だ。

母親大狂乱。もっと早くにわからなかったのか?と責める。わからなかった。何にもわからなかった。

看護婦さん、付き添いの方も一緒に聞かれたら良かったのにと。来週は、誰かと一緒に聞かれたら良いですよと。私が、話を全く理解しなかったからだろう。
とりあえず来週も弟が休んでくれるので、弟に一緒に話を聞いてもらうように頼んだ。

911日(月) オペ前検査

今日は私の38回目の誕生日。
ほんとならお祝いして嬉しいはずなのに、弟、両親と又しても広島へ。大阪に結婚して行っている姉も、弟が説明を聞くのでは詳しい事がわからないかもと、新幹線でやってきた。

最初に採血。その後レントゲン、心電図、肺機能検査、それから診察へ。姉弟と共に診察室へ。もう内診は無いみたいで、今日した検査についての結果と手術について。

私もいろいろ勉強したけど、姉弟はもっと勉強して、病気について詳しかった。
貧血の薬を処方してもらい、午後から手術のために貯血。
話を聞き終わって診察室を出ようとすると、姉と弟が「先に出てて」と、先生に聞きたい事があるらしい。私が戸惑ってると、先生が「本人に伝えてる以外のことは、別に伝える事は無いから。
70〜80%大丈夫」と。
初めて先生が笑った。
その笑いが私に何故か安堵を覚えさせた。難しい話の中で先生が微笑むと、あぁきっと大丈夫と思えた。

家族でお昼ご飯を食べた後、病院に戻り、貯血。量りの上に袋もどきを置いて私の血を取る。
200cc。
手術で大量に出血する可能性があるらしく、自己血がたくさんあったほうが良いと言う事だった。貧血気味の私には、この量が今日の限界らしい。内科の女のM先生が担当してくれたんだけど、若くてかっこいい。なんだかいい女って感じ。。
肺機能検査の先生も優しかったなぁ。普段優しさに飢えてる訳ではないけれど、やっぱり病気で落ち込んでる時の優しさは、すごくありがたい。その後、また待合所に戻り入院の説明。準備するものなど聞いて、個室か大部屋かでは、やっぱり術後すぐは個室の方がと言う事で、最初は個室希望にした。

帰る前に入院する階を歩いてみると、大部屋も広くて綺麗だったから、大部屋でも良かったかもと、少し後悔した。

入院するまで二週間。何をするでもなく、仕事の引継ぎ、病気についてネットで検索。家に営業に来ていた女の人が偶然にも同じ病気で同じ先生に診てもらっていたらしく、今は通院しながら、普通に職場復帰している姿を両親が見て、とても勇気が出たらしい。その人も個室だったそうだ。で、私にも個室を勧めた。そして二週間があっという間に月日が過ぎた。

927日(水) 入院

入院。
とうとう入院。

母親と一緒に高速バスに乗って出発。午後からMRIがあるかもと昼食抜き。つらい・・13時7階病棟へ。なにやら手に輪っかをはめられて囚人の気分。あぁ囚われた・・

ナースセンターで確認してもらうと、検査は明日で今日は何も無いという事。荷物だけ部屋に置かせて貰って10階でランチを食べた。
私の部屋は705号室。4人部屋。

個室が空かなかったらしい。空き次第替わらせてくれると言う事だ。広くて綺麗だからこのままで良い様な気もするけど、手術から一週間は個室に移りたいと伝えた。病室で待っていると看護婦さんが、いろんな場所の説明をしに来てくれる筈が、今日は忙しかったのだろう。結局誰も来なくて、勝手に歩いて回った。
その後、看護婦さんに別室で計画書を基に入院生活の流れのようなものを説明してもらった。

看護婦さんが
「大きい手術なので」と言う。

理解しているようでやっぱり全く理解できていない私は、大きい手術なんだぁ・・と少し落ち込む。この時まで
広汎子宮全摘術 読み方さえも理解していなかった。
膀胱体操がすごく大事。と言う。おしっこの出た量と飲んだ水分量を書いていくと言う。病気も内容も、やっぱり理解していない私は、言われるがまま素直に従った。
その後、主治医だと名乗る先生と研修医の先生2名病室に来る。これがみんな若い。そして挨拶される。

その後「じゃぁちょっと診させて貰いましょう」と。てっきり主治医はY部長だと信じていたので、この若いH先生、この先生にいきなり診させてと言われても、私の恥じらいはどうしてくれる!!
と抵抗感が・・・で、診察も終わり、病室に戻ると、たくさんの書類を持ったT研修医の先生。
いろんな説明を丁寧にしてくれて、そしてなんだか和み系。話していると気分が軽くなるような優しい話し方。書類にサインをしながら頑張らないとって思った。

928日(木) MRI

朝6時起床。いつもより45分も早い。
でも、昨日の夜早く寝て、疲れも無いからすんなり起きる。でもする事ないから退屈。今日の予定は4時のMRIだけ。何しようかなぁ・・この病院には、各階に本が置いてある。私は、マンが本から小説まで、いろんな本を読むのが好きなので、すごくありがたかった。

館内をうろうろしてみたり、本を借りに行ったりとしていたら、ナースセンターにいた研修医のT先生。「暇でしょう?外出してきて良いですよ」って。わぁーい。外出だ。街中なんて、滅多にというか、全く歩かないから、すごく久しぶり。お昼ぐらいまで散歩して病院に戻った。

1:30お風呂。想像してたお風呂と違ってすごく広くて気持ち良い。さっぱりしたぁ。で4時前に
MRIへ。テレビでしか見たことの無い初体験。若干閉所恐怖症の私は、狭いスペースに入れられるのが苦手。が、そこの女の人、気を使ってか、気を紛らわさせてくれるように、ずっと世間話。

MRIも新しくなって早い時間で済むようになったとか。実際経験してみると思ってたより緊張せず終了。「カーン、カーン」というすごい音がするって聞いていたけど、工事現場にいて工事の音を聞いている感じだった。さぁ、今日の私の仕事は終わり。今から退屈な時間。看護婦さんは、膀胱体操をしっかりと言う。これが後ですごく役に立つと。どんなに役に立つのか、全くわからないまま、まぁ、頑張ろう。

私が元気でいられるのもあと三日。

929日(金) CT検査

今日の仕事は朝10:00CT検査
MRIに比べると緊張してない。
造影剤を入れる為に病室で手に付けた。時間になって下りようとすると、何故か血が流れ出て、慌ててナースセンターで付け直してもらった。最初に注射を打ったが、これが想像してなかった注射なので、思いっきり痛かった。
「痛かったですか?」「痛いですぅ」その後は、造影剤を入れて、すべての人が体が熱くなるからと。確かに熱くなると言うより体が変。すごい違和感。

薬って怖い・・今日はこの後外泊が認められてて、その事伝えると、「気分が悪くなったらTELして救急へ」って。
えーっ、そんな症状出るの??怖い・・が、終わってから病室に戻って、T研修医に昨日と今日の結果を教えてもらって、他に転移は無いようなと。そうだったら良いな。気分も悪くない。

930日(土) 一時帰宅

今日は自宅。仕事が月末で忙しい日だから、働いた。
泣きながら頑張ってくると言って職場から帰って、まだ二日。変な感じ。仕事中もトイレに行っては尿の量を量り、飲物の量を量り。私の今からのスケジュールを説明し・・多分私の職場の人は、私の病気についてOPEからその後について、とても詳しいだろう。
今度こそ頑張ってくるからと、又しても泣きながら職場を後にした。

夜9:00下剤服用
おじが次の日車で乗せていこうと言ってくれたが母親が断る。私的には、いつ下剤が効いて来るかわからないのでバスでは行きたくなかったが、迷惑をかけると言って私の意見は聞き入れられなかった。

所々にして、つくづく思うことは、
病気は、ほんとになった人でないと、気持ちがわからないものなのだと。人に言ってほしくないのに、言ってしまう。自分から病気を言ってない人に「頑張って」とか、「大変ね」とか言って欲しくない。頑張ろうとしている自分が、「あなたは病気なの」と言い渡されてるようで嫌なのだ。が、ほんとにこの気持ちはわかってもらえないのであろう・・

101日(日) 麻酔の説明

下剤がいつ効いて来るか、すごくナーバスのままバスへ。幸いバスセンターにつく頃、お腹が、ぐるぐると・・やばい。病室まで急いで帰って、なんとか無事。良かった。しばらくすると看護士さん来て、一緒に診察室へ。

おへその掃除して、その後毛ぞり。おへその掃除は、ちょっと冷たくて気持ちが良い。まぁこんな機会でもないと、おへそなんて掃除しないだろう・・毛ぞりは、ジョリジョリって音と共に毛が無くなっていった。すごく変な姿。

でも、体を起こして「見てても良いですか?」って聞くと「良いですよ」って。この看護士さん、とっても若くて可愛い。新米さんかと思いきや、思ったよりも若くなかった。
私に比べたらとっても若いけど。でも、ほんとに可愛い。

で、その後、
膀胱に残っている尿のチェック。看護士さんってこんなことまでするんだぁと感心したりした。そして、また下剤の服用。

夕方遅く麻酔科の先生のお話。すべての人が手術前の麻酔が一番痛いと言う。私も一番の嫌なことは麻酔だった。麻酔科の先生O先生。これがまた優しそうな先生。「出来るだけ痛くないように指きりげんまんしてください」って言うと
指きりげんまんしながら約束してくれた

子供相手なら、指きりげんまんも可愛い行為かもしれないが、もういい年をした大人が頼んで快く相手をしてくれたO先生に感謝。麻酔についての説明書も穴があくぐらい何度も読んだ。

その後、
最後の食事。これが、メインがししゃも3匹。こんなのあり??耐えられない。母親に何か買ってきてと頼むと、手術前に変なものを食べない方が良いと。どうせ明日浣腸するから何食べても大丈夫と言うのに聞き入れてもらえず、前のベッドの患者さんが情けでバナナをくれた。このバナナ最高においしかった。

705号室、私の隣は、初期の子宮癌で、膣からレーザーで悪いところをやっつけるだけだったから2日で退院した。向かい側の二人は少し年配で、二人とも抗がん剤治療だった。私も検査結果によっては、放射線と抗がん剤が待ってる。

この部屋にいるのは、明日までに決まった。手術の後は個室。それも高い部屋。一泊6300円。げーっ、ビジネスホテルよりも高い・・大部屋も綺麗だからもったいないなぁ・・・が、私にとってラッキーなのは、病気になる一年前ぐらいに医療保険に入った。今まで全然入ってなかったのを、何故か入った。虫の知らせだろうか・・ということで、きっと保険で賄えるという安堵感が少しあった。

102日(月) 手術当日

あーぁ、とうとう手術日。
逃げ出したい。
こんなに元気なのに、今から寝たきりに何日かなるなんて・・

朝6:30浣腸。これも初体験。誰かがトイレに入ってしまったら、私が漏らしてしまうと不安を訴えると、周りの人に今からトイレ使用禁止と伝えてくれて、浣腸。少しは我慢してと言われたが、そんなの無理。ちょっとの時間で、トイレに駆け込んだ。

それから、みんなの朝ご飯を横目で羨ましく見ながら、
点滴。点滴の管は今からずっと使いますって、手に針がさせるものを付けたまま。便利なものがあるんだなぁと感心する。この装置、ベテラン看護士さんがつけてくれた。いつもは若い違う看護士さんが、針を刺すけど、失敗は二回までって言ったからか、今からずっと付けておくからか、ベテランさんだった。

母親が午前中に来る。それから姉も来た。父も弟も。大部屋でしゃべってると個室に移動させてくれた。やっぱり個室の方が周りを気にせずしゃべれる。というか事件発生。
部屋を移る前に母親が金庫の鍵を金庫の中に入れたまま閉めた。婦長さんに謝ったりと騒がしくしているところにH先生挨拶に来られる。「楽しそうですね」って。そう手術前はしんみりしているよりこれぐらいの方が良いかも。

13:00着で。

看護士さんが伝えに来た。弾性ストッキングをはく。そしてみんなで歩いて手術室へ向かう。なんだか変な感じ。手術室に入る前、母親が替わってあげたいと泣く。私も替わって貰いたい・・
嫌だよぉ、手術なんて・・
手術室に入って小さい狭いベッドに横になると、頭上から昨日の麻酔のO先生が話し掛ける。作業をするごとに説明してくれる。そして一番痛いはずの注射へ。んっ?痛くない。。良かったぁ、先生ありがとう!!O先生が痛かったですか?って、「
全然痛くなかった。先生ありがとう」って言うと、看護婦さんが「先生がすごく嬉しそうに笑ってる」って。こんな嬉しそうな顔は珍しいって。それから、「今から意識がなくなります」って。その通り、眠りについた。

「わかりますか?」

何度も聞こえる。あぁ、終わったんだぁ。でも吐きそう。頑張って声を出して吐きそうって伝えると、「吐いてください」って背中さすってくれる。でも出ない。吐き気止め打ちましたからって。母親の声が聞こえる。やっぱり最初に聞こえる声ってこれかぁって感じ。
その後はうつらうつらしたまま個室へ。みんながいる。私にとっては
5分で終わった手術。みんなにはすごく長かったらしい。
実際病室に帰ったのは8時前。前の手術が長引いて私の手術が遅く始まったみたいで、私の手術自体は
5時間という時間どおりだったそうだ。が、私は手術室で2時間余り麻酔でずっと眠っていたのだろうか??時間が遅いからみんなが帰って行く。一応手を振ったような気がする・・
それから次の日まで、何分おきだろう、看護士さんが入ってきては、血圧と体温を計る。そして声を掛けてくれる。看護士さんって大変だぁ。でもすごいなぁ、
白衣の天使ってこんな感じだ。ってすごく思った。

103日(火)手術2日目

朝から点滴3本、抗生剤2本。
時々痛みがある。足を動かしてみる。動くじゃん。看護士さんが体を拭いてくれる。この看護士さんのすごい手際の良さ。すみずみまで拭いてくれる。感動。気持ち良い。
705号室の時にも何度か話をした看護士さんだけど、私はこの看護士さんが好き。何故だかわからないけど。この看護士さんF看護士、私に「あなた明るいでしょ」と私は「明るいだけが取り柄です」と「私は根暗、根暗より明るい方が良い」と冗談のようで真面目な顔で言う。とってもあっさりした人だ。

お昼前姉ちゃんが来た。その時はピークに達するほどの痛みが。顔色も悪かったらしい。でも痛み止めが30分で効いてきた。薬ってやっぱりすごい。

火曜日は部長回診。そう私の最初の主治医であった筈の先生。この先生の声が穏やかで優しくて、そしてやっぱり外来の時に笑ってくれた事から、話せると安堵する。たくさんの人と病室に入ってきたとき、先生が入ってきた事が嬉しくって笑ったら、「手術の次の日に笑っていられるって言うのは、医学が進歩したんですね。」って笑ってた。先生が笑ってくれるとやっぱり安心する。

さて、横向きにも挑戦。出来るじゃん。ガスも出た。尿もちゃんと出てるらしい。術後からずっと尿に管が入っている。これを人には見られたくないから個室で良かったとすごく思う。今日も絶食。ガムは噛んで良いって計画書には書いてあったので、聞いてみるとまだ駄目だった。お腹は全然空かない。夜は、痛みが襲ってきて眠られない。
毎日座薬の生活。

痛みは我慢しない事。
すべての看護士さんがそう言ってくれた。そういう言葉って、すごく気持ちが楽になれる。そう、ここの看護士さんは、みんな優しい。普通は、一人ぐらいちょっと嫌な人がいるはずなのに・・

104日(水)手術3日目

点滴2本、抗生剤2本。
昨日より1本分少ない。今日から流動食。お腹は全然空いてないけど、早く良くなるために食べないと。ベッドを起こして座って食べる。痛み止めってすごいなぁ。座って食べられるんだもの。お昼前に母と姉ちゃんが来た。

お昼ご飯の後、便意を催した。でも計画書には排便は明日から。私って、速いペースかしら・・で、看護士さんに伝えると、「今日はベッドでしてください」って。そんなの嫌だ。自分で立ってトイレに行く。
点滴持って尿の管持って痛み止め首から下げて・・この姿人に見られたくない。個室で良かったぁ。予定より一日早く立つ事も出来た。でも、
頑張ったから発熱。やれやれ。氷枕でなんとか大丈夫。でもだから夜ご飯はもう食べたくない。
看護士さん夜の見回りで痛み止めの液が無くなってる事発見。背中の管を違う先生に抜いてもらった。

10月5日(木)手術4日目

点滴1本抗生剤2本。
今日で点滴終わり。嬉しいぃ。今日は、全粥。これが、なかなかおいしい。手術前日のシシャモに比べるとこっちの方が良い。そして今日はお腹に創を保護するテープを貼る日。透明なテープの下にホッチキスがいっぱい。なんじゃぁこれは・・

10月6日(金) 尿の管が外れる

今日は待ちに待った尿の管を抜く日。

術後で一番嫌だった事。そう尿に管が入っていた事。たまになんだか痛さを感じたりして、看護士さんに外して欲しいって頼んでも、外すと大変になるからって。もう違和感だらけで、すごく嫌だった。だから今日は幸せ。
その後のおしっこの訓練がつらくったって、なんて言われたって、頑張れる。朝9時完了。幸せ。

初めて部屋から出て歩いて診察室へ行った。歩くのも段々楽になってきた。点滴はもう終わってるけど、点滴をかけるものは、杖として借りてた。これがとっても便利。痛みが和らぐ。

10:00ぐらいに初めてシャワーを浴びる。気持ち良い。でも傷が気になって、あんまり丁寧に洗えない・・

今日の
尿チェック9:00、13:00、21:00、3:00。すごい夜中にも起きるんだぁ・・

今日は両親が来た。ちょうど部屋にいる時、研修医のM先生やってきた。そう9月いっぱいで癒し系T先生違う科に行ってしまった。手術後から全然来られないから寂しい。そして次の研修医の先生がM先生。今まで会った先生とちょっとタイプが違う。
が、個室で寂しい私の所に毎日結構いろんな話をして長居してくれるのだ。そして一応お腹を触っていく。腸が動いているかどうか。看護士さんも毎回触って行くんだけど、この時の会話は気になる。「動いてますね」だと安心だけど、「ちょっと弱い」と言われると不安になる。

そして、このM先生、私の両親に後1週間で退院出来ると伝えた。私は1ヶ月〜2ヶ月って聞いていたので、両親も大喜び。その後、看護士さんに確認したら有り得ないって。やっぱり有り得ないかぁ。

ご飯も今日から普通食になった。おしっこの検査は、ちゃんとトイレで頑張って済ませていくのに残尿がある。「気長に頑張りましょう」って看護士さん。まぁ、管が外れてくれただけで幸せだから頑張ろう。

107日(土)

今日の尿検査9:00、15:00、20:00、1:00。

がんばろ−っと。朝早くにM先生やってきた。退院の事、間違いだから両親に謝っておいてって。看護士さんに怒られたらしい・・

今日は、初めて母親が来ない日。いつもご飯を3分の一しか食べない私の残りを食べてもらってたので、一人で3食を食べるのは寂しい。
昨日便が出なかったから下剤を飲んでて、一日それが気になって仕方がない。部屋をうろうろするけどなかなか・・12:00やっと。一安心。ちょっと運動がてら廊下を歩く。痛みも余り無い。
でも、誰も来ないと個室は寂しい。今日の尿チェック。良い感じで最後の残尿が50ccを切ってる。これが続くと終了できる。

頑張るぞぉー。

で、尿チェックの時、F看護士、
外陰部に垢が溜まってるって・・きゃぁかっこわる。シャワー浴びてるのに。でも、お腹から下は怖いからほとんど触れられないんだよねぇ。そう言うと、きれいに洗っておいてあげるって。明日からは、ちゃんと丁寧に洗おう。下から手術したわけではないから、触っても全然平気らしい。言われてみるとその通りです。

10月8日(日)

今日も母親来ない日。今日の尿チェックも良い感じだけど、飲む水分量が少ないから、もっとたくさん取るように言われる。

朝の検温で微熱が・・氷枕をもらって寝るんだけど、異常に寒い。布団、人より多いのに。気が付けば
8度5分最低〜。

看護士さん、
膀胱炎かもって。とにかく水分とって尿をたくさん出すことだって。解熱剤でしばらくすると楽になった。体中汗だく・・
今日から目標水分量2000だって。普段1000ぐらいなのに、倍だぁ。病気治すために仕方ないけど2gって大変。

お昼過ぎ、お友達がお見舞いに来てくれた。熱も薬のお陰で下がって退屈だったので、すごくありがたかった。お花ももらった。部屋にお花があるって良い。

どうか膀胱炎になりませんように。明日は、抜鈎の日。祝日だけどH先生、居るのかな?って看護士さんに聞くと、他の先生でも出来るからって。
不思議なもので、最初は、若くて結構ナイスガイの先生に戸惑いを感じていたのに、他の先生がすると聞くと不安になる。主治医の先生と研修医の先生、毎朝お話に来てくれる。それが当たり前のことだって主治医のH先生が言ってたけど、毎朝来てくれて少しのお話して、これがH先生も和み系。話していると落ち着ける。やっぱりそうやって信頼関係って築いていくものなんだって、この時すごく思った。

私は、H先生をとっても信頼しきってる。最初に感じた抵抗も全くない。先生で良かったとさえ思ってしまう。お話してると、それだけ、穏やかな気持ちになれるのです。

10月9日(月)  抜こう 

朝6:50起きてシャワーを浴びる。
昨日熱が出て体を拭いただけだったから、気持ち良い。8:00朝ご飯。今日は、なんだか便意を催すのが早い。良い一日になりそう。

9:00尿検査。35ml残。今日で終了。

やったぁ。結構早い終了らしい。熱も下がったし。11:15、H先生、やってくる。良かったぁ。先生だぁ。抜鈎。
どこかに研修に行った帰りに来てくれたらしい。今から家に帰るそうだ。違う先生だったらどうしよう、怖いよぉって思ってたって言ったら、ちゃんと責任もって自分がするって言われた。話しながら処置をしたので、全く痛みを伴わず、あっという間に終わった。先生やっぱり和み系。

先生曰くきれいな傷跡らしいが、看護士さんは、曖昧にうなずいたから、実際は定かじゃない。今日はシャワーなし。良かった。朝1浴びてて。点滴の杖を持って散歩してると、「それに頼ると
猫背になるよ」ってF看護士が。即行でお返しして、自力で歩き始めた。しばらくして悪寒。あぁ〜まただぁ・・夕方何度も尿意が・・最悪。

膀胱炎かしら・・

1010日(日)

朝9時傷のガーゼ外した。

シャワーを浴びる。初めて自分の体の傷跡を見た。あ〜あぁ、温泉って行けない・・結構いい体してたのに。
傷物だ!!

10:15部長回診、一週間ぶりのY部長。やっぱり声を聞くとホッとする。足をいらって、
浮腫んでない事確認。
お昼ご飯の後、大部屋に移動。最初に居た部屋に逆戻り。このまま戻って家に帰りたい。が、私の部屋は705号室。
向かいの反対側に偶然にも両親の知り合いの娘Iさんが入院。筋腫の手術らしい。私の歩く姿に、「手術したのに、痛く無さそう」って。そりゃぁ猫背になりたくないもの。頑張って歩く練習もしました!

今日はH先生の診察。二回目となると、というか手術もしたし、抵抗感も感じなくなってしまった。

1011日(水)

大部屋ってトイレが気になる。
長く入ってると他の人に悪いなぁとか。で、ガスも思いっきり出来ないし・・まぁ、でもそれだけコストも違うんだから仕方ない。
朝トイレに入ってる間に、H先生来られる。出たらもう居なかった。今日は会えないんだぁ。寂しい。
その後M先生来られる。癒し系じゃない。時々意地悪言う。が、その分主治医が癒し系に思えるから、研修医の先生としては、主治医を盛り上げてくれてるから合格点!!

もう、する事も無くて部屋で任天堂のゲームしたりテレビ見たり。退屈。尿は順調だから、便の出が毎日気になる。看護士さんも毎日聞くし。朝は、思いっきり動いて腸を活発にするぞぉ。が今の目標。

10:40シャワーを浴びる。次の人呼びに行ったらシャワー無しの個室の人。外の見晴らし最高の部屋。良いなぁ。羨ましい。だって私の部屋は7階にもかかわらず外が工事中で、窓の向こうには、ぼんたんはいたお兄ちゃんたちがうろうろしてる。

最悪なのだ。

新しい人Oさんが向かい側に入ってきた。筋腫だそうだ。娘さんと一緒に入ってきて、背が高く、まぁ娘さんの綺麗だ事。声をかけずらいような雰囲気をかもし出し、どこかに出かけていった。筋腫は10日で退院。良いなぁ。私って段々長老になる。元気になってする事もなくなると看護士さんもあんまりかまってくれない。
当たり前だ・・が寂しい。
14:00過ぎ、南病棟の知合いの人の部屋に遊びに行く。ジュース呼ばれちゃった。

10月12日(木)

今日はちゃんとH先生来られる。昨日来てくれなかったと、苦情を訴えると、夕方行ったような気がしてたと言われてしまった。が、明日からは、ちゃんと毎日覗きますと。へへっ嬉しい。朝1、入院費の支払いに行く。だんだんと歩くのも早くなってきた。が、今日は排便が・・・17:00になっても出ない。水分足りなかったかなぁ??

出したい気持ちはいっぱいあるのに、力が出ない。これってすごくつらい。あ〜あ、今日は下剤をもらうしかないんだぁ。
そうそう向かいのベッドに来たOさん、娘さんが帰られたあと、自分の診療計画書持って、自分の病名を話しながら、これってどんな病気?と私に聞いてきた。

「チョコレートなんとかと筋腫」私、その響きだけでチョコレートが食べたくなったら、Iさんのお母さんが、持ってるチョコレートを分けてくれた。筋腫だけど子宮全摘、卵巣も取っちゃうらしい。もう子供さんも大きくなられてるので、別に良いって言ってた。

私にとっては、子宮がなくなるって死にたいぐらいだったけど、人に絶対に言いたくなかったけど、Oさんが自ら病気の名前とか話に来てくれた時、少しだけ気持ちが軽くなった。ここは、病気の人ばっかり。自分の病気を話したって、別に同情も無い。みんな同じ。病気は違っても、診察の結果を聞いたときの驚きや悲しみや不安、手術、共有してる。それが、なんだか心地良い。

10月13日(金)

今日は、H先生8:00前に来られる。昨日当直だったって。で、今日は手術。先生って大変だぁ。M先生は8:40いつもの時間。毎回栄養学について熱く語る。私は栄養学には余り興味がないのだけど、他の人たちは興味があるらしく、カーテン越しに聞き耳を立てているらしい。

昨日の
夜下剤を飲んだから、今日は出るはずなんだけど、早く出てすっきりしたい。
11:30お風呂に入って、それでも駄目。お昼過ぎに座薬だって。もう、ほんと今日は最悪。14:50座薬入れてもらう。15:00すっきり。あ〜すっきり。明日からまた頑張ろう!!

夕方M先生やってきた。病理の結果が出たって。詳しくはH先生からって。え〜気になる。でも、きっと大丈夫。H先生、きっと大丈夫って約束してくれてたもん。

10月14日(土)  病理結果

朝から腸が動いてるような・・が、昨日と一緒。出ない。出す力が無い。何度かトイレに行って、お尻のマッサージをしながら、泣きながら頑張った。頑張れた。今日は一日良い日だぁ。

お昼過ぎ外出の許可取ろうとナースセンターへ。あれっH先生が居る。病理の結果教えてくれた。

転移なし 良かったぁ。

今月末退院決定。やったぁ。二ヶ月の予定が一ヶ月だ。で、今日は外出じゃなくて外泊で良いんだって。月曜日まで自宅。二週間ぶりの自宅。
もう、涙が出てくる。嬉しいよぉ。

1017日(火)

昨日の夕方病院に戻って、8:00過ぎH先生来られる。

今日は、
9:00放射線科

9:30〜先生のお話。また新たな診療計画書をもらう。余り深く考えてなかった私。最悪。内診があるって聞いて、すごく嫌な気分。が、内診は無かった。
看護士さんが、いろいろ説明してくれる。
膣におっきなボールみたいなの入れる。そしてお尻にチューブみたいなものも。そして閉所恐怖症の私に個室で一人で治療を受けると説明。もう心臓がばくばくしてしたくない気分でいっぱい。
先生の話によると外国では手術をしなくて放射線だけで治すらしい。だったら私の子宮取らなくて良かったの?とこの時すごく強く思ったけど、今更だし、今はこの放射線がしたくないんだぁって逃げ出したかった。もう転移も無かったし、しなくて良いじゃん。
念のためにって言われたけど、なんだかなぁ・・
また前の日になったら下剤を飲む。嫌だなぁ。すごくブルー・・

ところで私が外泊している間に、新しい人が隣のベッドに入ってた。Nさん。カーテンがぴっちり閉まってて、どんな人かわからなかったけど、若い人で乳がんの手術らしい。火曜日が手術でご両親が心配そうにあたふたしてた。落ち着かないのか、部屋が何処かわからなくなって部屋の前で挙動不信に立ってたお父さん。手術が終わって、部屋の中でバタバタしてる間、外でお話しながら待ってた。
乳腺の先生は、何度もやってくる。この回数ぐらいH先生が私の所に来てくれたら、ううん、今ぐらいがちょうど良い。今日は、
突然の尿チェック。げげっ、大丈夫かな??40cc大丈夫だった。良かった。部長回診も無事済んで。ホット一息。

1018日(水)


8:00過ぎH先生来られる。その後M先生も。朝から便も出て良い感じ!(^^)!11:45会社の人がお見舞いに来てくれる
仕事が大変そうで、私のほうがよっぽど元気そう!!みんなでお昼ご飯食べて、それから喫茶でお茶して、それから見送りに1階に行くと、入院したときの研修医のT先生に出会った。久しぶりだぁ。嬉しい。退院のこと伝えると、それまでに会いにきてくれるそうだ。

それからは、病室の人とおしゃべり。みんな手術も終わって、元気なので
カーテンは全開。看護士さんが小さい声で一人一人に「お通じは出た?」と聞いてくれるんだけど、どうせカーテン閉まってても会話は聞いてるから、小さい声で聞いてくれなくても良いです。って。
全員一致の提案。
病気になった経緯とか、ここではみんなオープン。隣のNさんは,もう明日退院。乳腺は手術をしたら、後は通院になるらしい。で、主治医は欽ちゃんに似てるって言うけど、朝早く来るから見られないって。そこで、次の日の朝は、6時になったらカーテンを全開にして、欽ちゃんをみんなで見よう!って事に決定。
明日が楽しみ。


10月19日(木)

朝6時。さぁ欽ちゃんよ、やって来い。

が欽ちゃん来ない(>_<)カーテンはみんな全開なのに。一番最初に来たのは、看護士さん。「まぁどうしたの?仲が良いのね。この部屋は」って。それから乳腺の違う先生と研修医。入ってきてNさんのカーテンを閉めて何やらお話。
その次は、H先生。部屋の真ん中まで来て、異様な雰囲気に圧倒されて、「どうしたんですか、今日は?」って。Iさんの主治医は女の先生。「カーテン全開ですね」って笑ってた。で、次はOさんの先生。中に入ると一目散に脇目も振らずOさんの元まで進んで、声を少しかけて、すぐに出て行った。
そして、私の研修医M先生。戸を開けると異常な雰囲気から入りたくない意思を笑いながら伝え部屋に入ってこなかった。なんだか、すごく笑えた朝の始まりだった。

が、今日は
便が出ない。頑張らないと下剤に浣腸が待ってる。嫌だよぉ・・明日が怖いから緊張してるのかなぁ??
Nさんは午前中に退院して行った。気になる入院費も、請求書を見せてくれて、こんなもんなんだぁって思った。
お昼から、ちょっと変わった乳腺の人が入院してきた。違う病院で診てもらったら大丈夫だったのに、なんでも全摘出になるらしい。欽ちゃんが主治医だって聞いてたのに違う先生が来たことに文句を言う。私は2時に下剤を飲むことに・・夜、乳腺の人手術の同意書とか提出するものを看護士さんと話してる。が、無いものがあるらしく、いろいろな事を言ってる。ほんとちょっと変わってる。

10月20日(金)  放射線治療

朝9:00あと一時間で便が出なかったら浣腸だ。

9:30ちょっと出た。これで良いのか??嫌だよぉ・・
今日はIさん退院。みんな去っていく。私が長老になる。Oさんも明日退院。ほんとはもう少し後だったのに、「チャングム」が見たいから明日退院することに決定した。なんでも、先週テレビを見ていたら、消灯時間だからと少しの注意を受けたみたいだ(^_^;)が、病院は消灯時間が早すぎるぅ・・

9:45シャワーを浴びる。11:30体調最悪!もう
完璧な下痢。やっぱり緊張してるのかなぁ・・がんばれー!(^^)!
お昼ご飯を食べるとき昨日退院したNさんやってきた。今度ご飯行こうってことでメルアドの交換。さて、後は放射線を待つだけ。2時前、看護士さんに呼ばれた。やっぱり嫌だぁ。N看護士さん、手をつないで下まで降りてくれる。
病人は、大人であっても、病気の前では子供です
放射線科につくと、すぐに部屋にって。まだ心の準備が出来てないっていうか、体調最悪。またしても下痢を催した。
先にトイレに行かせてもらった。こんなんで治療出来るのかしら・・
それから部屋に入って看護士さんがお話して、服を着替えて、ベットに寝て、先生が入ってきてしゃべりながら膣に大きい器具を入れた。それからお尻にチューブみたいなもの。そしてレントゲンを撮って、それから6分ですって。中の様子は外から見てますからって。こんな格好見られたくないよぉ・・
静かな部屋で、婦人科の婦長さんは音楽が流れるって言ってたのに、そんな気配なし。
だったら戸が開いて先生入ってきた。どうしたんだろう??なにやら先生がチューブとか器具とかいらって、「はい、今からね」って。
今までは、なんだったんだよぉ・・不安。それから、一人っきり。すごい不安。泣きたい。辛い。
しばらくして、みんな入ってきた。終わったんだって。ふぇ〜ん、怖かった。でも終わり。よかったぁ。
あと一回。頑張ろう

夕方、知人が来てくれた。緊張がほぐれた。アイスを買ってもらって、Oさんと知人と3人で食べた。一安心(^^♪
それから、H先生が外泊していいって。看護士さんが、「もう少し早くわかってたらご主人さんと一緒に帰れたのに」って。はははっ。私にご主人さん出来ちゃった?知人を主人と思ったんだって。
外泊の準備してたら、明日退院のOさんと会うのが今日で最後って事に気がついて、メルアド交換。そしてOさんエレベーターまで送ってくれた。
Oさんが「今までありがと」って泣いてくれてる。お礼を言いたかったり泣きたかったりするのはこっちだよぉ。手術のすぐ後のOさんに冗談言って、お腹を何度か痛くさせてごめんなさい。でも、看護士さんに笑うことは、すごく良いことだって言われたよん。同室の人に、すごく救われた。

楽しかったぁ。


10月24日(火)


朝9:30病院到着。

部屋に入ると机にお手紙が。Oさんと娘さんから。もう泣けてくる。入院生活、幸せだ。それから部屋着に着替えて10:00部長回診。あぁ、今日で部長先生に会うの最後だぁ。寂しいなぁ。

だんだん退院近づいてくる。嬉しいかなぁ・・どうだろう?そう、私の隣の乳腺の人、とっても元気になってる。お見舞いの人がいっぱい。お乳を全摘って、人に言いたくないことなかったのかなぁって疑問を消し去るほどのお見舞いの人。

前側のベットには、また新しい人。癌になる前だって。明日オペ。すごい回転率の良い部屋だ。前側の隣のベットは違う部屋から移ってきてた。何度か入退院を繰り返しているらしい。

今日はT先生ほんとに来てくれた。お腹の傷、見なくて良いって言ったけど、見てもらって、「H先生は器用だから
きれいに縫えてる」ってほんとかなぁ・・

10月25日(水)

昨日下剤飲んだから今日は来るぞぉ。でも下剤は駄目。お尻が痛い・・助けて。

お昼、前側のベットの人旦那がなかなか来なくて手術室に行かれない。弾性ストッキングはいて待っててくださいって
あれって、なかなか一人ではけないんだよねぇ・・両足とも、はかせてあげた。そしたら看護士さんが迎えに来た。

その看護士さん、私のオペの日の夜、何度も見に来てくれた看護士さん。あの日から初めて今日会った。看護士さんに「あの時はありがとう」って言うと「元気になって良かった」って手術の後は、ほんとに大丈夫だろうかって思うぐらい顔色もすごく悪くて、体調も悪かったって言われた。へへっ、私元気になりました。

お昼からは、おじも来てくれたので外出。いろんなところ買い物行って靴買ってもらった(^^♪
夕方M先生やってくる。放射線したくないって言ったら「
自分のことだから」って冷たい!!いいもんいいもん


10月26日(木)


あと一日。明日退院。だったら放射線も頑張れる。今日はH先生から退院後のお話。なんでも普通で良いんだって。
よかったぁ。体も普通っぽくなったら良いな。先生とお話してたら、病気になったときのこととか思い出して泣けてきた。

あれからもう二ヶ月。早いなぁ・・M先生、最後の栄養学についてお話。考えてみると、M先生、よくいろんなお話してくれました。感謝です。

10月27日(金)  放射線治療

朝、H先生とM先生一緒に来る。お世話になりました。って伝える。今日はオペがあるから、もう会えないらしい。寂しいよぉ。お昼ご飯食べて一人で2時に放射線科へ。

で、服を着替えて待つんだけど、ちょうど患者さんが来たみたいで、しばらく看護士さんと二人っきり。世間話を聞いてくれて、気持ちを和ませてくれる。で、大分待った後、前回と同じ。前回と同じでもやっぱり嫌な物は嫌。今度は時間が長かった。でもこれで最後だから。頑張ろう。
終わった。終わった。
退院だ。精算しようとするとコンピューターが壊れて出来ないって。さぁ、家に帰ろう。

一ヶ月間お世話になりました。

H先生〜、ありがとうございました(*^_^*)先生が主治医で、ほんっとに、心が和みました。感謝です。
先生、大好き!! もちろん医師として(^_^;)

M研修医の先生〜ありがとうございました。毎日栄養学のお話、その他いろいろ・・北海道のお土産をもらうはずなのにもらってない・・いつ貰えるんだろう??


BYEBYE(^^)/~~~