バンボラ (2)

 

 

 

ひとりがいい。

ひとりのほうがこわくない。

暗くても寒くても平気。

お腹がすいてものどが渇いても、

この狭い部屋でがまんできる。

 

だから、来ないでほしい、あのひとは。

 

張り詰めた空気の中、息を潜めて耳を澄ます。

あのひとの靴音なんか聞こえない。

鍵穴に鍵が差し込まれた音なんて気のせい。

ゆっくりと、

闇を切り裂いて現れるシルエットはもう見たくない。

 

身を縮めて目を閉じる。

 

 

「『顔を上げて』」

 

あの声は…?

 

向こうとこちら、夢と現実が重なった。

 

「ハヤト、どうしたの?」

 

目の前にいるのは優しいじゅうだいめ。

夢の中にいるのは…?

 

「『泣いてるの?』」

 

また。

まさか。

そんなはず、ない。

 

額に触れるあたたかい手。

(力任せに頬を打つ手もあたたかかった…)

瞼に触れる唇の感触。

(肩や背中まで何箇所も噛まれた時に似て…)

 

 

まだここで酷い扱いを受けていた時、口付けの度に舌に噛み付いては殴られていた。

血の味がするそれを繰り返し、

でも他人の舌の侵入が嫌で頭を振って逃れては髪の毛を引っ張られ、また口を開かされ。

それをしたくないと泣いても頬を叩かれ重なってくる唇。

口の中をふたつの舌が動き回るなんて想像したこともなかったから、

生き物のように蠢くそれが気持ち悪くて追い出したくて歯を立てて、

いい加減に覚えなさいと気を失う程顔を叩かれた。

手加減なんて微塵も感じられない、大人の本気の力でねじ伏せられる。

当時、それが本来は恋人同士のするものだとは考えられなかった。

そしてそれに慣れる間もなく、

あの日、いつもの口付けをするように、

あのひとがじぶんのものに歯を立てた。

 

 

 

「…ハヤト?」

「お…俺、最初、ここで…じゅうだいめに…」

「…、思い出しちゃった?」

そう言いながら、いつもの柔らかい笑みは崩さず、

服の下に滑り込み敏感なところを弄るじゅうだいめの指。

「その後も、ここを出てからも何度も…、く…薬とか、飲まされて…色んなことされて…」

息が上がる。

下着の中で変化を始めたじぶんのモノをじゅうだいめの手がゆっくりと扱く。

「じゅうだいめを…優しいって…好きって…言いなさいって…」

自然な手の動きが着ているものを剥いでゆく。

脱がされた洋服を床に敷き、上向きに寝かされる。背中がひやりとした。

もう何も身に着けていない。

見上げると、このひとの視線は真っ直ぐじぶんの目を見ている。

あたたかい、オレンジ色にも見える瞳。大好きだった、この目。

…大好きだった、はずの…。

「結局、君はオレのお人形さんになってくれなかった。だけどオレも諦めが悪くてね」

おひさまみたいな笑顔なのに、氷のような声。

「あらゆる洗脳や過去の記憶のコントロールを君に試した。

身体は快感を覚えて慣れていくんだけど、心は自己を取り戻そうとするのかな。

どうしても醒めてしまうんだ」

 

普段ひとの目に晒されることのない秘所が、

じゅうだいめの手によって大きく広げられた脚の間で丸見えにされている。

恥ずかしいのに血の気が引いていて寒い。

 

「流されちゃった方が絶対に楽なのに、どうしてそれに逆流してくるかなあ?」

 

違う。

忘れたいのに。

じぶんだって辛かった時のことを思い出したくない。

 

「オレにされるの、嫌なんだよね?」

背筋がぞくりとした。

なんだろう、この言い方。

「このまま何もしないで見てるからさ、自分で、自分の手で触っていっちゃえば?」

 

ここで?

こんな格好で、じゅうだいめの目の前で?

 

「…できません…」

震えた声を抑え込むように

「するんだよ」

と。

それは命令。

「できないならお願いしてよ、オレの手を貸して下さいって」

「…いやです…」

 

間髪入れず頬を叩く音が響く。

 

「出来ないとか嫌だとか、もうオレの言うことはひとつも聞けない?

また初めから教育してあげようか?」

「いや…だ」

今度は反対側を叩かれた。

もう止まらない。

 

「いやだ…じゅうだいめなんか…大嫌い!」

 

絶対に言ってはいけないことがある。

それは、

今ここで口にしたことば。

 

前髪を強く掴まれ頭を持ち上げられて、そのまま勢いよく固い床に後頭部を打ち付けられる。

ゴツッという鈍い音。

もう一度。

もういちど…。

 

「ハヤト、自分で何を言ったか判る?」

「…だ…い…きらい…」

「そう、だね」

止まっていた手が再び頭を持ち上げる。だらりと弛緩したじぶんの手足。

「このお人形は完全に壊れてしまったようだ」

怒りを含んだ声。

だけど全然怖くない。あのときに比べたら。あの、最初の一週間に比べたら。

「…どうぞ…」

そしてこんどこそ、ほんとうに。

「もっと壊して…はやく、捨てて…下さい…」

 

 

待ち望んでいた自由。

ゆっくりと目を閉じると目尻から一粒だけ零れ落ちた雫。

もうきっと次の衝撃で終わり。

全てが。

だけど。

 

 

それは訪れなかった。

 

「壊れた頭の中身の入れ替えと、修理が必要だ。それで様子を見よう」

 

ここまできたのに。

 

「そんなに調教を受けるのが好き?いいけどね、するのは楽しいから。

大体、このオレから逃れようなんて許されないよ。

オレが決めるんだ、君の全てを。君を手放す日まで」

 

これでまた、次に目が覚めたら別のじぶんになっている、はず。

このひとを敬愛する、じぶんでない、自分に…。

 

「そのまま寝ていなよ、構わずさせてもらうから」

そうっと床に寝かされ、じゅうだいめの指がじぶんの口に突っ込まれた。

そこの僅かな湿り気を奪うとそれは下の口の周りに塗られ、そうして。

圧迫感で息ができなくなる。

「やっぱりもう少しぬめりが欲しいな。一度いかせて出したの塗ればよかった」

口ではそう言いながら押し込む力は緩められない。

狭いところを無理矢理広げながら最奥を目指す太いそれはゆっくりと挿入され、

その分苦しい時間も長引いて。

まだ入ってくるのかと、いっそ早く全部入ってと逆に求めてしまう混乱。

だけどこんなにおおきいものが、今度はここを出入りする。

奥を突く。

中を擦りながら、中に、出す。

「ん、ちょっと切れたけど、大丈夫だよね?動くよ」

こちらの返事なんて待たず、それは始められる。

気も失えないほどの激痛に襲われながら、ただ揺さぶられて。

「この感じ、本物の人形を抱いてるみたい。いいね、すごくいい」

悦んでいる。

この、抜け殻のような身体を悦ばれている。

 

 

あたまが痛い。

じゅうだいめを迎え入れるところも、こころも痛い。

どこもかしこも痛い。

 

「楽しいなあ、お人形遊びは」

 

この声は、誰の声だったのか。

もう。

 

 

わすれてしまった。

 

 

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※ bambola…意味はイタリア語で『人形』(20090712





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