瞳を閉じて見えるもの(4)
笑ってくれた。
自分の想いに応えてくれた。
好きと、言ってくれた。
ようやく通じたオレの想い。
可愛いハヤト。
大好きだ。
あの声が「じゅうだいめ」と、オレを呼ぶ。
仔猫のように澄んだ瞳がオレを見つめる。
頭を撫でる。
すると、笑う。
毎日抱きしめて眠る。
それだけで、満足。
満ち足りた気持ち。
幸せな日々。
手を伸ばせば触れられる、すぐそこにいる。
話をする。
キスをする。
本を読みながらうたた寝する君を抱き上げてベッドまで運ぶ。
オレの腕の中で、寝息を立てている。
安心しきった、力の抜けた身体。
もう逃げ出さないよね?
オレのこと、好きになってくれたんだもの。
可愛いオレのハヤト。
ゆっくり寝かせて額に口付ける。
「おやすみ。また明日」
ドアの閉まる音。
鍵の掛かる音は、しない。
あのひとの気配はない。
もうこのまま寝てしまおうかと思うほど緩やかな空気。
閉じた瞼から、でも涙が溢れ出す。
身体を丸めて声を出さずに泣く。
もう少し、あと少し、じぶんを信用させてから…。
焦りは禁物。
大丈夫、怖くない、今のままを続けていけば…。
「何を泣いているの?」
突然耳元にあのひとの声。
心臓が早鐘を打つ。
飛び起きたいのに、手足が動かない。
「どうしてそんなに悲しそうに泣くの?オレが気配を消した瞬間から」
そんな…今だってこのひとの気配なんて感じない。
「寂しがってる感じじゃないよね?むしろ、ホッとして緊張が解けたからに見えるんだけど?」
全身が震えだす。
「…図星?ねえ、返事は?」
声なんか出せない。
「ハヤト、オレが怖い?」
そっと上掛けをめくられる。
握った拳で顔を隠したまま固まったじぶんの頭を優しく撫でる、じゅうだいめの手。
多分これから放つことばひとつで終わりを告げる、今まで積み上げてきた物。
「やっぱり、そうだったんだね…」
唇が微かに動いただけの、短い答え。
「そうじゃないかと…思いたくはなかったけど、そうだったんだ…」
まだ声は静かで、口調も穏やかで。
「どうして嘘をついたの?どんなに時間がかかっても、
オレは君の気持ちが変わるまで待つつもりだったのに…」
…あなたは待てても、じぶんはもう限界だった。
「愉しい?オレに嘘ついて、オレが喜んでるのを見るのは」
だって、そう仕向けたのはあなただ…。
「オレは、悲しいよ。信じていた君に裏切られた気分で…」
ちがう…むしろあなたの気持ちに添うように…裏切ったのはじぶんのこころなのに…。
「ハヤト」
声のトーンが下がった。
お互い身動きひとつしていないのに、このひとから放出される目に見えない強い力が、
じぶんを押し潰す。圧迫感で息ができなくて苦しくなる。
「顔を見せて。オレを見て。そして正直に答えて」
拒むことは出来ない。
起き上がり、右手で一度、両目に溜まった涙を拭いて、顔を上げた。
「…欲しい?」
首を振る。
叩かれる。
「して欲しい?」
ギュッと目を閉じ歯を喰いしばる。
また、叩かれる。
「うそ。信じないよ。悦んで抱かれていたあれも嘘。
こんなにオレを拒んでいるのも、ねえ、嘘だよね?」
「いや!」
声を振り絞った。
「いやだ!しないで!こんなこと、いや!」
「嘘ばっかり。ああ、痛いのがいや?なら痛くないようにしてあげるよ」
「いや!いや!」
「オレは嘘なんて言わない。本当のことしか言わないよ、君と違って、ね」
ふわりと力強く抱きしめられ、そこから逃れようともがく。
そして叫んだ。
このひとが、最も聞きたくないだろうと思われることを。
怒りの沸点は簡単に限界を超し、じぶんの身体は柔らかくスプリングの効いたベッドではなく、
絨毯は敷かれているが硬い床に叩きつけられた。
大声で罵っている声は聞こえるが、その内容は理解できない。
先程までの静かな物言いの方が迫力があった。
今はただ、声だけ。
コロサレルノカナ?
ソウシテ、ジユウニナレルノカナ?
それでもいい。
ここにいたくない。
目を閉じると意識が落ちた。
感覚としては、
ここにいてもいなくなるじぶん、
か。
閉じられた瞼の下で、君は一体何の夢を見ている?
こちらに戻って来たくない程良い夢?
意識の底に沈んでいる今は幸せ?
…オレがいない、そこは。
オレはここにいる。
戻っておいで。
早く。
君が瞳を閉じて見えるものは、何だろう。
後で教えてもらおうね。
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※ (20111024)