シャボンのしごと

 

 

 

 

 

「グンマは冷たいな。」

総帥執務室での書類の整理中、ふと出たキンタローの言葉にシンタローが不思議そうな顔をする。

昼食後の一番ゆったりした時間。特にこの日は大きな仕事もなく、今出ている書類さえ片付けてしまえば他にする事もなかった。それゆえ珍しく考えが余所に飛んだのだろう。

「なんだ、お前らけんかでもしたのか?」

「そうではない、グンマに触れるといつも手や頬が冷たいんだ。」

グンマは元々体温があまり高くない。それでも部屋にはコンピューター等が多く置いてある為、室温を低めに設定している。ああいった機械類は熱に弱いのだ。そこに一日中篭っていれば、確かにそうなるかもしれない。

「俺に抱きついて気持ち良いと言うんだ。あったかいと。」

遠征から帰ると、キンタローはいつもすぐにグンマに会いに行く。お帰りと飛びつくその身体を抱きしめ包み込むと、熱く火照った身体をグンマが冷ましてくれ、自分の熱がグンマに移っていくような心地よさを感じていた。

「お前は単に毛布代わりかもな。」

シンタローがにやりと笑う。

「そうだな、本当に毛布でも買ってやるか。」

「冗談の通じねえ奴だな、あいつは大丈夫だって。ちょっと運動すれば血行も良くなるさ。」

「まあ確かに終わった後は汗もかいているようだし。」

…何が?とはあえて聞かないシンタローだった。

「それなら部屋を寒いくらいにしておいて『暖まる事をしよう』と誘えばどうだ?手が離せない仕事中でその気にならない時でも、この手を使えばグンマは来るんじゃねえか?こっそりじわじわ温度を下げてな。」

「ああ、なるほど。」

ぽんと手を叩いて納得するキンタロー。

「お前、こういったひねくれた事を考えるのは得意だな。早速これから試してみよう。」

「今から?」

「まさに今日はそういった状態なんだ。夕べも研究室に泊まり込みでな。」

それで今朝は少し不機嫌だったのかと思いつつ、昨日のキンタローの気持ちを考えると可笑しくなった。おとなしく我慢したのか、と。

「つっか、まだ勤務時間中なんだが?」

「ああ、時間給付けといてくれ。早退ではなく、時間給を。届けはきちんと出しておく。」

そそくさと辺りを整理するとあっという間に机の上がきれいになる。何でも思い立ったら即行動に移す奴だとあきれたが、それはシンタローにも当てはまることで、こんな時のキンタローには何を言っても無駄だと判っていた。

「そういえば、グンマとのキスはいつも甘いんだ。何故なんだろう?」

キンタローは思ったことはすぐに口に出す。判らないことを放っておけない性格らしい。

「そりゃ、あれだろ。あいつ何時も菓子食ってるもんな。。」

「なるほど。そういえばカバンの中は甘い物で一杯だった。」

あんな答えで納得したのかと、思わず椅子からずり落ちそうになった。こいつも面白い奴だ。

 

 

 

キンタローが出て行った後の部屋は静かだった。

最近個人の仕事部屋を与えたアラシヤマを想う。彼は人との接触が無いほうが仕事が捗ると思い(実際捗っていたらしい)、なおかついきなり部屋を訪れても他の部下に驚かれずにすむと、自分の中では一石二鳥だと自負していた。

「俺もやってられっか!」

自分だってアラシヤマに逢いたい。こんな風に思い立っていきなり行ける為に用意した部屋だ。それなら行ってやると意気込んで総帥室を後にした。

 

 

最近突然シンタローに『個室を使え』と与えられた部屋。アラシヤマは最初、特別に大事な任務があるのかと思った。他人に知られてはいけない秘密の任務が。しかし蓋を開けてみるとそれは単にシンタローの我儘で、何やかんやと理由を付けてはこの部屋に入り浸る。

「仕事になりまへんがな…。」

その時の事を思い出し、ふうとため息をつく。そして、何時中断されてもいい様に、手際よく効率的に目の前の仕事をやっつける術を身に付けた。かえってシンタローを喜ばせているとも知らず…。

「アラシヤマ!」

書類がひと山終わったまさにナイスタイミングでシンタローが顔を出す。今日はここまでかな、と密かに残りを見て思った。気のせいか首が痛い。

「何ですのん?」

わざとのんびりした口調で応じる。手に何も持っていないという事は、仕事関係で来た訳ではないのが明確だ。

「お前、寒いのは苦手か?」

「はあ?」

いきなり何の脈絡もない事を聞かれ、どう答えていいのか戸惑う。そんなアラシヤマの様子など気にも留めず、彼はいつもの俺様ぶりを発揮していた。

「いや、ちょっと温度を下げる実験をしてみたいんだ。付き合え。」

そう言うとエアコンのスイッチをいじり、設定を変えている。何のことやら判らずシンタローの動きを目で追う。

「ああ、でもお前火を扱うんだったな。駄目かな。」

ぶつぶつと呟きながら設定を終え、アラシヤマの方に向き直った。

「まあ少し座ってろ。」

とりあえず、すぐに何かされる事も無さそうなので視線を書類に落とした。

「あ、これ、出来上がった分どす。」

どさっとシンタローの目の前に積む。

「相変わらず早いな。すぐ次を持って来させるからな。」

「ええっ?」

「ここにあるだけと思うなよ。他にも仕事は山積みだ。」

のどかな会話。

それにしてもとシンタローは思う。戦闘要員のはずの者達が内勤を出来るようになるなんて、昔のガンマ団からは想像もつかなかった。これでも平和になってきているのだろうか。こうしてアラシヤマと2人で向かい合って座っていられるのだから。

 

「なんか、寒うなってきましたな。」

ようやく思う方向に話を持っていけそうな気配。アラシヤマの手を取ると、指の先まで冷たくなっていた。

「シンタローはん、手ぇぬくいですなあ。」

心にやましい気持ちがあるからだろうか。血圧も上がってきたようだ。

「あんさん体温高いですもんなあ、まるで子供みたいに。」

「子供…って。あのなあ、いつも最中に暑い暑い言ってんのは誰だよ。お前こそ暑がりじゃねえか。」

「なん…!今ここで言わはる事やないでっしゃろ!」

「まあまあ、他に聞いてる奴はいねえからよ。それより。」

ぐっ、と顔を近づける。

「暖まるコト、しねえ?」

「やっぱりそれが目的どすな。」

こんな時のシンタローには何を言っても聞く耳を持たない。やれやれとアラシヤマは立ち上がり、部屋に鍵を掛けた。

「もうちょっとこう、別の誘い方もありますやろ。」

「んじゃ、やろう。」

あまりにもストレートなシンタローに苦笑いをするしかない。

「よく笑うようになったよな、お前。最初の頃と大違いだ。」

 

 

初めて出会ったのはガンマ団士官学校の入学の日。シンタローにとって、ただ一人名前を教えてくれなかった気になる存在。

「一目惚れってあるんだなあ。」

あの日から、アラシヤマはシンタローにとって無くてはならない存在になった。

「ああもう、何でこんなに好きになっちまったんだろう。」

「わても、シンタローはんの子供っぽい所は好きどすえ。変に変わらんと、ずっとそんな感じでいておくれやす。」

珍しく笑顔で返され、シンタローの動きが止まった。いつもと何かが違う?

「おい、お前…。」

額に手を当てる。指先は冷たいのに、そこは妙に熱い。

「ちょっと待て!熱があるぞ!」

医務室に引っ張って行くと、すぐに絶対安静を言い渡された。

オーバーワークによる疲労。

身体を使う仕事と違い、デスクワークは心にストレスを溜めていたらしい。

 

 

「ほんっと、使えねえ奴。」

「誰が原因を作ったと思うて…!」

「はいはい、悪いのは俺だよな。判ったからさっさと治しやがれ。」

変に素直に謝られると気持ちが悪い。

「さすがに病人に手は出さねえよ。だけど長引いたら俺も我慢が効かなくなるからな。」

暗に早く治せと言っているようなものだった。

 

 

まったくもって、物事は思うように進まない。シンタローは医務室を後にすると、自分の執務室に引き返した。今頃、キンタローは上手くやっているのだろうか。

「つまんねーから仕事でもするか。」

後でさりげなくグンマの研究室に様子を見に行ってやろうと思いつつ、机に新たに積まれた書類に目を落とした。

 

                                        終


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