大切なひと

 

 

 

 

 

「っ…!」

グンマの手から滑り落ちるグラス。次の瞬間、それは甲高い音を立てて破片を床一面にばらまいた。

「大丈夫か、グンマ!」

慌てて立ち上がるキンタローに落ち着いた声で応える。

「怪我はないよ。まあ、中身全部飲んじゃっててよかったよ。もったいないもんね。」

「そういう問題ではないが…すぐに片付けさせよう。」

食堂の外で待機している使用人に声を掛けるキンタローを見ながら、グンマは小さな声でごちそうさまと言って席を立った。

「グンマ、またこんなに残して…!」

「いいの、お腹いっぱいになったんだもん。でもキンちゃんは残さずに食べてよ。僕、部屋で待ってるからね。」

久し振りに屋敷で揃っての食事。それなのに相変わらずグンマの食事の量は少ない。

「ほっとけ、あいつ子供みたいに菓子で腹がいっぱいなんだろ。」

シンタローはそう言い、

「グンちゃんは好き嫌いが多いからね。」

と、マジックもいつもこんな調子だと軽く流す。

「おっと、シンちゃん食後の一服は自分の部屋でね。ここは禁煙になったからね。」

まさに煙草を取り出そうとしていたタイミングでそれを禁止され、シンタローも勢いよく席を立った。

「健康に気をつけて戦場で死んじまうってのはごめんだぜ!」

「憎まれっ子が何とかという諺があるから、お前は長生きするに決まっている。」

「俺は皆から好かれてる!キンタロー、お前こそどうなんだ!」

2人のやりとりをマジックは笑いながら見つめていた。

「ははは、いつも仲がいいねえ、君達は。」

 

 

 

 

 

控えめなノックの後、静かに部屋に姿を見せたキンタロー。

「さっきはどうしたんだ?」

「ああ、グラスのこと?やっぱ割れにくい素材のものに変えた方がいいかなあ?」

「防弾ガラスとか?」

「強化ガラスでいいよ…って、そんな話をしに来たんじゃないよね?」

遠征から帰って、こうしてグンマと話すのは何週間ぶりだろうと考える。両手を伸ばし、その身体を包み込むように抱きしめると、グンマも無言でキンタローの背中に手を廻してきた。

『キンちゃん、おかえり!』と、以前のように、両手を広げて満面の笑みで抱きついて迎えてくれないのを少々不満に思っていたが、シンタローから『あんまり公衆の面前で恥ずかしいことをするな』と釘を刺されたと聞かされた。『風紀が乱れる』とも。

どの口がそんな事を言うかと思いきや、事の発端はどうもアラシヤマらしいということが判り、それならと一応納得した。

 

シンタローは、本人も気付いていないようだがアラシヤマの言う事だけは素直に聞いている。

対して、グンマは、誰の言う事も聞かない。

 

「食事だが、いつもああなのか?何なら食べるんだ?」

「ずっと前にキンちゃんの作ってくれたオムライスは美味しかったな。あ、でも今から作るなんて言わないでよ。また今度でいいよ。」

「グンマ!」

思わず出てしまった大声に、身体を離されるかと思った。グンマを抱きしめる腕に力が入る。

「キンちゃん。」

落ち着いたグンマの声はいつもと変わらない。

「知ってる?美味しいものを食べると、脳は喜ぶんだよ。満腹感って、幸せじゃん?だけどね、強いストレスがかかると、脳は食べることによって『ストレス』を『満腹で満足』にすり替えようとするんだ。だからよく食欲が増したりするっていうでしょ。でも趣味に没頭してたり、好きな人の事を考えてたりして、別方面で満足していれば食欲は落ちる。それはそれで脳は喜んでるんだよ。」

「…なに?」

「僕ね、ロボット造ってる時はよく平気で食事抜くよ。楽しい時間を他の事で中断したくないから。後は、キンちゃんがこうして目の前にいる時、嬉しくてお腹なんか空いてる暇ないよ。」

「それは違う。」

キンタローの低い声がグンマの耳元で響く。

「では俺の気持ちはどうなる?遠征から帰ってようやくお前の顔を見ながら食事が出来ると思っているのに早々に席を立たれて。美味い食事だけでは満足できない。あそこに、グンマという存在も必要だ。俺は、お前と一緒に食事をしたい。多分、他の皆もそう思っているはずだ。」

「一緒に…?」

しばしの沈黙。

「…僕だって、キンちゃんと一緒にいたいよ。大好きだもん。でね、おとーさまもシンちゃんも、皆好きだよ。」

「好きな人達とテーブルを囲めるという事がどれほど幸せか、判るな?」

大人になってから、グンマはずっとひとりで食事をしてきた。幼い頃は高松が傍にいてくれたが、テーブルマナーやメニューの栄養についての話が主で、それは決して楽しい時間ではなかった。

「今のこの状態がこれから先も続くとは限らない。だから…俺の言いたいことが判るか?」

「皆が一緒に過ごせる時間は限られてるってこと?」

「ああ。それにお前に好き嫌いが多いのはよく判った。だから、出される物が不満なら、自分が食べたい物を作ってもらえ。量が多いなら、最初から少なくしてもらえ。作る側も、残さず食べてくれる方がきっと嬉しい。」

「それって、子どもの食事の躾の仕方みたい。全部食べてごちそうさまが言えると嬉しいっていう…。」

「量の加減の方法はそうらしいな。」

「なんでキンちゃんがそんなの知ってるの?」

「グンマは子ども扱いされると怒るが、行動パターンは絶対子どもだからと、以前シンタローが言っていた。子どもに関する本を読んでおけとも。」

「なにそれ!」

ぷーと頬を膨らます顔が可愛いと思う。表情は豊かだ。そして感情がストレートで判りやすい。

本人は、身内以外には割とクールに接しているつもりでいるらしいが。

「食事で栄養を摂るのも大事だが、心も満たしてくれる楽しい時間にしたい。それにはお前が必要だ。」

「それは、キンちゃんにとって、僕って…?」

「必要不可欠という事だな。」

「ううん、何かこう、もっと柔らかく言えない?」

「…例えば?」

「いいよ!もう!好きだから一緒に居たいってそう言えばいいだけの事じゃん!」

キンタローからの甘い言葉を期待する方が無理だ。

「判ったよ、明日からそうするよ。」

「明日、朝食の後俺たちは発つぞ。さっき急遽決定したんだが。」

「ええっ!じゃ早起きしてお見送りしなきゃ。」

「今夜、夜更かしして起きられるか?」

「ちょっと…まっ…!」

グンマの視界がぐるりと反転した。軽い力でグンマをベッドに押し倒すと、キンタローは一度優しく口付ける。

「夜更かしどころか、徹夜かもな。」

「ね、出発の準備は?」

「もう済ませてきた。」

その抜かりない行動に、グンマは思わず吹き出した。

「あはははは…!キンちゃんらしいや。」

「そうして笑っていろ。お前の笑顔が俺の力になる。その笑顔を見るために、頑張れる。」

 

 

ガンマ団に来たばかりの頃、何も判らないキンタローにつきっきりで様々な事を教えてくれたグンマ。日常生活に必要な事から研究内容に至るまで、細かくひとつひとつを覚える度に

「良く出来たね」

「もう覚えたの?」

「すごいね!」

と、満面の笑みで褒めてくれた。どんな些細な事でも質問すれば返事をくれる。それが大きな間違いであっても。後に高松やシンタローが世の中の正しいことを教えてくれても、その時のグンマは純粋に、自分の思ったことを素直に伝えてくれていた。

しかし研究に対しては妥協を許さなかった。そこがグンマの凄い所だった。

 

 

「せっかく2人で飲もうと思って良いお酒用意してたのに。」

「酒は置いておける。次の帰還の時のお楽しみに取っておいてくれ。今夜はもっと極上のものを味わうからな。」

「…キンちゃん、そんな言い回し何処で覚えてきたの?」

笑うグンマに再びキスをする。

「好き。大好きだよ、キンちゃん。」

「ああ、ありがとう。」

「違う!そこでお礼言ってどうすんの!キンちゃんも好きって言ってよ。」

「…グンマ、好きだ。」

「僕なんか、キンちゃんのこと大好きだもんね、勝った!」

「…体力は、俺の勝ちだ…。」

「え…。」

 

 

 

 

 

負けず嫌いのグンマは翌日、意地で起きて朝食を共にすると、出発を見届けた直後から丸一日眠っていたと後日マジックから聞かされた。

好き嫌いは相変わらずだが、メニューを少し変えただけで皿は空になるようになったらしい。

 

 

早く、グンマの用意してくれていた酒を一緒に飲みたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ずっと前から書きかけで放っておいた物を発掘。

ちなみにグラスの件は知人との会話がもと。店員さんがグラスを落としても割れてないから私が「防弾ガラス?」と言ったら「強化ガラスか」とアッサリ返されてしまいました。そこで突っ込めよ、冗談のわからない奴だなと思った人でした。










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