行く道

  

 

 

 いつ発病したのかは判らない。しかし、それはゆっくりと、グンマの中で進行していった。

 

 

最初はグンマの物忘れがひどくなった位にしか思っていなかった。物をすぐに失くす。スケジュールを忘れる。今、何をしようとしていたのかと、ウロウロしているグンマをあまりにも頻繁に見るようになり、様子がおかしい事に気が付いた。

すぐに色々な検査を受けさせても異常は見つからなかった。だが。

 

「なんかね、前に進めなくなったって感じ…。」

それが、最後の言葉。グンマが、グンマであった最後の…。

 

このところ朝起きにくくなったと言っていたグンマを、キンタローは毎日部屋まで行って起こしていた。その日もいつもと変わりなくドアを開けた。

「起きろ、時間だ。」

「…?おはようございます。」

まだベッドの中にいて、上半身を起こしてぼんやりしていた。そのどこか、何かが違った。

「グンマ…か?」

思わず声をかける。

「…誰?」

一瞬、何を言っているのか判らなかった。

「寝ぼけているのか?俺はキンタローだ。」

「…?」

きょとんとした顔でじっとこちらを見る。

「グンマ、ふざけていないで起きろ。今日も忙しいんだ。」

「何が?」

おかしい、会話がかみあわない。

「おい、まさか!」

グンマの部屋から内線で高松に連絡を入れた。レベルは、緊急。

 

そして判ったのは、最悪な結果。

 

「原因は不明です。ただ、はっきりしているのはグンマ様の中ではこれ以上年を取らないという事です。新しい記憶から、順に消えてゆくのです。」

高松の言葉に耳を疑った。

「それでも時にはふと思い出すのでしょうが、それは一時的なもの。子供が日に日に言葉を覚えていくのとは反対に、日に日に記憶を失くしていくのです。それと共に筋力も衰え、最終的には…。心臓も筋肉ですから。」

「何か、治る方法はないのか?」

「残念ながらありません。」

きっぱりと、言い切った。

「これからの一日一日はとても大事です。研究室に籠って治療方法を探すより、グンマ様と一緒に過ごされる方を、私なら選びます。」

今この部屋にグンマは居ない。本人を目の前にして話せる事ではなかった。

「思い出作りは諦めてください。同じ日が続くだけでも、グンマ様にとっては新鮮な毎日です。」

それを聞いて込み上げるものがあった。ぽたりと涙が落ちる。

「あ…?」

気が付かないうちに泣いていたのか?一度下を向き、顔を上げると高松と目が合った。

「私も信じたくありません。よりによって、何故グンマ様が…。」

様々な事があったにしても、わが子のように育ててきたグンマだ。もしかすると一番辛いのはこの男かもしれないとふと思った。

 

「グンマの奴、また寝ちまった。」

先に結果を知らされていたシンタローが戻ってきた。

「うじうじするな。こうなったもんは仕方ねえだろ。俺達で出来るだけのことをグンマにしてやろうぜ。」

そうなのだ、そうするより他に、本当に何もできなかった。

 

 

 

「イトコ?」

「そうだ、オマエのイトコのキンタローだ。」

目を覚ましたところに再び訪れ、ゆっくりと記憶を探る。

「ふうん、長くて呼びにくいからキンちゃんでいい?」

結局キンちゃんか、そう思って可笑しくなった。中身はグンマなのだからそう来るだろうとは思っていたが。

「…グンマ?」

「なに?」

笑顔で返事をするその様子は、以前となんら変わりがない。まず抜け落ちた記憶が自分だった事に、実はかなりショックを受けた。つまりは、グンマとした、色々な事も…。

「なんだよ〜、なんか言いかけたでしょ?」

今、求めれば応じてくれるのだろうか。

「キスしたい。」

「え?」

元々大きな目が、さらにびっくりしたように見開かれる。あまり刺激してはいけないと高松に注意されてきたのだが、確かめたいことはたくさんある。

「本当に忘れてしまったのか?」

「忘れる?何を?」

グンマにとっては、今が全てなのだ。ゆっくりと近寄り、優しく抱き締める。

「俺たちは、いつも、こうしていた。」

いつもなら、こうすればグンマの方も背中に手を廻し、そのまま口付けをしていた。しかし自分の腕に包まれているグンマは、戸惑う様子を隠せない。

「…あの、ごめん、ぼく…。」

明らかに拒絶の態度。

「は…なして…。」

声が震えていた。怖がっているのか?俺を?

「キンちゃんて、ぼくのお父さんに似てるなって…。高松から見せてもらった写真の…。だけど、こんな事は…。」

まだルーザーを本当の父親と思っていた頃の、そしてしっかりと残っている高松の記憶。

 

グンマに残らないのであれば、自分に残そう、この感触を。そんな想いが頭をかすめた。

 

「やっ!な、なに?」

そのままいきなりベッドに押し倒し、のしかかる。体重をかけるともう押し退けられない。それだけの体格差があっても、グンマは自分の身体の下でもがいていた。

「やだよ、こんな…!」

「オマエのそんな声を聞くのは初めてだな。」

「嫌だ…!誰か、来て!」

外に助けを求めた。それが自分の中で何かを吹っ切れさせた。

身体を起こし馬乗りになると、平手でグンマの頬を打つ。何度も、何度も。最初は両腕でガードしていたが、それを解き、自分の脚で押さえつけると、もうグンマに抗う術はなかった。

再び殴られ、唇を切り血が飛ぶ。歯を喰いしばって耐えなければ、次には舌を噛みそうな勢い。声も上げられず、そのままグンマは気を失った。

服を脱がせながら、呟く。

「グンマ、…好きだ…。」

それはグンマの耳には届かなかった。

 

 





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