|
4 どれくらいの時間が経ったのだろうか。気が付くと、いつもは居ない筈の男の姿が目に映った。ベッドの端に腰掛け、ゆっくり、優しく髪を撫でられている。これまでこんなことは一度としてなかったのに。 「ん…。」 身じろぎをすると男の手が止まった。 「目が覚めましたか?」 まだ何かされるのだろうかと身を硬くする様子を見て、男は立ち上がった。そして思いがけない事を言った。 「いつまでも、その可愛い寝顔を見ていたかったんですけどね…。」 それだけ言うと、そのまま足早に振り返りもせず部屋を後にする。 どういう意味? 一瞬考えたが、自分は行為の後そのまま眠っていたことを思い出した。あちこち痛む身体が重い。バスルームまでの距離がとても遠く感じられる。 この頃はそうでもなくなったが、初めのうちはシャワーの度に泣いていた。涙と共に忌まわしい行為の痕跡が流されていくことを願うかのように。 しかし今ではそんな感情もなくなった。 その代わり、体力が落ちた。シャワーを浴び、服を着てベッドに戻るともう動けない。食事の量も少なくなってきている。それさえもやっとの思いで食べ切ると、以前のように脱出口を探して部屋の中を歩き回ることもなく再び眠りに落ちる。その繰り返し。 記憶を取り戻せなかったらどうなるのだろう?このままずっと、ここでこんな事が続くのだろうか? ぼんやりとそんな事を考えながら、喉の渇きを覚え、いつものようにコーヒーに手を伸ばす。 だが。 今日に限って欲しくない。何も食べたくない。伸ばした手を引っ込め、食事には手を付けずにベッドにもぐりこむ。 この部屋で、初めて寒さを感じた。震えながら手足を丸め、小さくなって眠りについた。 「何故!?」 男の驚いた声で目が覚めた。酷く体が熱い。 「食事、摂らなかったんですか?どうして?」 声が出ない、起き上がれない。そんな様子に男が気付き額に手が当てられた。 「すごい熱…このせいで…。」 心配そうな声。しかし続く言葉に耳を疑った。 「可哀想に、私の見ていないところで逝かせてあげようと思ったのに…。」 はっとして飛び起きようとしたが遅かった。 「…っ…!」 いきなり首を絞められた。 喉に喰い込む手に爪を立てるが力は緩められない。 「…毒を…入れました。貴方を…殺そうと…。」 見上げると男は悲しそうな顔をしている。 「あれを口にしていれば、私が直接手を下さずに済んだのに。」 本当に殺されるのかと思った。 しかし、不意に男は手を緩め力を抜く。 「どうしてこんな時には勘が鋭いんだ、貴方という人は…。」 何故か、男の目に涙が浮かんでいた。 咳き込みながらゆっくりと身体を起こし、そっと男の頬を両手で包み込む。 「泣かないで、高松。」 男の目が見開かれる。 「声が…それに、思い出したんですか?…グンマ様。」 グンマ?…自分の、名前…? 「ごめんなさい…ごめんなさい…、許してください…グンマ様。」 高松は、グンマを抱きしめて泣く。どうしていいのか判らない。頭が混乱していた。 「高松、お父様は?」 何のこと?自分の口から出た言葉に自分が驚く。 ゆるゆると記憶の水が脳内に流れ込んで来る感じ。 「私が…殺しました。」 「やっぱり。だから僕も殺すんだね?僕が生きてると、いつか思い出して復讐すると…そう思ったの?」 「貴方はお父上をかばって大怪我をされ、記憶をなくしました。周りには、身体の傷は癒えても意識は戻らないということにして隔離し、貴方には何も知らせずこの空間で私だけと生活をしようと…。しかし貴方への募る想いは止められなかった。初めて抱いた時に、貴方は死のうとしました。だから自分で死なないように、…そしてどうせなら私のこの手で何も知らないうちにと…そう思ったのです。」 必死だったのだろう。自分に他の事を考えさせないように、記憶を取り戻させないように…。だからあんな真似を…。 「何も、無くなったの?誰も居ないの?」 「ここには居ません。ここはガンマ団の敷地内ではありませんから。」 「僕は、どうすればいい?」 「貴方はまだ治療中ということになっています。一緒に戻りますか?皆の所に。」 ぼうっとした頭で高松の声を聞く。他の皆とは、誰だったろう。まだ霞がかかったように記憶が曖昧だ。 「…寒い…。」 身に付けているのは薄い服一枚。それに気付いて高松が立ち上がる。 「薬を、お持ちします。」 「待って!…く、薬は、嫌だ。」 「グンマ様、もうこうなれば毒などは飲ませませんよ。」 少し笑顔が出た高松は、そのまま部屋から出て行った。 ひとり残された室内で、ゆっくりベッドに横になる。目を閉じると、おぼろげながら様々な思い出が浮かんでは消えてゆく。 扉の開く音。 高松が何か言っている。 もういいよ。少し眠らせて。 数日後。 グンマの復帰は、最初ごく一部の者にだけ知らされた。まだ本調子ではないので、暫くは身の回りの整理をして欠けている記憶を取り戻そうということになったのだ。 「時々とんちんかんな事を言われますが、一時的な記憶の混乱ですのでそのまま流しておいて下さい。」 高松はそう言うが、他の者は本当にそう思うのだろうか? 新総帥のシンタローは忙しく飛び回っているし、弟のコタローはまだ眠り続けている。マジックの姿が無いだけの、今まで通りの生活。 そんな中、グンマは自分の居場所を求めて彷徨う。そして。 「俺はお前のイトコに当たるキンタローだ。」 背の高い、一見恐そうな人物と対面する。 「イトコ?」 「今まで一緒に生活してきた訳ではありませんから、急に思い出せというのも無理でしょう。」 高松は言った。 「色々とあったんですよ。パプワ島では。どうしてコタロー様が眠り続けているのか、その後でマジック様の事で私が何をしたのか、おいおいお話します。」 最後の方は小声で。 そういえば、どうしてそんな事になったのか、大体その件で高松を責める者が誰もいないというのも不思議な話だった。 皆はどこまで知っているのだろうか? 「大変だったんですよ、裏であちこちに手を回したり、邪魔な人を消していったり…。」 「え?」 「いえ、何でもありませんよ。」 こちらを向きにっこりと微笑む高松の目は笑っていなかった。 「キンタロー様、グンマ様にこれまでの事についてのご説明をお願いしてもよろしいですか?」 「ああ。」 短い返事をすると、キンタローは先に立って歩き出す。 慌ててその後について行き、ふともう一度高松に視線を戻す。すると、彼は人差し指を1本立て、ゆっくり口元に持っていく。 『ヒミツに。』 そう言っているようだった。何故か判らないがぞっとした。 「早く来い。」 キンタローが呼んでいる。 「うん、高松、また後でね。」 そう言うのが精一杯。 もう、振り返れなかった。 |