グンマが帰って来た。

怪我は殆んど治っているそうだが、高松によると一時期記憶を失くしていたらしい。まだ時々混乱するらしいので、そんな時は軽くフォローしてくれとのことだった。

パプワ島で数回会話を交わしただけで、まだお互いの事を殆んど知らない、そんな関係のグンマ。

「俺は、キンタローだ。」

きょとんとする大きな瞳に見上げられ、自分の事はどれだけ覚えられていたのだろうと考える。

そして高松に促され、グンマを連れて以前の発明品の説明や開発課の案内をするが、本来これは高松がするべき事ではないかとふと思う。

「なんか、思い出したような気はするんだけど…よく判んないや。」

いまひとつピンとこないようだ。

「療養中は、何をしていた?」

今度はこちらから質問してみる。

「あ…それは…。」

何故か口ごもる。

「そうだね、そのうち…ね…。」

心なしか、青ざめたような横顔。

「ねえ、前の僕って、どんな風だったんだろう?」

不安なのだろう、自分で自分の事が判らないというのは。せめてここにシンタローでも居れば、もっと昔の話でもできたのだろうが。

「そうだな、高松が傍にべったり付いて世話をして、ワガママで自分勝手で随分と周りを困らせていたらしい。」

「へえ、高松が…。」

不思議そうに首を少し傾ける。少し躊躇して、言葉を選ぶようにして小さな声で言った。

「なんかね、ちょっと怖いんだけど…高松って…。」

「お前、本当にグンマなのか?」

以前、あれ程無理難題を高松に突き付けていたグンマと同一人物とは思えない。

「多分、そうと思う。だけどね、ここに来る前の事も、何となくしか覚えていないのはどうしてだろう?記憶を失くしていた間の記憶って、何処に行ったんだろう?」

だんだん混乱してきたようだ。

「少し休もう。コーヒーでも飲もうか。」

言いながら開発課の奥にある以前グンマが使っていたという私室に入ると、後から付いて来ていたグンマの様子が不意に変わった。

「コーヒー?」

足が止まり、頭を抱えて座り込む。まるで何かに怯えているかのように。

「大丈夫か?高松を呼んで来ようか?」

「いやだ!」

グンマが叫んだ。

手で顔を覆っているが、指の間から僅かに見える表情は尋常ではない。

「大丈夫…すぐ落ち着くから…ホント、大丈夫…。」

「お前、何か思い出したのか?」

「判らない…でも、コーヒーには毒が入っていたから…。」

「何だって?」

「ごめん…もう大丈夫だから…。」

一体何があったというのだろう?この様子は只事でない。

ゆっくりと立ち上がって、膝に手を付いた格好で呼吸を整えているグンマ。後ろでひとつに結ばれた長い髪が乱れてその横顔を隠している。

シンタローも長髪だが、あれとは違う柔らかそうな金髪に思わず手を伸ばして触りたくなった。

しかし指先が触れる直前、グンマは崩れるように床に手を付き顔を上げた。

「いやだ…来るな…。」

その目は自分ではない誰かを見ていた。

「グンマ?おい、どうした…。」

「もう、やめろ!」

誰に対して言っているのだろう。だがそんな事より、今のこの状態をどうにかせねば。

思い切って近付き、強く抱きしめる。グンマの両腕は力なく垂れ下がったまま。

「あのコーヒーを飲んでいたら、僕は。」

うわ言のように呟く。

「殺さないって…言ったのに…。」

身体が震えだした。完全に自分を見失っている。

「落ち着け、大丈夫だ。」

そう言うしかない。

泣き出したグンマはキンタローの胸に顔を埋め、暫くの間涙を流し続けた。

どれほどの時間そうしていただろうか。

「あれ?僕、なんで泣いて…?」

先程とは違った落ち着いた声。身体を離し、問う。

「覚えていないのか?」

「え?何を?大体何でここにいるの?」

先程までのパニックは何だったのだ。それにしても、毒…とは?

「まあいい、気にするな。ただ、お前が少し混乱しているようだったので俺の方が驚いた。そしてここは以前使っていた部屋らしい。」

「ふうん、狭いね。」

ごく自然に涙を拭き、立ち上がって辺りを見回す。さっきまでの事はやはり覚えていないようだ。

しかしきちんと確かめておきたい。

「え、毒?僕そんな事言った?」

「お前のその甲高い声で泣かれてはこちらも困る。…思い出せないのか?」

「コーヒー、毒…。何だろう?」

「誰かに毒を盛られたのだろうが、判らないのか?」

「うん、何かの拍子に記憶の切り替えのスイッチが入るみたいだ。それに…。」

一度、言葉を切って澄んだ青い瞳をまっすぐこちらに向ける。出会ったばかりの頃は、笑ったり怒ったり泣いたりと、くるくる表情を変える奴だと思ったものだ。しかしこんなに不安そうな顔は見たことが無い。

「だんだん、忘れていってるみたい。それは、思い出したくない事なのかな?」

「今急いで思い出さなくてもいい。体調もまだ万全ではないのだし。大体、パプワ島で見た時よりも痩せたのではないか?」

「そお?」

自分で頬を引っ張ってみせる。乱れていた髪の毛がさらさら揺れていた。

「ああ、髪切っちゃおうかな。キンちゃんみたいに短く。」

「キンちゃんなのか、俺は。」

「うん、シンちゃんにキンちゃん。いい感じじゃん。」

笑うグンマ。ようやく笑顔が戻ってきた。今日のところはそのまま部屋に帰って休むという。確かにその方がいいだろう。

「じゃあね、キンちゃん。」

手を振って出て行く姿を見ながら、さてこの後はどうしたものかと考える。本来は高松に相談すべきなのだろうが、先程グンマが言った言葉が気になる。

何故、高松が怖い?

多分一番心配しているのは彼のはずなのに。それを自分が言ってしまって良いものだろうか?

とりあえず、明日からは出来るだけグンマと一緒に居ようと決めた。他の者にあの取り乱した姿は見せられない。

特に、高松には。

 

 

 




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