更新日 1990年(平成2年)6月19日〜2023年(令和5年9月29日)
※ 私なりの解釈なので、あくまでも参考までに。
※ 突然の解説変更ございます。
下す可き病脉證併せて治を辨ず・第二十一
下すべき病の脈状と証候ならびに、
それに対する治方を詳しく述べたもの・第二十一
(1)大法として秋は下すに宜し。
原則として秋時は陽気が外から内に入り上から下に下りる時である。だから法と一致すれば、
下して下痢が多くなったとしても害は少ないのである。
(2)凡そ下藥を服さんに湯を用ゆれば丸に勝る病に中らば即ち止む。必ずしも劑を盡くさ不る也。
大体下す時に大承気湯や小承気湯の湯薬を用いれば丸薬の様に効き目が遅くなることはなく、
薬が病に適中すれば直ぐに止むのである。一回で効果が出れば必ずしも残りの湯薬を服用する必要はない。
(3)下利三部の脉皆平にして之を按ずるに心下カタ(革+更)き者は急に之を下せ。大承氣湯に宜し。
下痢していて三部の脈(寸・関・尺)はどれも平で、みぞおちの辺りを手で押してみると堅くなっている者は、
急いで下してやりなさい。それには大承気湯がよい。
(4)下利脉遲而滑なる者は内實也。利は未だ止むを欲せず當に之を下すべし。大承氣湯に宜し。
下痢していて脈が遅で滑の者は内が実している(食べた物が詰まっている)のである。
下痢は未だ止もうとしていないから当然これを下してやりなさい。それには大承気湯がよい。
(5)問ふて曰く人病みて宿食有るは何を以て之を別たん。
お伺いします。人が病んだ場合宿食(宿っている食物)が有るというのはどうして判るのですか。
師の曰く、寸口の脉浮而大、之を按ずれば反って澁、尺中も亦微而澁、故に宿食有るを知る。
師匠が答える、寸口が浮で大の脈を少し押してみると浮大に似合わず渋であり、
尺中も微であるがこれも少し押してみると渋になる。これで宿食が有ることが判るのである。
當に之を下す可し。大承氣湯に宜し。
そういう場合は当然下してやりなさい。それには大承気湯がよい。
(6)下利食を欲せ不る者は宿食有るを以ての故也。
下痢をしているのに食欲が出ない者は宿食が有るからである。この場合、食べた物が消化せず内に熱が生じて、
腸内の水が激しくなり下痢を起こさせているのだから、
當に之を下すに大承氣湯を與うるが宜しかるべし。
当然これを下してやればよい。それには大承気湯を与えてやりなさい。
(7)下利差えて後、其の年月日に至り復た發する者は病盡き不るを以ての故也。當に之を下すべし。大承氣湯に宜し。
下痢が癒えた後に、その病んだ年や月や日になるとまた再発するのは、以前からの病が完治していないのである。
当然これを下してやりなさい。それには大承気湯がよい。
(8)下利脉反って滑なるは當に去らんとする所有るべし。之を下せば乃ち愈ゆ。大承氣湯に宜し。
下痢していて脈が渋ではなく反って滑の者は、自然に下痢が去ろうとしているのだからこれを下してやれば
その下しに因って病は去って治るのである。これには大承気湯がよい。
(9)病腹中滿痛する者は此れを實と爲す也。當に之を下すべし。大承氣湯に宜し。
諸々の病を病んでいる場合に腹中が満って痛む者は、これは内実(食べた物が一杯に詰まっている状態)である。
当然これを下してやりなさい。それには大承気湯がよい。
(10)傷寒の後脉沈、沈なる者は内實也。下して之を解せ。大柴胡湯に宜し。
傷寒を患った後に表が解けず裏に熱が入り込み(病陽に在って陰には無い)脈が沈になった者は内実である。
これを下して解いてやりなさい。それには大柴胡湯がよい。
(11)脉雙弦而遲なる者は必ず心下カタ(革+更)く、脉大而緊なる者は陽中陰有る也。以て之を下す可し。大承氣湯に宜し。
左右の脈が共に弦で遅の者は必ず心下が堅くなっている。心下堅くても寒虚だから下してはいけない。
心下が堅くても脈が大で緊の者で左右の脈が同じでも又は遅くても、これは陽中(胃中)に陰(鬱結)が有るのである。
以て之を下す可し。大承氣湯に宜し。
だから熱実の者は下してやりなさい。それには大承気湯がよい。
《下す可き病脉證併せて治を辨ず・第二十一》
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