更新日 1990年(平成3年)10月13日〜2023年(令和5年8月3日)
※ 私なりの解釈なので、あくまでも参考までに。
※ 突然の解説変更ございます。
傷寒例・第三
傷寒と命名された理由、傷寒と他病との区別、気候により人に及ぼす影響、
気候の概念、傷寒の予防、傷寒の病状、傷寒病状の変化、傷寒治療の大則、
傷寒治療上の注意、用薬法等の概略を挙げている・第三
(傷寒例は王叔和が書いたのではないだろうか)
(1)陰陽大論に云ふ。春の氣は温和、夏の氣は暑熱、秋の氣は清涼、冬の氣は冷冽、此れ則ち四時正氣の序也。
陰陽大論(古昔の経籍の名)に言われている春の気候は温かで和やかである。夏の気候は照りつけられて暑い。
秋の気候は気が澄んで涼しい。冬の気候は冷たさが身に堪える。これが春夏秋冬の順序である。
冬時は厳寒萬類も深藏す。
冬の時は寒さが厳しく物凄い寒さで動植物全体が深く隠れる。
君子固密すれば則ち寒に傷られ不、觸れて之を冒る者を乃ち傷寒と名づくる耳
学識や人格共に優れた立派な人は、用心深ければ寒の害は避けられる。触れてこれを被った者だけを傷寒と名づくのである。
(2)その四時之氣に傷らるるも皆能く病を爲すに傷寒を以て毒と爲す者は、其れが最も殺飼V氣を成すを以て也。
春の温も、夏の暑も、秋の涼も、冬の寒も、皆人を病ます事が出来るのに、傷寒を悪い病気とするのは、
それが一番大害を作り人を殺す程の厳しい働きをしてしまうからである。
中りて即病する者を名づけて傷寒と曰ふ。即に病ま不る者は寒毒肌膚に藏れ、春に至り變じて温病と爲り、
寒に中って直ぐに発病する者を名づけて傷寒と言う。直ぐに発病しない者は寒の毒が皮膚の奥底に隠れて、
春になると温病に化ける。
夏に至り變じて暑病と爲る。暑病の者は熱極まりて温より重し也。
夏になると暑病に化ける。暑病の方は熱が酷く温病より重いのである。
是を以て辛苦の人に春夏温熱の病多きは皆冬時寒に觸るるに由りて致す所、時行之氣に非ざる也。
今述べた様な理由から貧乏人の人々には春や夏に温病や暑病を患う事が多い。
皆冬の時に寒さに触れた為に招いてしまったもので、時行の気によるものではない。
凡そ時行の者は、春時は暖に應ずべきに復た大寒し、夏時は大熱するに應ずるに反って大涼し、
大体時行というのは、春は当然温かくあるべきなのに大いに寒かったり、
夏は当然暑くあるべきなのに反って甚だ涼しかったり、
秋時涼に應ずるに反って大熱し、冬時は寒なるべきが應なるに反って大温す。此れ其の時に非ずして其の氣有り。
秋は当然涼しいはずなのに反って大いに暑かったり、冬は当然寒くあるべきが反って甚だ温かくなっていたりする。
これはその時の気候ではないのに、そういう気候がある。
是を以て一歳の中に長幼之病の多く相似くる者は、此れ則ち時行之氣也。
今述べた様な理由から、一年の中で大人や子供が病んで、その症候が皆同じ様な病み方をする者は、
これが時行の気である。
(3)夫れ四時の正氣の病を爲すと及び時行の疫氣とを候ひ知らんと欲する之法は皆當に斗暦を按じて之を占ふべし。
春寒、夏涼、秋暑、冬温等が原因となる病か、或は不正の気が原因であるのかを見分ける方法を星や暦によって頼りにし、
北斗七星や一年中の季節その他を記載した書物や、
北斗によって示されている一年中の気候の移り変わり等で占いなさい。
(4)九月霜降の節より後は宜しく漸く寒く冬に向って大いに寒かるべし。
九月霜降の節から先は段々と寒くなって行き、冬に近づくにつれ大いに寒くなるはずだ。
正月雨水の節の後に至り宜しく解す也。之を雨水と謂ふ所以の者は、冰雪解けて雨水と爲るを以ての故也。
旧正月雨水の節になると当然大寒は解けるべきである。雨水の節を雨水と命名した理由は、
この時期になると氷雪が溶消して雨水となるからである。
驚蟄二月の節の後に至れば氣は漸く和暖、夏に向いて大いに熱し、秋に至れば便ち涼し。
旧の二月の驚蟄の節を過ぎると寒さは日々薄らいで好い気候となり、それから進んで夏になると大いに暑く、
夏を過ぎると暑さも日々弱まり、秋を迎えて涼しくなる。
霜降從り後、春分に至る以前に凡そ霜露を觸冒し、體寒に中てられ即病する者は、之を傷寒と謂ふ也。
十月の末から春分までの間に、早朝や日暮れ後までも家外で身をさらし、その為に寒気に侵され、
直ぐに病む者がいる。これを傷寒と言うのである。
(5)九月十月は寒氣尚ほ微し病を爲すも則ち軽し。
九月から十月頃は寒さがまだ弱いから寒気に傷られて病気になっても病は軽い。
十一月十二月は寒冽已に厳し、病を爲さば則ち重し。
十一月十二月になると寒さの度合いがうんと強くなっているから病気になるとその病は重い。
正月二月は寒さ漸く將に解せんとす。病を爲すも亦軽し。
一月二月は寒が弱まりつつあるから、この時に寒に害されても病は軽い。
此れ冬時調適せ不るを以て寒に傷らるる之人有って即ち病を爲す也。
これは不注意の人だけが寒に傷られて病む病気であって、これはその時の気に中てられて発した病なのである。
此れ四時の正氣の中りて而して即病するものと爲す也。
これを、四時の正しい気が中って即病するということである。
其の冬に非節之暖有る者を名づけて冬温と曰ふ。
その寒い冬に、時期にズレた暖かさを名づけて冬温と言う。
冬温之毒は傷寒與大いに異なる。
冬温が人を害するその害の仕方は、傷寒の人を害する害し方と大変大きな違いが有り、
冬温には復た先後有り。更に相重沓して亦た軽重有り。治を爲すは同じから不。證は後章の如し。
冬温にはまた始まりと終わりが有り、更にお互いに重なり合い、また病の重い軽いが有って治し方が違う。
その証は後の章に説明されている。
(6)立春の節從り後、其の中に暴に大寒すること無く又冰雪せ不るに人に壯熱熱而病を爲す者有り。
立春から春分までの間に、急に凄い寒波や酷い大雪等も降らないのに、人が強い熱や盛んな熱を出す者が居る。
此れ春時の陽氣の冬時の伏寒を發して變じて温病を爲すに屬す。
これは冬の時期に肌膚の中に入り込んで潜んでいた寒毒が、春になって高まってきた陽気に動かされ、
温病を発症したのであり、これは傷寒ではないのである。
(7)春分從り以後秋分の節に至る前に、天に暴寒有る者は皆時行の寒疫と爲す也。
春分から秋分までの間に天候に寒冷異変がある。これは時行の寒疫である。
三月四月に或は暴寒有ることあり。其の時は陽氣尚ほ弱く寒が爲に折かるる所の病熱猶ほ軽し。
三月か四月に、不定だが暴寒が来ることがる。その三月か四月の時は陽気が未だ弱く、
暴寒の為に傷られて発する熱はまだ軽い方だ。
五月六月は陽氣已に盛ん。寒が爲に折かれて病む所の熱則ち重し。
ところが五月か六月になると陽気が盛んになり、この時に暴寒があると寒の為に傷られて病んで発症する熱は高く、
病は重くなる。
七月八月は陽氣已に衰ふ。寒が爲に折かれて病む所の熱も亦微し、
七月か八月になると暑さも峠を越え、この時に天候に暴寒があってもこの時は陽気がすでに下火になりつつあるから、
たとえ寒の為に陽気が妨げられて病んだとしても大した熱は出ない。
其の病は温及び暑病與相似たり。但治に殊有る耳。
その症候は温病や暑病はどちらも似ているが、但だ治し方には違いがある。
(8)十五日に一氣を四時之中に得、一時に六氣有り。四六名づけて二十四氣と爲す也。
気候というものは十五日毎に移り変わっていくものであってそれを二十四回重ねて一年を終え、
また前の様に行われていくものである。
(一気=十五日間、一時=九十日の間に一気は六有り、四時=春夏秋冬の四季)
(9)然れども気候にも亦至るに應而至ら不る有り。未だ至るに應ぜずして至る者有り。或は至りて太過なる者有り。
しかし気候にもまた来る時がきているのに来ない時もある。或は未だ来る時でないのに来る場合もある。
或は来る時にくるが来ようが酷い場合もある。
皆病氣を成す也。但し天地の動靜陰陽鼓撃する者は各々正しき一氣耳。
どれも病気を作るのである。但し、天は動き地は静であり、四時により、陰陽が鼓撃し合うのは
それぞれ混ざり気の無い正しい気である。
(春夏には正しい陽気だけが進み、秋冬には正しい陰気だけが進む)
(10)是れを以て彼の春之暖は夏之暑と爲る。彼の秋之忿は冬の怒と爲る。
正しい気が鼓撃するのは、春の暖を例に挙げると陽気が鼓撃して進むから暖は夏の暑と変わる。
秋の涼(忿軽)は陰気が鼓撃して進むから涼は冬の極寒(怒増)に変わる。
是の故に冬至之後一陽の爻升り一陰の爻降る也。
陰陽の各正一気が循環するから冬至の後になると一陽(表面)「ー」の卦爻が六位の中の最下位の初の位に生じ、
夏至之後一陽の氣下り一陰の氣上る也。
夏至の後になると一陽の爻を下位に生ずれば六位中最上位の陰(裏面)「--」の易の卦爻は六位の中より押し出されて
外に落ちる。これに反するから一陽の気下り一陰の気上る。
(十二消長卦 十一月地雷復・十二月地澤臨・一月地天泰・二月雷天大壮・三月澤天夬・四月乾為天・五月天風コウ(女+后)・
六月天山遯・七月天地否・八月風地観・九月山地剥・十月坤為地)
斯くて則ち冬夏二至は陰陽合する也。春秋二分は陰陽離るる也。
そういう訳で冬夏の二至には陰と陽とが一緒に居る。春分と秋分には陰陽が離れるのである。
(春分は冬至と夏至との中間で陽が陰を去ること最も遠い所に在り、
秋分は夏至と冬至との間で陰が陽を去ること最も遠い距離に在り、
だから春秋の二分は陰陽離れると言う。)
陰陽交易すれば人變じて病む。
陰の中に陽が入り、陽の中に陰が入り、これに交わり変わって人に影響し、病気を起こす。
(11)此れ君子は、春夏は陽を養ひ、秋冬は陰を養ひ、天地之剛柔に順ふ也。
陰陽が交易すれば人を病ませるから君子は春と夏には陽を無駄に失わず養い、
秋と冬には在る陽を外に散らばさない様に養い、天剛(寒)と地柔(熱)に逆らわないようにする。
小人觸冒すれば必ず暴疹に嬰る須く毒烈之氣留まりて何れの經に在りて
利欲にまみれて身体を顧みない人が、名利に目が眩んで大寒や大暑犯すと、必ず大病(熱病)に取りつかれる病源が
去らないで十二経脈のどれかに止まり、
何れの病を發するやを詳らかに知りて之を取るべし。
どういう病気を起こしているかをよく調べ、わきまえてその病源を除くべきである。
(12)是れを以て春風に傷らるれば、
陰陽は時に従い交代して進退し陰陽が交易すれば病を生ずるから、
春の時に風に傷られその風毒が身体中に潜伏して去らない場合は、
夏必ずソン(夕+食)泄し、夏暑に傷らるれば秋必ず瘧を病み、
夏になると必ず下痢を病む様になり、夏の時に暑に傷られその暑毒が身体中に隠れ潜んで去らない場合には、
秋になって必ず悪寒と発熱とを交互に発する病になり、
秋湿に傷らるれば冬必ず咳嗽し、
秋の時に湿気に傷られその湿毒が身体中に隠れて去らない場合には、冬になると必ず咳の病を発し、
冬寒に傷らるれば春必ず温を病む。此れ必然之道、
冬時に寒に傷られその寒毒が肌膚に隠れて去らない場合には、春になると必ず温病を発する。
春の原因が夏病を招き、冬病の原因が秋に始まるのは、必ずそうなる通理があってそうなるのである。
之を審明せ不る可き。
これを詳しく明らかにせずにいられようか。
(13)傷寒之病は日の浅深を逐ひて以て方治を施す。
傷寒の病は、患ってからの日数の短いか長いかを調べてそれに従って方による治療を行う。
今世の人寒に傷られ、或は始めて早く治せ不、或いは治の病に對せ不、
近頃、世の人で傷寒にかかった場合に、最初に直ぐ手当を加えない者が居る。或は治療が病に合わない場合がある。
或は日數久淹し、困んで乃ち醫に告ぐるに、醫人又次第に依って之を治せ不れば則ち病に中ら不、
或は幾日経っても病がよくならないので苦しみぬいて医者に診せ、頼まれた医者もこれもまた病気を治し用いる順序を
ふまないで、自分勝手な治療を行った為に治療が病に適中しない事がある。
皆宜しく時に臨んで消息し方を制すべし。
この様に手当ての遅れた者や、手当を間違えていた者や、全く手当をしていない者や、医者がそれを治せない者や、
皆それぞれの病人に臨んだ時に、前後の様子を探り薬方を決めてやれ。
効あら不ること無き也。
それで効き目が出ないという事は無いはずである。
今仲景の舊論を捜採し、其の證候診脉聲色病に對し、眞方神驗有る者を録して、
今ここに張仲景の古い元のままの書物を探し出して、その中に載せられている所の容態や診脈や病人の語声や顔色や
病症に対して不思議な効き目がある薬方等計り知れぬ証を探し出し、
擬して世の急なるを防がんとする也。
病による世の中の苦しみを防ごうと示されたものである。
(14)又土地の温凉高下同じから不、物性の剛柔、サン(ン+食)居も亦た異なる。
更に住んでいる場所の暖地や寒地、高地(大概寒多)や低地(一般に寒少)の病も同じではない。
水(硬・軟)、土(堅・脆)、風(烈・微)、雨(長雨・急雨)の剛(あらい)・柔(あらくない)や、
居る場所や飲食する所によってもまた違いがある。
是れ黄帝四方之問を與すれば、岐伯は四治之能を擧げて以て後賢を訓へ、
こういう事が有るから黄帝が四方(東西南北)の質問を発すると、
岐伯は四治のヘン(石+乏)石(石を楔形に加工して作られた鍼療法)・毒薬(煎薬)・灸炳(お灸)・
九鍼(九種の鍼を用いる鍼療法)の能力を挙げて、これをもって後賢に教え、
其の未だ悟らざる者を病に臨む之工は、宜しく兩つながら審らかにすることを須ゆべし也。
その未だ悟っていない者に説明し、病人を扱う医者は是非ともその両方共に詳しく知っておくという事を
心得ておかなければいけないのである。
(15)凡そ寒に傷らるれば則ち病みて熱を爲す。熱甚しと雖も死せ不。若し兩つながら寒に感じて病む者は必ず死す。
大体、寒に傷られる病が起きると熱を発す。高熱は出るが高熱の為に死ぬような事はない。
もしも身体の上下共一緒に傷られ病になった者は必ず死ぬ。
尺寸倶に浮の者は、太陽病となり病を受けたる也。當に一二日に發すべし。
尺脈も寸口脈も共に浮いている者は、太陽の経が寒毒を受けたのである。当然、発病して1〜2日の内に発すべきである。
其の脉上りて風府に連なるを以ての故に、頭項痛みて腰脊強ばる。
太陽の脈は足の小指から上へ昇り、風府に繋がっている。
それで頭項が痛み、腰や背骨が堅くなって曲がらなくなるのである
尺寸倶に長き者は、陽明病を受けたる也。當に二三日に發すべし。
尺寸が共に指触り上下に長い脈の者は、陽明経が病を受けたのである。
当然2〜3日の内に発してやるべきである。
其の脉鼻をハサ(イ+夾)み目を絡ふを以ての故に、身熱し、目疼み、鼻乾きて臥するを得不、
足の陽明の脈は鼻を挟んで目に絡んでいるので体が熱く目の玉が痛み鼻の中がカラカラに乾き安らかに寝ていられず、
尺寸倶に弦なる者は少陽病を受けたる也。當に三四日に發すべし。
尺も寸も共に弦の者は、少陽経が病を受けたのである。当然3〜4日の内に発してやるべきである。
其の脉脇を循り耳を絡ふを以ての故に、胸脇病んで耳聾す。
その脈は脇を巡って耳に絡まっているから胸や脇が痛んで耳が聞こえなくなる。
此の三經皆病を受けて未だ府に入らざる者は汗して已ゆ可し。
この太陽陽明少陽の三経が次々と病を受けて、それぞれの経だけに止まって府にまでは入っていない者は、
汗をかかせることに因って癒すことが出来る。
(16)尺寸倶に沈細なる者は、太陰病を受けたる也。當に四五日に發すべし。
尺寸が共に心沈細の者は太陰脾経が病を受けたのである。当然4〜5日の内に発してやるべきである。
其の脉胃中に布き、ノド(口+溢-シ)を絡ふを以ての故に、腹滿而ノド(口+溢-シ)乾く。
その足の太陰の脈は、胃中に散じてのどに絡んでいるからそれで腹が満り、そして咽が乾くのである
尺寸共に沈の者は、少陰病を受けたる也。當に五六日に發すべし。
尺寸が共に沈の者は、足の少陰腎経が病を受けたのである。当然5〜6日の内に発してやるべきである。
其の脉腎を貫き肺を絡ひ、舌本に繋るを以ての故に口燥き舌乾きて渇す。
その小陰経の脈は、腎臓を貫いて肺に絡んで舌の付け根に連絡しているから、
それで口中がカラカラに乾き舌がパサパサになり水分を欲しがるのである。
尺寸倶に微に緩やかなる者は厥陰病を受けたる也。當に六七日に発すべし。
尺寸共に微し緊なる者は、足の厥陰肝経が病を受けたのである。当然6〜7日の内に発してやるべきである。
其の脉陰器を循り肝を絡ふの故を以て煩滿而嚢縮まる。
その厥陰肝経の脈は、生殖器を循って肝臓に絡んでいるからで、胸中から満り出す様に陰嚢が縮まるのである。
此の三經皆病を受くれば已に府に入る。下して已ゆべし。
この太陰少陰厥陰の三経が皆病を受けると、もう病は腑(胃・膀胱・胆)に入るのである。下してやるべきである。
(17)若し兩つながら寒に感ぜし者は、一日に太陽に之を受ければ即ち少陰與倶に病み、則ち頭痛口乾煩滿して渇す。
もしも表裏共に寒を感じた者は、一日目に太陽の経が寒毒を受けた場合、少陰の経も同時に発病し、頭痛、口乾、
胸中が張り裂ける様に満ち、のどが渇く。
二日に陽明之を受くれば即ち太陰與倶に病み、則ち腹滿し身熱し食を欲せ不譫語す。
二日目に、陽明の経が病毒を受ければ、直ぐに太陰の経も病毒を受けて同時に発病し、直ぐに腹が満ち、身体が熱し、
食欲が無くなり、うわ言を言うものである。
三日は少陽之を受け、即ち厥陰與倶に病み、則ち耳聾し、嚢縮みて厥す。水漿入ら不人を知ら不る者は六日に死す。
三日目には、少陽の経が病毒を受け、同時に厥陰の経も病んで発病すると、耳が聞こえなくなり、陰嚢が縮み上がり、
手足が冷たくなる。水も飲料水も咽喉を通らず、意識が無い者は、六日目に死ぬ。
若し三陰三陽五臓六腑に皆病を受くれば、則ち營衛行か不腑臓通ぜ不則ちシ(攴+人)す。
もし三陰三陽や五臓六腑が病を受けた場合、栄気と衛気とが行かれなくなり、腑の気と臓の気が互いに通じなくなり、
そういう者は死んでしまう。
(18)其の兩つながら寒に感ぜ不、更に經に傳え不、異氣を加え不る者は、七日に至りて太陽の病衰へ頭痛少しく愈ゆる也。
寒は感じたが、それが上下ではなく但だ上だけ感じ、新たに経脈に伝えていかず、
今病んでいる寒気の外に新規の異なった気が加わらない者は、発病して七日目になると太陽の経の病が弱まり、
頭痛が軽くなり、癒えていくのである。
八日には陽明の病衰へ身熱少しく歇む也。
八日目になると陽明の経を病ませている気が衰えて身熱が減る。
九日少陽の病衰へ耳聾微しく聞こゆる也。
九日目が来ると、少陽の経が弱まり、今まで聞こえなかった耳が少し聞こえてくる。
十日には太陰の病衰へ腹減じて故の如く則ち飮食を思う。
十日目になると、太陰の経の病が衰えて、腹の満りが減って以前の大きさ近くまで回復し、飲食したくなる。
十一日には少陰の病衰へ渇止み舌の乾き已えて而して嚏する也。
十一日目になると、少陰の経の病が弱まりのどが渇かなくなり舌の乾きも解れてクシャミが出てくる。
十二日には厥陰の病衰へ嚢縱み少腹微に下がり大氣皆去り、病人精神爽慧也。
十二日目になると厥陰の経が弱まり、縮み上がっていた陰嚢が緩んで柔らかくなり、吊り上がっていた少腹が下ってきて、
三陰三陽の各経に残っていた邪気が全て解けて病人は気持ちが爽やかになるのである。
若し十三日以上を過ぎても間え不、尺寸陷る者は、大いに危うし。
もしも十三日以上経っても癒えず、尺寸共に沈んで触れなくなる者は、生命が大変危険である。
若し更に異氣に感じ變じて他病と爲る者は、當に舊壞の證病に依りて之を治すべし。
もし病んでいる上に、更に風寒温熱等の異気によって出来た新しい病に変化した者は、
当然舊(異気を感じる前)と壞(異気を感じた後)との証と病によってこれを治すべきである。
(19)若し脉の陰陽倶に盛んにして重ねて寒に感ずる者は、變じて温瘧と爲る。
もし尺寸の陰陽共に盛んで病んでいる上、更に寒に感じた者は、傷寒が変じて温瘧の病となったのである。
陽脉浮滑、陰脉濡弱なる者は更に風に遇へば變じて風温と爲る。
陽脈が浮滑で陰脈が濡弱の者は、更に風に予期せず出会えば、病が変化して風温の病となったのである。
陽脉洪數、陰脉実大の者は、温熱に遇ふて變じて温毒と爲る。温毒は病最も重き爲す也。
陽脈が洪数で、陰脈が実大の者は、温熱に出会ってしまい、病が変化して温毒の病になってしまったのである。
温毒の病は温病の中で最も重い病である。
陽脉濡弱、陰脉弦緊の者は更に温氣に遇へば變じて温疫を爲す。
陽脈が濡弱で、陰脈が弦緊の者は、寒の上に更に温気(異常な温かさ)に出会い、
病が変化して温疫の病になったのである。
此れ冬に寒に傷れたるが發して温病を爲すと以す。脉の變證の方治は説の如し。
これは冬に寒に傷られた為に、春や夏になって病を発し、温病になったのである。
脈の変わり具合や証に対する方治は、説いた通りである。
(20)凡そ人疾有りて、時に即治せ不、隱忍して差ゆるを冀へば以って痼疾を成す。
大体、人に病がある場合、その時直ぐに病を治療せばいいものを、人に知られない様に我慢し、
その為に治りにくい病気(慢性病類)を作ってしまう。
小兒女子u以て滋甚時に氣和せ不れば便ち當に早く言ふべし。
子供や娘はそういう事が多い(病の恐ろしさを知らず又は遊びに夢中になり病を見過ごす)。
身体の調子が狂った時は、当然早く訴えるべきである。
其の邪の由って及んでソウ(月+奏)理に在るを尋ね、時を以て之を治すれば差え不る者有ること罕し。
其の外から入り込んできた邪が皮膚に留在しているものを尋ね、その時に臨んで治を施せば、
治らない者がいるのは稀だ。
患人之を忍ぶこと數日にして乃ち説き、邪氣臓に入らば則ち制す可きこと難し。
患者が我慢に我慢を重ねて、幾日も経ってから、とてもやりきれなくなって訴えてくる時には、
邪気は皮膚から五臓に入ってしまって制御できなくなってしまう。
此れ家に患有るに慮を備ふる之要と爲す。
これは、家に病人が生じてしまった場合に備え、心得ておかなくてはならない大切な事である。
(21)凡そ温藥を作さんには晨夜を避く可から不。病を覺ゆれば須臾に即ち宜しく便治すべし。
大体湯薬を用いようとする場合は、早朝だから深夜だからと避けてはいけない。
病人がいる事が判った時点で、後回しせず早急に適切な治療を行うべきである。
蚤バン(免+日)を等りにせ不れば則ち愈え易い。
朝早いから夜遅いからとグズグズして間を置かなければ愈え易いのである。
若し或は差やすこと遲ければ病は即ち傳變し除治せんと欲すると雖も必ず力を爲し難し。
もしも病を解くことが遅ければ、病は直ぐに表から裏に伝わって入り込み、腑病から臓病に変わり、
治療によって病を除こうとしても必ず除くことが出来なくなる。
服藥を方法の如くせ不、意を縱にし師に違へば須く之を治せ不るべし。
薬を服するのに定められている規則を守らなくていい。そういう時は守るな。
患者自身がわがままを通して師のいう事を聞かない者には、しばらく治療を行うべきではない。相手にするな。
(22)凡そ傷寒の病は多く風寒從り之を得、始め表風寒に中てられ裏に入るときは則ち消せ不、
大体の傷寒というものは、大概は風と寒によって受けるもので、初めに皮膚の表面が風寒に中てられ、
その風寒が皮膚の裏に入ると、その所に居座って消えないのである。
未だ温覆而當に消散せ不る者は有らず。
薬を飲ませるのに温かく服してやれば皆出て行ってしまう。消散しない者は未だかつていない。
證治在ら不るを擬して之を攻めんと欲すれば猶ほ當に先ず表を解すべし。乃ち之を下す可し。
症候に対する治方が明らかに出来ないのを、自分の考えでこれを治そうとする場合には、
まさに先ず表を解くべきである。そして表が解けたらそれからこれを下すがいい。
若し表已に解而内消せ不大滿するに非ずして猶ほ寒熱を生ずるは則ち病除か不。
もしも汗が出て悪寒しないで裏の熱がとれず、身熱の有る者で腹が酷く満らず微かな悪寒や発熱が時々現れるのは、
表の病が除き切れていないのである。
若し表已に解而内消せ不大滿大實堅するは燥屎有り。自から之を徐下す可し。
もし表はすっかり解けて内だけが解けず、腹が大いに満って大いに堅くなっている者は、
腹に乾いてコロコロした糞が有るからである。自から下してこれを除いてやるがよい。
四五日と雖も禍を爲す能は不る也。
傷寒を患って4〜5日目の危期が迫った時でも治療が良かったら病気には殺されない。
若し下すに宜しから不して便ち之を攻むれば、内虚し熱入り協熱して遂に利し、
もし下してはいけない者を下した場合、胃が虚し、その所へ熱が入り、熱が次第に遂には下痢が止まなくなって、
煩躁諸變勝げて數ふ可から不、軽き者は困すること篤く重き者は必ず死す矣。
病人は悶え苦しんで騒ぎ、その他の諸の変化が数えきれない程現れ、病の軽い者でも苦しみが激しくなり、
病の重い者は必ず死ぬ。
(23)夫れ陽盛陰虚、之を汗すれば則ち死し、之を下せば則ち愈ゆ。
大体、陽が盛んで陰虚(陰の力が虚している・三陰経脈の気が弱り胃腸を乾燥させて熱が生じる)であるのは、
発汗すれば死に、これを下せば愈ゆるのである。
陽虚陰盛は、之を汗すれば則ち愈え、之を下せば則ち死す。
陽虚(陽の力が虚している・三陽経脈の気が弱り悪寒して陽気滞り発熱が起る)して陰が盛んなのは、
発汗してやれば癒え、これを下せば死ぬのである。
夫れ是くの如くなれば則ち神丹も安くにぞ誤りを以て發すべき甘遂も何ぞ妄りにを以て攻む可き。
この様な訳であるから、神丹(発汗薬の名称)をどうしてあやふやな考えの本に発汗薬として用いることが出来ようか。
甘遂(下剤の名称)もいい加減な考えの本に下剤として用いることが出来るのだろうか。
虚盛之治は相背くこと千里吉凶之機は應ずること影響の如し、豈に容易ならん哉。
虚に対する治と、盛に対する治とは、正反対で千里の差を生じ、吉(生を得る)凶(命を失う)の動きがそれに應ずる事が、
極めて正確で甚だ速やかで、一つ間違えれば大変なことになる。なかなかたやすいことではない。
桂枝咽を下りて陽盛んなれば則ち斃し、承氣胃に入り陰盛んなれば以て亡ぶ。
ましてや桂枝湯を飲ませた際に、陽が盛んなれば死に、承気湯を胃に入れた場合、陰が盛んであればやはり死ぬ。
死生之要は須臾に在り身之盡くるを視るは日を計ふるに暇あら不。
死と生とがハッキリと分るには少しの時間で分り、病人の死ぬのを見るのは日数を数えている暇はない。
(暇がない位にドンドン悪化していき直ぐに死んでしまう)
此れ陰陽虚實之交錯は其の候至って微に發汗吐下之相反するや
これは陰陽虚実が交じり合った場合にその兆しが甚だ微で見失いやすい為、
発散させたり吐かせたり下したりした事がお互いに病理に背いた場合には、
其の禍至って速やかなるに醫術淺狭にしてボウ(立身偏+草冠+四+冖+目)然として病源を知ら不、
治を爲せば乃ちアヤマ(立身偏+呉)り、
それによって起る禍は至って速やかであるのに、医術が浅く狭いと、いくら頭を捻っても病源が判らず、
病を治療すればその治療によって病人を誤って害するし、(下医にかかれば殺される)
病者をして殞歿せしめ、自から其の分と謂はしむ冤コン(去+鬼)を令て冥路を塞がしめ、
病人を死なせて病家の人にこれも運命と諦めさせ、怨みを持った魂で霊魂の通る道を塞がせ、
死屍をして曠野に盈たしむるに至る。仁者は此を鑒がみ豈に通ま不らん歟。
死人の死で広野が埋め尽くされてしまう。思いやりのある人がこれを見聞きしたら、
どうして心を痛めないでいられようか…;
(24)凡そ兩感の病倶に作る、治に先後有り。
大体、表の病と裏の病が同時に発病した場合、治していく上で先と後とがあって、
表を發し裏を攻むこと本自から同じから不。而るに妄意を執迷する者は乃ち云ふ。
表を発する(外へ出す)のと裏を攻める(内へ入れようとする)のは、本来同時に治すことはできないのである。
それなのに無闇な考えで凝り固まって迷っている者は、
神丹甘遂を合して之を飮めば且づ其の表を解し又其の裏を除くと言は巧みにして是なるに似たれども其の理は實と違ふ。
そんないい加減な考えから判断して、神丹と甘遂を合せて飲ませ、「先ずその表を解きそして裏を除く」と、
言う事だけは尤もらしく聞こえるが、その理屈は実際とは違うのである。
夫れ智者之擧錯する也。常に審らかにして以て慎み、愚者之動作する也。必ず果而速やかなり。
事物を熟知している者が治療を行う場合は、常に審らかにした上で用い、その時には冷静に対応し慎重に事を行うが、
愚かな者が事を行う場合は必ず迷わないで早い。
安危之變豈に詭る可けん哉。
安を得たり危となったりする変化を、どうして誤魔化すことが出来ようか。
世上之士は但だ彼の翕習之榮を務めて、此の傾危之敗を見ること莫きも惟り
世の中でもてはやされている権力や金力の盛んな栄えに心奪われず、
彼はいつ覆るか判らない危ない状況を考えて読み取り、
明者は、居然として能く其の本を護り、近く諸を身に取る。夫れ何ぞ遠ざかること之れ有らん焉。
よく患者の身を案じて、親しくその理を身に治め、そんな人がどうしてこの道から遠ざかる事などできようか。
(25)凡そ汗を發するに湯藥を温服するに其の方に日に三服すと言ふと雖も、
大体汗をかかせる為に湯薬を温服させる場合、湯薬の方に、日に三回服すと書いてあっても、
若し病劇しくして解せ不れば當に其の間を促す可し。半日中に三服を盡す可し。
もし病が激しくて解れない場合は、当然その間を詰めて半日の中に三服を飲ませ尽くさすべきである。
(二時間置きに服さす)
若し病與相阻めば即ち便ち覺ゆる所有り。重病の者は一日一夜當にサイ(日+卒)時に之を観るべし。
もし病と薬とが適合しない場合は、直ちに合わない症状が出る。重病の者は一日一夜の二十四時間中、
二時間毎にこれを見舞ってやりなさい。
如し一劑を服し病證猶ほ在らば故のごとく當に復た本湯を作り之を服すべし。