更新日 1995年(平成7年)2月22日〜2023年(令和5年)7月18日
※ 私なりの解釈なので、あくまでも参考までに。
※ 突然の解説変更ございます。
傷寒雑病論集序
傷寒の病とその他の諸病を説明したものを集めた書
論じて曰はく、
今ここで自分の意見を述べよう。
余毎に越人カクに入る之診、齊候之色を望むを覽て、
私は常々、秦越人(扁鵲)がカク国に往診時にカク国の太子の病気を診察し、既に死んだと言われていたのを蘇生させ、
齊国では、その国の王様の顔色を診てその死を予言したそうである。
未だ嘗て慨然として其の才の秀でたるを歎ぜ不んばあらざる也。
未だにこの事を思い出す度に自分の才能に比べたら彼はどうしてあんなに優れているのであろうと羨ましく、
悔しく、自分が情けなく感じずにはいられない。
怪しむらくは当今居世の士、曾て神を醫藥に留め方術を精究し、
理解に苦しむ事は、現在世間に居る教養ある人が、自分の心を医薬の術にそそぎ込まず、
上は以て君親之疾を療し、下は以て貧賤之厄を救い、中は以て保身長全して、以て其の生を養はんとはせ不、
上流階級(富・権力・地位有)の者は、仕えている主人や両親達の病を治すこともせず、
下流階級(貧乏)の者は、貧しい人や卑しい人の災難を救うこともせず、
中流階級(普通)の者は、自分の身を大切にし疾病を除くべきなのに天命を全うせず、自分の生命をも養おうともせず、
但競いて榮勢を逐い、權豪に企踵し、
但だ他人と競って見栄を張って羽振りよく贅沢な暮らしをすることばかり考え、
その為に権力ある家や金回りの良い家にこびを売り、
孜孜汲汲として惟だ名利是れ務め、
寝る間も惜しんで早くことを成し遂げようと焦り、他には目もくれず名声と利益だけ得る事に夢中になり、
其の末を崇飾して其の本を忽棄し、其の外を華にして、其の内を悴らす。
世間に受け入られようとつまらぬ手段や道具を使い、肝心なことはすっかり忘れ、
見栄を張る為に自分の心を痛めつけ、体をやつれさせているだけだ。
皮の存せ不んば毛は將た安くにか附焉。
命あっての人生なのに、自分の身も心も苦しめて重病にでもかかったって死んでしまったら
今まで無理して築き上げた栄勢や名利が全部無駄になってしまう。
卒然として邪風之気に遭ひ、非常之疾に嬰れ、患い禍いに及ぶに至りて、方めて震慄し、
志を降し、節を屈し、巫祝を欽望し、
突然身体に有害な風邪が入り込み猛烈な熱病になったり、急に悪性の病気を患い、
そうなって初めて驚き震え上がり、意気地が無くなり常々馬鹿にしていた巫女や神主なんかにすがりつき、
窮を告げて天に歸し、手を束ねて敗を受く、
その命ずるがままに萬事を神や鬼に任せ、いたずらに自然の治癒を持ち、その為に人事を全うしないで
百年の壽命を賚(×齎?)へ、至貴之重器を持てるを、凡醫に委附して、
百年の壽命を棒に振り、代わりになるものがない大事な体を、方術もろくに知らないへぼ医者に任せて
取り返しのつかないこと事になってしまう。
其の措く所を恣ままにす。咄嗟嗚呼。
なんと言う哀れで無様なんだ!はぁ…(ため息)
厥の身已に斃れ、神明消滅し、變じて異物と爲り、重泉に幽潜されて徒に啼泣を爲さしむ。痛ましいかな。
その巫祝(方術を使って人の願い事に答える民間の呪術師)の巫女に生命を託したり、
無知な医者に重任を委ねたり、遂には身を亡ぼしてしまい周囲の人々を嘆き悲しませるとは、何と言う情けない事であろう…。
擧世昏迷能く覺悟すること莫く、其の命を惜しま不、是くの若く生を輕んず、彼の何ぞ榮勢と之れ云はん哉。
一世の民がこぞって暗中をさまよい名利に惑わされ、真の利害を知ろうともせず大切な命をも惜しもうとしないのは、
誠に痛ましい限りであり、彼らの願っている所の栄勢とは、実は反対になっている。
而して進んでは人を愛し、人を知る能は不。退いては身を愛し己を知る能は不。
栄勢に気を取られている為に人の事も自分の事をも判らずになっているのだ。
災に遇ひ、禍ひに値ひ、身は厄地に居り、蒙蒙昧昧ショウ(舂+心)として遊コン(上部云+下部鬼・魂)の若し。
災害には遭い放題で、損害にはぶつかり、次第に極めて危うい境界にありながら聾者や盲者の様に一向にそれに気づかず
平気でいられる様子はまるで浮かれ魂の様である。
哀しいかな趨世之士浮華を馳競し、根本を固め不、カラダ(身+區)を忘れ物にシタガ(ケモノヘン+旬)ふ、
哀しいことに、世渡りする人々は上辺だけの栄華や勢力を追い求めて競い合い、
足元を固めようともせず栄華勢力の外物を己の体よりも大切がっている有様だ。
危きこと冰谷の是に至るが若く也。
それはあたかも薄い氷上と深い谷際の危険に直面しているかの様なものである。
余が宗族は素より多く、向に二百に餘りぬ。建安紀年以來猶ほ未だ十稔ならざるに其の死亡せる者三分にして二有り、
自分の一門一族は元から人数が多く、以前は二百人を超えたものだが、
建安の初期から未だ十年足らずの間に三分の二も死んでしまった…。
傷寒は十のうち其の七に居せり、往昔の淪ソウに感じ、横夭之救ひ莫きを傷み、
しかもその七割が傷寒のせいであった。ただ訳もなく昔の悲しみを思い浮かべ、病に因る不慮の死を悼み、
これをなんとかしたいと考えた結果、
乃ち勤めて古訓に求め、博く衆方を采り、
出来るだけ法を古訓に求め、広く良方を衆方の中から選び集め、
素問九巻、八十一難、陰陽大論、胎臚藥録、併せて平脉辨證を撰用し、
傷寒雑病論合せて十六巻を爲す。
内経素問・内経九巻(鍼経又は霊枢)・八十一難(難経)・陰陽大論・胎臚薬録等の古経書やそれと併せて平脈辨証を撰用し、
『傷寒雑病論合せて十六巻』を作ったのである。
未だ盡く諸病を愈やす能はずと雖も、以て病を見れば源を知る可きに庶く、
しかしこれまでは未だあらゆる病気を癒すことは難しいと自分には思われるが、
この方法で病を見れば病の源を知る事が出来るし、
若し能く余が集むる所を尋ねなば、思ひ半ばを過ぎん。
更に詳しく自分の集めた所を明らかにして考えたりすると納得できる所が多々ある。
夫れ天は五行を布き、以て萬類を運らし、人は五常を稟けて以て五藏を有つ。
そもそも天は五行(天=風熱湿燥寒・地=木火土金水)を布いて、それで動植物をも含めたあらゆる物を廻らしてやり
人は天から仁義礼智信の五常を頂き、肉体的には肝心脾肺腎の五臓を与えられて天地と共存しているのだ。
經絡府兪陰陽會通玄冥幽微にして變化極め難し。
その五臓の経絡や府兪の陰気陽気が合い通うという有様は、人間の能力を超越した不思議で変化が見通し難い。
才高識ミョウ(玄+少)に非ざる自り、豈に能く其の理致を探らん哉。
それであるから余程抜群の才能を持ち、絶妙な学識を具えていない限り、
とてもそのを探りとらえることは難しいであろう。
上古に神農、皇帝、岐伯、伯高、雷公、少兪、少師、仲文有り。
大昔には、神農、皇帝、岐伯、伯高、雷公、少兪、少師、仲文という人がいて、
中世に、長桑、扁鵲有り、漢には公乘、陽慶及び倉公有り。此れより下りて以往は未だ之を聞かざる也。
中世に長桑、扁鵲という人がいて、漢の時代には公乘、陽慶、大倉公という名師が居たそうだが、
それから後は今日まで名師が現れたという話は聞いていない。
今の醫を観るに經旨を思ひ求め、以て其の知る所を演べんことを念は不、
さて今の医者を観てみると、殆んど大部分の者が経書を研究して、
その中から原理を発見し、それで自分の知識を広めたり又はその術を詳しくしようとは思わず、
各家技を承け、終始舊に順ひ、疾を省み病を問ふ、務め口給に在り、相對すること斯須にして、
皆一家の技術を受け継ぎ、これを一番いいものとし、初めから終わりまで一歩もその範囲から出ようとはせず、
病人に対応する場合でも言葉の言い回しを巧みにすることだけに身を入れて、診察などは至ってお粗末で、
便ち湯藥を處し、寸を按じて尺に及ば不手を握りて足に及ば不、人迎趺陽三分を參へ不、
いい加減に湯薬を与え、脈診にしても足までとはいかないまでも手の三分を診るのが偏っている。
上等の方で大体は一寸の寸口に触れるくらいが関の山で、尺中などは診ようともせず、
ましてや咽喉の脈や足背の脈を診てこれを手の脈の参考にすることなど思いもよらず、
動數發息五十に満た不、短期も未だ決することを知ら不、
脈の動きや起き上がりや休む等、五十までも数えず、従って短期の診察など判るはずがない
診を九候にも曾ち髣髴無く明堂闕庭盡く、見察せ不、所謂管を窺ふ而已
九候の診断も見分け方は本より眉間の色や額の艶で病の状態をよく見極めようともせず、
夫れシ(攴+人)せるを視て生くると別たんと欲するに實に難しと爲す。
いわゆる足の先から頭の先端まで観て初めて診の精を盡したとしても死生を見分けることは実に容易なことではない。
孔子云ふ、生まれながらに而之を知る者は上。學びたるは則ち之を亞ぐ。多聞博識も知之次也と。
孔子様の儒教の御本奠の語に、生まれながらにしてこれが解る者を上とし、学によりこれを得た者をその次とし、
物事を沢山聞いて広く知っている者をその次とするというのがあるが、
余は宿より方術を尚とぶ請ふ斯の語を事せん。
私は以前から方術を慕っているが故に、この語を奉り、常にこれを服し、嗜み、
あくまで学の道に進もうとする次第であるから、この書を読んだ諸君も同じく孔子様の語を奉じてこの道に進んでもらいたい。
漢の長沙の守南陽張機著はす。
後漢の(郡名)長沙の知事、南陽(地名で著者の生地)で張機著わす。
《傷寒雑病論集序》
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