更新日 1990年(平成2年)6月19日〜2023年(令和5年8月31日)
※ 私なりの解釈なので、あくまでも参考までに。
※ 突然の解説変更ございます。
吐す可から不を辨ず・第十八
吐かせてはいけないのを詳しく述べたもの・第十八
(1)合せて四證、已に太陽篇中に具はる。
この第十八篇は全部合わせて四証で、すでに太陽病中に書いてある。
と記載されているが、太陽病から厥陰病までの条文を拾ってみると八証あった。
太陽病上24条 脉微而惡寒する者は、此れ陰陽倶に虚す。更に汗を發し、更に下し、更に吐す可から不る也。
太陽病中97条 太陽病当に惡寒發熱すべし、今自汗出でて惡寒發熱せ不、関上の脉細數なる者は、醫之を吐するを以って過ち也。
一二日に之を吐する者は腹中饑え口食する能は不、三四日に之を吐する者は糜粥を喜ばず、冷食を食せんと欲し、
朝に食したるを暮べに吐する。醫之を吐するを以て致す所也。之を小逆と爲す。
太陽病中98条 太陽病之を吐す。但そ太陽病は当に惡寒すべし。今反って惡寒せ不るはず。衣を近づくるを欲せ不るは此れ
吐せるが爲、之を内煩する也。
太陽病中99条 病人數、數は熱と爲す。当に消穀引食すべし。而に反って吐する者は此れ汗を發するを以って陽氣を令て
微ならしめ、膈氣虚し、脉乃ち數也。數は客熱と爲す。消穀する能は不、胃中虚冷するを以て故に吐する也。
太陽病下39条 病桂枝の證の如く、頭痛ま不項強ばら不、寸脉微浮、胸中痞コウ(革+更)氣上りて、咽喉を衝き、息するを得不る
者は、此れ胸に寒有りと爲す也。当に之を吐すべし。瓜蒂散に宜し。
瓜蒂散の方 瓜蒂一分熬黄 赤小豆右の二味を各の別に搗き、篩ひ散と爲し、已り合せて之を治す。一錢匕を
取り、香シ(豆+支)一合を以って熱湯七合を用ひ煮て稀糜を作り、滓を去り汁を取り散に和し、温かきを頓に之を
服す。吐さ不る者は、少少加え快吐を得て乃ち止む。諸の亡血虚家には瓜蒂散を與う可から不。
(瓜蒂散は吐剤)
少陽病2条 少陽中風兩耳聞く所無く、目赤胸中滿而煩する者は吐下す可から不。吐下すれば則ち悸而驚く。
少陰病44条 少陰病、飮食口に入れば則ち吐し、心中温温吐せんと欲すれども、復た吐する能は不。始めて之を得、手足寒え、
脉弦遲なる者は、此れ胸中實す。下す可から不る也。當に之を吐す可し。
若し膈上に寒飮有りて乾嘔する者は、吐す可から不る也。急に之を温め四逆湯に宜し。
厥陰病56条 傷寒、大いに吐し大いに之を下し極虚し、復た極まりて汗出づる者を、其の人外氣沸鬱たるを以って復た之に水を
与えて、以て其の汗を發すれば、因ってエツ(口+歳+ノ)を得、然る所以の者は胃中寒冷するが故也。
《結論としては、脉沈細微などの虚証の者及び胃中の冷えの者などは吐下させてはいけないということ。》
荒木性次先生曰はく
考えてみると太陽篇中を見ても吐す可から不を述べた証は見当たらず、太陽病上篇には全く無く、中篇の第95条と次の条の2章に
吐之云々の論あるが、之は吐後病を言いたいものだから吐可から不の意には添え難い。
但だ次の97条は之は吐証の胃中虚冷より来ることがあるというものであるが、胃中が冷えたから吐可から不の意を集めたものと
みれば見られぬことも無く、又次の太陽病過經十餘日の章も下すべき証を論じたものだが、下証は吐証と正反対なればこの意味
よりこの條も吐可から不の証とすればそう取れないことも無い。
とすればここに吐す可から不の証二証有りということになる。
さて次は太陽の下篇の第38条の瓜蒂散章の虚家及び亡血家証を一証とし、次の条の病脇下素有痞の章を一証とすれば吐可から不
の証が占めて四証となるのではないか。
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